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卒業生の皆さま
卒業すると学校との結びつきは次第に薄れてしまいます。それは仕方がないことです。自分の仕事や勉強が待っているのですから。クラスメートとの音信も次第に途切れがちになります。住まいも勤めも両国から遠く離れることになるでしょう。でも、ときどき学校やクラスメートのことを思い出すのではないでしょうか。卒業して何年経っても、折にふれて教室のことが浮かぶのではないでしょうか。みな、バラバラになっているようで、どこかでクラスメートとつながっていると思います。
卒業から何年も経た今となっては、定時制の灯火は懐かしい思い出になりました。教室で学んださまざまなことも過ぎ去った思い出になってしまいました。ところで、私たちが学んだ学校にはさまざまな生徒がいました。生徒会はかなり活発だったと思います。生徒の中には個性が光る生徒がいました。はっきりした意思を持ちリーダーシップに優れた生徒がいました。そういう生徒は生徒総会のときなど、演説がやけに上手だったのです。人を惹きつける話に長けていました。確信に満ちて話ができていました。私はそういう生徒を見てうらやましく思ったものでした。自分にないものをもっていたのですから。

私が中学校を卒業したときは、高校に進学する生徒はほんの一握り数名でした。ほとんど就職か農業などの家業を継いだのです。思うに誰でも良質の教育を受ける権利をもつと思います。でも、当時はそんなことを言える状態ではありませんでした。とにかく生活できることが優先されたのでした。当たり前のことですけれど。

その頃、「戦艦大和の最後」という本を読みました。文章が古い文体だったのですこし読みにくいと思いました。戦争が終わりに近づく頃、日本の船や飛行機はアメリカに技術で大きく差をつけられていました。日本は意思の力だけでアメリカに立ち向かっていたように感じました。劣勢な技術力で立ち向かうことはなんと無力なのだろうと思いました。
また、もし、国という枠を取り除いてしまったらどうだろう、日本とアメリカの兵士たちは笑顔で話しあえるはずな
のに、個人の力ではどうにもならない壁があって、それを越えられないのだ、お互いに人として憎しみなどないのに
・・・戦場で、兵士はどんなことを思ったのだろうか・・・恐怖や絶望だろうか、恐怖は麻痺してしまったのだろう
か・・・立ちこめる硝煙のなかを銃火の音が間断なくひびく、次の瞬間、炸裂音とともに大きな衝撃がきた、身体が
壁にたたきつけられた、すぐに立ちあがれない・・・戦わなくては・・・でも、足がすくんで動かない、近くで火柱
があがった、熱風が吹きつけてきた・・・これで最後なのか、両親や兄弟たちの姿が浮かんだ、今ごろどうしている
だろう、いつまでも元気でいほしい・・・ここから逃れる術はない・・・もう、あれこれ考えるのはやめよう、この
瞬間こそ大切なものだ、この一瞬、一瞬こそすべてなのだ・・・私のすべてなのだ・・・でも、もし、ここから逃れ
られたらどんなによいだろう、それは何ものにもかえがたいものだ・・・でも、逃れられない、そんなことできるわ
けがない・・・通勤電車のなかでこのような場面が勝手に浮かんだり消えたりしました。
この本のなかで、多くの兵士の命が燃え尽きていきました。そこでは、人の命はなんと簡単に失われてしまうのか、
また、なんと命とは尊いものかと思いました。友がいて、家族がいて、将来があった兵士たち、その兵士たちが戦火
に呑み込まれるさまに胸が痛みました。兵士たちの懸命な姿がなんとも愛しく思えてなりませんでした。

私にとって、定時制高校があったことはよいことでした。そこで学ぶことができたのですから。中学卒業後、工場に勤めて、はじめて分かったことですが中学校卒ではどうにもならない気がしました。私は工場で黙々と働くだけの毎日を送っていました。社会や身の周りで起こっていることにも関心がもませんでした。知識もなく何事にも自信がもてない自分がいました。変化していく社会に追いついていけない自分を感じました。各種の資格試験でも高校卒以上が要求されたのです。よほど、能力に恵まれた人なら学歴など必要ないかも知れません。でも、普通はそうではありません。みな、もっと学びたいという思いから定時制に向かったのだと思います。そして、学校はそういう思いに答えてくれたのでした。
・・・
かつて、私が勤めていた亀戸界隈の工場は、その後どうなっているでしょうか。行ってみたところ、そこには高層マンションが建っていました。その工場は従業員が数百名ほどでいて業績もかなりのものでした。当時は優良企業との評判が高かったということでした。その頃覚えていることは、西鉄ライオンズの稲尾投手が読売巨人を相手に大活躍していた時代でした。その工場の跡地に立ってみました。50年ほど前に中学を卒業してこの工場で働きました。工場では頭上には起重機が走り、電気炉では鉄の溶ける臭いがしました。工場の中は粉塵が舞っていました。その一角で工程に追われるようにして働きました。一日の仕事が終わると汗とほこりにまみれていました。その工場は時代の流れについて行けなかったのでしょうか、かなり以前になくなっていました。その場所はマンションや図書館に変わっていたのです。その場に立ってみると、何故か寂しい気持ちが胸に広がりました。工場を去ってから長い時間が経っているというのに。・・・
周りにあった多くの工場群も閉鎖若しくは移転してしまい瀟洒なビルに変わっていました。社会や時代は、まるで生き物のように動いていて変化することが感じられました。・・・(2008.11.6)

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