閉校
私は中学校卒業後、工場に勤めてかなりの間そこで働いていました。上司から示される工程に従って働く毎日でした。そこで感じたことは、中学校しかでていないと何事にも自信がもてないということでした。
自分は何をやってもだめなように思えてしまいました。他人と話しているときなど自分が劣っているようにも感じてしまいました。
たぶん、この気持ちは誰にも分かってもらえないでしょう。
今では多くの人が高校にすすむのですから。高校進学などは当たり前の時代になってしまったのですから。
そのとき、まだ、高校は私には遠い存在でした。毎日、働いていると工場の世界につかり切ってしまうようでした。考えが狭く閉じてしまって外に向いていかないのでした。
自分はこれからどうなるのだろうと考えてもさしたる考えも浮かびませんでした。
そのころ、世の中は安保反対闘争で騒然としていましたが私には別の世界のことのように思えました。
その後、普通より遅れましたが学校の門をたたきました。
漢文の授業では「春暁」を教わりました。そのとき、説明を聞いて感動しました。
心が晴れあがってくるように感じました。
学校に入ることはできましたが勉強はできませんでした。
国語の教科書を開いても読めない漢字が多くて勉強が進みませんでした。英語の教科書を開いても難しくて分かりませんでした。英文をみると拒否反応が起こってしまいました。まったく、勉強はすすみませんでした。毎日の授業についていくのは大変でした。勉強って大変なのだなと思いました。
教室には勉強やスポーツに秀でた人が何人もいました。
そういう人をみて、なんと優れているのだろうと思いました。真似したくてもできませんでした。
入学した頃の授業では、わたしは、先生がたの説明をあまり理解することができませんでした。レベルが高すぎると感じることもありました。私はかなり未熟な生徒だったと思います。
でも、私は卒業できました。高校は遠い存在だと思っていましたが、私でも卒業できました。高い壁だと思っていましたが越えられました。卒業は喜びでした。
教室では、先生がたからいろいろなことを教わりました。
いまは、それらの教えが貴重なものとして思い出されます。
記憶はかなり薄れてしまいましたが、まだ、いくつかの授業の場面は鮮やかに思い出されます。
・・・(2009.3.24)
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都立両国高校定時制