私がこのような質問を受けたとします。
「もし、あなたが再び、高校で学ぶとしたらどうしますか。両国高校定時制を選びますか。“はい”か“いいえ”で答えてください」
これは難しい質問です。私の答えは、たぶん“いいえ”です。それよりか、経済的な困難が無く学べることを望みます。私が中学を卒業したときは、クラスの中で、高校(全日制)に進学したのは数名でした。残りはほとんどが就職でした。なかには家業の農業を継いだ人もいましたけれど。高校にすすむことなどは、特別な人にだけが許されることでした。
私は、担任のS先生に引率してもらって、江東区にある中堅の鉄工所を尋ねました。とにかく、“どんな会社でもよい、就職しなくては”と思っていました。そこで筆記試験をうけて就職が決まりました。そのときはどこの家庭も生活が貧しくて家計が大変な時代でした。私も就職以外は考えませんでした。これでようやく給料がもらえる身になったと思いました。生活もすこしは楽になると思って希望が涌いてきました。工場では、上司の指示に従って懸命に働きました。工場での仕事はきつかったので一日が終わると汗にまみれていました。その頃は、未だ、日本が経済発展をする以前で、地方から職場を求めて中学校を卒業した若者が大勢東京に集まってきました。そのような若者たちの“友だちつくりや交流の場”として、加藤日出男氏により「若い根っこの会」がつくられました。このことはニュースなどでとりあげられ、世間の注目を集めていました。
集団就職で東京に出てきた若者たちの交流の場ができました。ふるさとを離れて東京での生活は辛いこともあったはずです。この会によって励まされた若者も多かったと思います。そのなかには、定時制に向かった人もかなりいたと思います。
貧しくてもなにか活気が感じられる時代でした。
思うに、私たちを定時制に導いたの
はこのような“時代”ではなかったでしょうか。中学校を卒業してから、なお学びたいと思う人たちは働きながら学べる定時制に集まりました。仕事をしながら、さまざまな困難があったにせよ定時制で学ぶことができました。私もかなり遅れましたが定時制で学びました。そのころは、とても貧しかったのでほしい参考書も買えませんでした。だから、私は、高校で学ぶときは生活の心配がなく学びたいと思います。生活の不安がなく学べるのが一番です。
質問からすこし離れた答えですが。・・・
ところで、振りかえると、私たちの教室には、優れたクラスメートが大勢いました。勉強は勿論、スポーツに優れた生徒や、相手を気遣いながら話しかけてくる生徒とか、クラスの話し合いを導いてくれる生徒、明るい笑顔が似合う生徒などがいました。また、リーダーシップに長けた生徒もいました。そのような生徒とともに机をならべました。授業が始まると教室は静まり返ってしまい、先生の声だけが教室に響きました。先生の漢文や和歌を読みあげる声が、生徒たちの耳に今でも残っているのではないでしょうか。このような授業が生徒を学校に惹きつけていたのだと思います。
だから、もう一度学べたら、クラスメートとかつての教室で学びたいと思います。
そうです。私の答えの半分は“はい”です。
いったん、“いいえ”と言ってから“はい”と言うのはずるいようですが、もし学べたら定時制で学びたいが半分本音です。でも、学校は閉校してしまってもうありません。だから、このような問答は意味がないかもしれません。でも、ときどきこのようなことを考えてしまいます。

・・・(2009.7.17)
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両国高校定時制

都立両国高校定時制