卒業生の皆さま
両国高校定時制は大正13年に三中夜学としてスタートしました。その頃、学校の様子はどうだったのでしょう。その頃の生徒はどのような学校生活を送っていたのでしょう。創立から昭和の初期にかけて、社会は経済的に貧しい時代だったと思われます。たぶん、生徒は近燐の商店や工場などに勤めていて、夕刻になると学校に登校し勉強したはずです。その際、給食などはなかったでしょう。だから各自でパン等を食べて夕食に換えていたのでしょうか。教育内容はどうでしょう。どんな科目を学習したのでしょうか。三中夜学では現在に比べると条件は整わなかった面もありますが内容はかなりしっかりしたものだと思われます。
富岡日記によると、明治の製糸工女たちは夜学に通いましたが内容は塾に近いもので読書や珠算だったようです。工女たちにとって、塾に通うことの楽しい様子などが記されています。
路傍の石には、奉公に出された少年の吾一が学びたくても学校にいけなかった様子が描かれています。でも、吾一は勉強への思いを捨て切れなかったのでした。そんな吾一の学校への憧れに近い思いが描かれています。この頃は、よほど裕福な家庭でないと進学は無理だったのでした。
三中夜学ができた頃には、近隣の高校でも続いて夜学が生まれました。このことは、高校にいけなかった人たちに希望をもたらしたと思います。高校で学ぶことに喜びを見出した人も多かったと思います。
ところで、最近は高校を中退する人がかなり多くいます。それにはさまざまな理由があってのことです。その理由のひとつに親の経済的な事情があげられます。不況のため、親が職を失ったとか、会社が倒産したとかです。せっかく入った高校を途中でやめることは残念です。高校中退は抑えなくてはなりません。もし、中退を考えている人がいたら考え直してほしいと思います。よく考えることです。これから長く続く生活には高校で学んだことが生きると思います。後になってやめなければよかったと思うときがくるはずです。中退しなくて済む方法を考えるべきです。たとえば、奨学金とか、授業料減免の制度の利用も考えられます。いずれにしても、高校をやめないこと、また、高校が続けられるように周囲の人の協力が大事です。皆で励まして中退を思い止まるようにすることが望まれます。・・・ (2008.11.12)
両国高校定時制