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11月、クツゾーフ指揮下の軍でロシア・オーストリア両軍の作戦計画が立てられた。それはコペリニッツ、ソーコリニッツ両村後方の敵陣攻撃にかかる作戦計画で難解だった。それは、「敵は左翼が森林におおわれた山地より、右翼は村の背後にある沼地に沿って展開しているのに対し、わが軍の左翼は敵の右翼より優勢でであるがゆえに敵の右翼を攻撃するのがわれに有利であり、特に・・・」と詳細を極めている。
これまで、私は作戦計画書など見たことはなかった。そこで、興味をもって読んだ。それは、敵の動きを予測して、味方はどう動くかなどが書かれている。その際地形や道路などを考慮に入れなければならない。見知らぬ土地だ。地理の勉強のようだ。読んでみると難しいと思った。これは小論文と似ている。・・・少しだけだが・・・
与えられたテーマをどのように実現するかでは同じように思う。私はこれまでに色々な試験を受けてきた。それらの試験では必ず小論文を書かされた。そのため、小論文の勉強をかなりした。最初は思うように書けないがなれてくると結構書けるものだ。起承転結でまとめるのがよい。これは漢文の授業で勉強したことだ。
この作戦計画はいわば予測だ。予測どおりに進めばよいのだが。そうなるとは限らない。現実は予測どおりにいくはずがない。
この戦いを前にして、ナポレオンはこう命令した。
「兵士諸君、ロシア軍はウルムでのオーストリア軍のあだを討つために、諸君に決戦を挑もうとしている。これは、諸君がホラーブルン付近で潰走させ、それ以来ここまで追いつめてきたあの諸部隊である。わが軍が占めている陣地は要害の地であり・・・」
フランス軍の兵士は皇帝の姿を見ると感極まって“皇帝陛下万歳”を繰りかえした。
両軍の戦闘が始まったとき低地では霧のために視界が限られていた。前のほうはどうなっているのか、敵の主力がどこにいるか分からなかった。フランス軍はまだ遠くだと思っていたが、突然目の前に現れた。混乱が起こり多くのロシア兵が敗走を始めた。
前の方に、ロシアの砲兵が敵を射撃し、それに対して攻め上ってくるフランス兵の姿が見えた。あたりは銃声と硝煙に包まれた。
アンドレイ公爵は軍旗を抱え走り出した。喚声とともに大隊がそのあとに続いた。あたり一面にわたり両軍の必死の戦闘がつづいた。
アンドレイ公爵はこの戦いで傷つき倒れ意識を失った。彼は捕虜となった。
アンドレイ公爵の担架を運んだ兵士は、妹のマリアが彼を案じて彼の首にかけた金の聖像を奪いとった。ボナパルトは、同じく捕虜となったロシア軍公爵、レープニン大佐に対し「貴官の連隊は見事に任務を遂行した」といって彼の軍功を称えた。ボナパルトが捕虜に丁重な態度で接しているのをみて、金の聖像を奪い取った兵士はあわてて、それをアンドレイ公爵の胸に戻した。
あのアンドレイ公爵がナポレオンの捕虜になった。・・・その後、彼は捕虜生活から領地に帰還した。・・・
そのころの日本はどんな時代だったのだろう。ちょうど、江戸時代の後期にあたる。年表には滝沢馬琴、間宮林蔵等の名前がある。天保の改革やペリーの来航はまだかなりあとになる。 (2008.8.23)