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無 題

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(14)
1812年、ナポレオンの軍は西から東に向けて移動していった。彼が通る沿道や各都市では、人々
は熱狂して彼を迎えた。人びとは、この英雄を一目見ようとわれ先に集まってきた。彼らはナポ
レオンが近づくにつれて胸が熱くなり涙を抑えることができなくなり、“皇帝陛下万歳”を繰り
かえした。これは、彼を迎え彼に従う軍人たちも同じだった。ナポレオンへの畏怖と忠誠の念か
ら“皇帝陛下万歳”を叫び、いかなる命令にも従うことを誓った。

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月に、この巨大な軍勢(同盟軍もあわせて兵力60万)はニーメン川を越えてロシア領内に侵攻
した。ナポレオンの勢いは誰にも止められなかった。一方、ロシア側は十分な準備ができておら
ず、ずるずると後退した。ロシアの将軍たちは、さまざまな考え方があり、いくつかの派閥に分
かれていたとされる。また、ロシア皇帝は軍の総司令官ではなかった。だから、軍内の意思の統
一に欠けるものがあったのではないか。
(クツゾーフが総司令官に任命されたのは、かなり後になってからのことだった)
ロシアのアレクサンドル皇帝は、バラショフ公爵を呼び、ナポレオン宛の親書を直接にフランス
皇帝に手渡すように指示した。その親書には、要旨:“わが兄事する皇帝陛下”に始まり、“今
回のフランス軍の侵攻は何らかの誤解に基づくものではないか。もし、誤解が解けて、ロシア領
内から軍を引き上げるなら両国の関係は良好なものになる。もし、そうでない場合は不当な攻撃
は断固として撃退せざるを得ない”となっていた。また、皇帝は“武装した敵兵が一兵たりとも
ロシア領内に留まる場合は和睦しない”ともいった。この言葉を必ずナポレオンに直接に伝える
ようにいった。バラショフは皇帝の親書を携えてナポレオンの本営に向かった。
このような場合、和睦の使節はきわめて困難な役割を担う。相手は、勢いに乗っているのだから
どんな条件をだしても聞き入れないだろう。まして、バラショフ公爵はただの使節であり交渉の
全権を与えられていない。交渉の全権がなかったらただの使いにすぎない。それならナポレオン
と対等にわたりあう事などできないだろう。相手は人の心を操る天才なのだから。バラショフは
ナポレオンの本営で彼に面会したとき、彼の前で恭しく頭を下げ、従順そうに彼の前に立ち尽く
した。ナポレオンは、室内をせわしなく歩き回りながら、時には激昂し、時には哀れむかのよう
にして弁舌をふるった。彼はこうも言った。
「私は今までどおりロシア皇帝を信頼している。皇帝のお人柄をよく存じている。皇帝の高潔な
人格を高く評価している。・・・」
けっきょく、ナポレオンはバラショフなど相手にせず、彼を丁重におくり帰した。
とうとう、バラショフは“武装した敵兵が一兵たりともロシア領内に留まる場合は和睦しない”
との皇帝の言葉を伝えることはできなかった。しかし、これはやむをえないことだったと思う。
このような場合、誰が任にあたったとしても、ナポレオンの弁舌に逆らうことはできなかっただ
ろうし、侵攻を止めることもできなかっただろうから。
そして、戦端が開かれた。ロシア軍は後退を重ねた。

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このページは作家ソルジェニーツィンの小説と人について考えることを目的にしていた。ページ
を作っているうちに時代をかなり遡ってしまった。はじめは、少し触れる程度のつもりでいたの
だが。この物語に踏みこみすぎてしまった。・・・途中で気がついた。今更やめるわけにもいか
ない。だから、“戦争と平和”についてしばらく続けなくては。
 (2008.9.1)