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この作品により、ラーゲリでのすさまじい非人間的な実態が暴きだされた。
作品には、囚人たちの不安や苦しみを抑えてラーゲリでの生活が淡々と描きだされている。零下30度の酷寒の下で、囚人たちの強制労働に従事する毎日がつづく。
出口はあるだろうか。自分は何のためにここにいるのか、この先何が待っているのか。そんなことを考えてはいけない。時間の無駄だから。ただ、いわれたことを忠実にこなせばよい。何を頼まれてもいやだと言ってはいけない。看守に罵られても明るくうけ流す方がよい。
何故か、囚人だからだ。目の前のことだけ考えればよい。とにかく、食べなくては。そうしないと生き延びることができない。そんな囚人たちの思いが作品をとおして静かに伝わってくる。
去る8月3日、ロシアの作家ソルジェニーツィンが世を去った。ロシアのプーチン首相やロシア正教会はこの作家の死を悼みこぞって彼の功績を称えた。思えば、作家としての彼の生涯は苦難に満ちたものだった。
このページにおいて、彼の作品と彼自身および彼の愛しんだロシアについて考える。
1918年、彼は北カフカスの農民の家に生まれた。父は第一次世界大戦勃発とともに義勇兵として参戦したが、彼が生まれる直前に死去した。彼は、敬虔なクリスチャンである祖父母と母の下で成長した。彼は、小・中・高等学校では優秀な成績を収めた。
特に文学に深い関心を持っていたので、将来はモスクワにでて文学を学びたいと思っていた。だが、彼の家計はそれを許さなかった。けっきょく、ロストフ大学の数学科に入学することになった。彼は数学がよくできたから。それに、数学と並行して文学も勉強した。文学への思いを諦めることができなかったからだ。
1941年、大学を卒業すると同時に、戦争(独ソ戦)が勃発した。軍に召集されて輜重隊の任にあたった。その後、偵察砲兵中隊長に任ぜられた。彼は各地を転戦した。1945年、彼は突然逮捕された。それは、彼が友人との文通でスターリンについて暗に“あること”を書いたからだ。つまり批判したのだ。これは彼が後に認めたように軽率な行為だった。若さゆえとはいえ、してはならない行為だった。
その手紙が検閲され、欠席裁判がおこなわれた。そして、彼は8年間にわたりラーゲリ(収容所)に収監された。
通信の秘密は無かったのだろうか。裁判で抗弁はできなかったのだろうか。残念だが、そういう類のものは存在しなかった。
この判決は当時としてはかなり寛大な判決だったといわれる。彼はカザフスタンにある政治犯だけの特別収容所で雑役工、石工、鋳工として働いた。
「イワン・デニーソビィチの1日」はこの時の体験から生まれた。 (2008.8.14)
無 題