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ここで、ページは、帝政時代のロシア、アンナ・パーブロブナの夜会に遡る。

「ねえ、公爵、ジュノアもルッカもすでにボナパルト家の領地になってしまいました。いいえ、前もって言っておきますけれど、あなたが、もし、わが国が交戦状態にないとおっしゃったり、あなたが、あの反キリスト(私は心底から彼を反キリストと信じています)の悪辣で恐怖に満ちた行為を弁護するようでしたら、私はもうあなたとお付き合いする気持ちはありません。あなたは、私の友人でもなく、常々あなた自身がいっているように私の忠実な奴隷でもありません。おや、よくいらっしゃいました。よくいらっしゃいました。どうやら、私はあなたを怖がらせてしまったようです。どうぞ、おかけになって楽にしてお話しくださいますよう」

1805年7月、皇太后マリア・フョードロブナの高名な側近である女官アンナ・パーブロブナ・シェーレルは、自分の夜会に最初に到着した、重要な高官であるバァシーリイ公爵を迎えてこのように言った。
これは「戦争と平和」(トルストイ)のよく知られた冒頭部分。物語はこうして始まる。(これはかなり前の拙訳。残念だが、いまでは露語はほとんど忘れてしまった

誰でも、アンナ・パーブロブナの言葉に接すると、彼女がナポレオンに強い危機意識を持っていたことが分かる。
それに反して、ロシアの政府高官たちの反応は鈍いように感じられる。彼らの関心は、財産の維持とか、自分が関与している事業がうまくいっているかとか、社交界で自分の地位を保つことなどに関心を寄せていたように思われる。社交界での地位を保つにはそれなりの努力が要る。よくおこなわれる夜会などに出なければそのうちに忘れられてしまうかも知れない。そうなったら一族の将来が案じられる。
さらに、アンナ・パーブロブナは、バァシーリイ公爵にナポレオンを“革命のヒュドラ”と呼び、彼を打ち砕くためには、われわれの正義の血が必要だと言い切った。
また、「徳と知恵に満ちたわれらの皇帝陛下は世界の中で壮大な役割を果たします。陛下は高潔な方ですから神もお見捨てにならないでしょう。皇帝陛下がヨーロッパを救います!」とも言った。
アンナ・パーブロブナが皇帝や皇太后の名を口にするときは心からの献身と尊敬の表情が憂いとともに現れた。彼女は自らの気高い人の名を口にするときは、いつもこのような表情になった。

・・・“
ヒュドラ”とはギリシア神話に登場する怪物で水蛇を意味する。ヘラクレスによって退治された。・・・

このアンナ・パーブロブナが夜会を催していたころ、日本はどのような時代だったか。1798年には本居宣長が「古事記伝」を完成させた。1800年には伊能忠敬が蝦夷地を測量した。1802年に十辺舎一九が「東海道中膝栗毛」をだし、滑稽本が流行した。1807年には滝沢馬琴が「椿説弓張月」をだした。江戸時代後期といわれる。 
(2008.8.18)