両国高校定時制
学校を振り返ります2
このページでは両国高校定時制開校から戦後にいたるまでの学校の歴史を振り返ります。そうはいっても何の知識もありません。そこで、資料として両国高校定時制80周年記念誌を用いて考えます。
両国高校定時制は大正13年4月に私立東京三中夜学として開校されました。校舎として、東京府立第三中学校の校舎の使用が許可されました。校長先生は広瀬雄先生です。試験を受けて124名の生徒が入学を許可されました。最初は木造の仮校舎が使用されました。修業年限は4年です。
その学則には「本校は昼間就学の便を得ざる者の為に夜間において中学程度の高等普通教育を以て目的とする」とあります。授業料は月額3円です。当時の天丼の値段は40銭で、映画館の入場料は30銭となっています。当時は夜間の給食などはなく、生徒は大変な努力をして勉強を続けたものと思われます。
大正15年には江東橋の架け替えが行われ旧江東橋が生まれました。その後、先生がたの努力により学校は順調に発展します。昭和2年には校舎が鉄筋コンクリート建てに変わります。昭和3年には現在の校歌が制定されました。私たちにはなじみのある思い出深い校歌です。作詞は伝田治朗(国語科教諭)、作曲は小林三千三です。
昭和5年には同窓会である桂友会が発足しました。その名称は国語科の先生がたによって名づけられました。桂友会とは「月の桂を手折った者、月桂冠を勝ち得た者」の意味が込められています。その桂の意味が分からないので辞書で調べました。桂とは、「早春に咲き紅の花をつける落葉高木」、「中国の伝説で月にあるといわれる木」とありました。
また、「桂を折る」とは、
[晋(しん)の郤幀(げきしん)が科挙の試験(官吏登用試験)に主席で及第して地方長官に任命されたとき、武帝の問いに対して、あたかも桂の林の一枝、崑崙山の玉の一片を得たようなものです」
と答えたという故事から、試験に及第する意味で用いられます。折桂(せっけい)ともいわれます。なお、関連するものとしては、菅原道真の母が、道真の元服式のときに、道真の将来と菅原家の繁栄を願って、次のような和歌を送りました。
「久方の 月の桂も折るばかり 家の風をも 吹かせてしがな」
私は、桂にこのような意味があるとはまったく知りませんでした。また、先生がたからこんな立派な名称をいただいたことも知りませんでした。
昭和8年には校名が東京府立三中夜間中学になりました。昭和10年には校旗が制定されました。このころに芥川賞・直木賞が設立されます。
なお、芥川龍之介は府立第三中学校(両国高校)の出身です。大正5年に発表した「鼻」が夏目漱石の目にとまり文壇にデビューしました。その作品は「蜘蛛の糸」、「杜子春」、「羅生門」などで広く知られています。新理知派または新思想派といわれ数々の名作を世に残しました。
現在、両国高校正門を入った近くに、芥川龍之介の功績を称えて記念碑が設置されています。
(2007.8.19)