風吹けば 沖つ白波立田山 夜半には君が ひとり越ゆらん
この和歌の意味を調べたら、風が吹くと沖に白波がたつ、そのたつという名のつく立田山をこの夜中にあなたは一人で越えようとしているが心配だという意味になります。その立田山はどこにあるかが知りたくて、インターネットで探したが見つかりませんでした。
そのかわり、
筒井筒の 井筒にかけし まろがたけ 過ぎにけらしな 妹見ざるまに
という和歌にでてくる井筒のことが分かりました。井筒は業平と妻の娘が住んでいた天理市の住居跡にあり、在原神社になっていることが分かりました。なお、井筒とは井戸をさします。
筒井筒の井戸でくらべた私の身長は井戸の高さを超えてしまった、あなたに会う前にという意味になります。筒井筒とは井筒と同じ意味のようです。
この物語を教えてくださったU先生は授業には妥協を許さない先生でした。先生から教えていただいた内容はとうに記憶に残っていないので意味はインターネットで調べました。先生の授業はチャイムがなるとすぐに始まり授業時間ぎりぎりまで続きます。伊勢物語に接するときはいつも先生の授業への熱意が伝わってきます。
もし、できることなら伊勢物語について先生にこのような質問をしてみたいと思います。
私 「先生は伊勢物語の中でどの和歌が一番好きですか」
U先生 「難しい質問だな。君は何が一番気に入っているのかな」
私 「僕は立田山がとてもよいと思います」
「でも、ほかにかきつばたや都鳥の和歌もあり、どの和歌も甲乙がつけら
れないと思います」
U先生 「なるほど。これらの和歌はどれも人を思う心が籠められている。だから人の心を
ひきつけるのだ。現代のわれわれにとってはこの物語がとても大事だということ
だ」 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
(2006.10.6)