両国高校定時制
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授業で学んだ国語
文明の扉 亀井 勝一郎
人類は進歩しているのだろうか、それとも退歩しているのだろうか。三千年の
人類史のある瞬間に立って、ふとこんな疑惑を提出してみます。言うまでもなく、この疑惑の根底には、現代の絶望的不安が有ることは明白です。同時に、過去の任意の年代、任意の人物を範として、逆行しながら未来の人類に何ものかを期待しようとする、今ひとたびの理想主義のあることも確かであります。かすかな(あるいは最後の)希望と、深い(恐らく永続的な)絶望のあわいに立って、人類は自己を疑い、まさに自己否定の直前まで歩んできたといったふうです。理想主義のさまざまな試みも、二つの大戦によって無慙に敗北した、生ま生ましい記憶を抱きながら。
ルネッサンス以来、文明はたしかに進歩しました。誰も疑わぬ事実です。しかし我々はふと反問したくなる。その文明は「幸福」という観念を漸次崩壊せしめ、逆に恐怖と戦慄をもたらしたのではなかろうかと。原子力の発明が、さまざまの意味で決定的でした。原子力は、道徳的に用いさえすれば、絶大の福祉を人類にもたらすに相違ないのですが、武器としては、人類の滅亡を必至ならしむる。その必至の方向に対して恐怖しているわけです。暗黒時代と称せらるる中世は、この種の恐怖をすこしも知らず、かえって平穏な信仰生活があったことを、中世の否定者は今となって思い知ったはずです。
西欧の幾多の思想家は、早くから指摘しています。人類は自ら創造した文明によって、痛烈に復讐されつつある。その重圧下に呻吟しながら逆に翻弄されていると。
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この亀井勝一郎の文章も現代文の演習問題にあったように覚えています。このような文を読むと、現代文解釈は大変難しいという思いが消えませんでした。分かりそうな気もしますが実際は分かりませんでした。