推敲(すいこう)
賈島(唐の詩人)は科挙の試験を受けるために長安に行った。驢馬に乗って詩を作っているときに「僧は推(お)す月下の門」という句を思いついた。その句の推を敲(たたく)に変えたほうがよいか考え手で動作をしていたところ、高官の韓愈につきあたった。賈島がその理由を述べると韓愈は推の方がよいだろうといって二人で馬を並べて詩について語り合った。
管鮑(かんぽう)の交わり
管仲は若いころ貧乏であった。鮑叔と一緒に商売をして管仲が多く利益を占めたが鮑叔は管仲が貧しいからだと考えた。戦争に三回いって三回とも逃げ帰ったが鮑叔は管仲が年老いた親がいるからだと理解し卑怯とは思わなかった。このように自分を理解してくれたた鮑叔に、後に大政治家となった管仲は「私を生んだのは父母だが、私を理解してくれた者は鮑叔である。」といって深く感謝した。(いずれも大意)
推敲と管鮑の交わりはHO先生から教わりました。先生から「推敲とは文章を練ることであり、管鮑の交わりとは極めて親しい交友をさす。」と教わりました。この二つはとても難しい言葉だが推敲は日常かなり使われています。文章を考えることを彷彿させる言葉です。また、管鮑の交わりのところでは水魚の交わりという言葉も教わりました。HO先生には2年のときに担任をしていただきました。いつだったか、先生も加わってホームルーム会をしたときに、話し合いのあとで余興のクイズか何かで高得点を取った級友に賞品が出ました。その賞品とは先生が書かれた国語の参考書でした。たしか、タイトルは「現代文の勉強法」だったでしょうか。その内容は本格的な現代文解釈で埋め尽くされていました。あとで、私もその参考書をひらいてみましたがかなり難しく感じました。あまりよく分かりませんでした。
(2006.9.29)