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両国高校定時制

都立両国高校定時制

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両国高校浅草分校(両国高校定時制)はあと1年余で閉校を迎えます。このページでは学校を振り返ります。両国高校定時制は開校からおよそ80年の歴史があります。両国高校定時制は勤労学生の学び舎でした。生徒は墨田区や江東区界隈の工場や商店などに勤務しています。そこから学校に向かいます。交通は現在の錦糸町駅が利用されました。以前は両国高校前の道路に都電も通っていました。利用した生徒も少なくないと思います。
 夕刻になると勤務先から学校に向かいます。教室に入ると定時制の灯火が輝きます。机に向かうと昼間の疲れは飛んでしまうようです。教室では生徒の若さがあふれます。事情は違うが勉強する心はみな同じです。一人ではありません。教室にはクラスメートがいます。クラスメートと目が会います。自然に笑みがこぼれます。生徒同士の会話も弾みます。チャイムがなり、先生が教室に入ってきます。さあ、授業が始まります。教壇での先生の表情は輝いて見えます。
 定時制だからといって授業の質は落とされません。先生は、黒板いっぱいを使い説明を始めます。静かな教室には先生がたの明るい声が響きます。それぞれの教室では個性あふれる授業がおこなわれます。教室では、生徒は先生の説明に釘付けになります。先生は定時制の教育に力を注ぎます。先生は生徒に親しみやすく接します。気さくに話しかけます。生徒はそんな先生がたを心から尊敬します。
 1時間目が終わると給食の時間です。おいしいパンやスープを教室で食べました。これは私が在学した昭和30年代のことです。今では設備が整い立派な食堂もあります。でも、創立期には給食等はなく、各自でパンなどを食べたのではないでしょうか。創立期のころの生徒は大変な苦労をして学んだことと思われます。
 1日に4時間の授業があります。授業が終わるのは午後9時近くになります。家路に向かうときにふと空を見上げます。すると星が輝いています。そんな生活が4年間続きます。雨や風の強い日もありました。病のため、学校を休む日もありました。また、心ならずも途中で学校を去っていった友もいたことだと思います。
 この4年間の日々は、生徒一人一人にとってかけがえのない貴重な時間ではなかったでしょうか。先生がたとの出会いは、生徒にとって何ものにも替えがたい財産ではなかったでしょうか。私が在学したころはパソコンや携帯電話などもなく社会全体が貧しさのなかにあったように思います。振り返るとつらいこともありましたが、定時制の灯火の下でクラスメートと机をならべた日々は時がたっても忘れることはありません。
 その学校の歴史がまもなく終了します。この学校で学び巣立った多くの卒業生たちはこのことをどう受けとめているでしょうか。 (2007.8.12)

学校を振り返ります
現在の両国高校通用口