写真集 九州
志村英盛 Hidemori Shimura
本写真集の航空写真はすべて筆者が路線航空機の窓から撮影したものです。
視野の拡大をはかる、視点を変えて観察する、立場を変えて考えてみるという教育目的・
啓発目的で掲載しています。 読者の潜在能力の開発に役立つことを念願しています。
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関連サイト:『九州 写真集』
関連サイト:『航空写真集 羽田−広島湾−九重山』
A.霧島連山・新燃岳噴火
1You Tube:新燃岳が12回目の爆発 2011年2月18日午後6時16分
5 You Tube:衝撃 新燃岳噴火
6新燃岳でさらに3回の爆発的噴火 最大の爆発も(11/02/02)
13新燃岳の噴火状況 11年1月31日:ヘリから撮影
You Tube 霧島連山・新燃岳噴火・爆発の瞬間映像!
17You Tube 霧島 噴火 韓国岳から撮影した新燃岳の映像!! ?警戒レベル3?
18霧島連山(NASA衛星画像)
19鹿児島空港から見た霧島連山
23えびの高原からの霧島連山・ライブカメラ映像:09年1月15日16時18分撮影
上記映像は「環境省生物多様性センター」運営の「インターネット自然研究所」の許諾をいただいて掲載しています。
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24気象庁資料:
霧島山の新燃岳(しんもえだけ)と高千穂峰・91年12月10日撮影
この映像は気象庁の許諾をいただいて転載しています。コピー及び転載は禁止します。
25冬の霧島連山:この映像はイズミフォト企画の許諾をいただいて転載しています。
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参考サイト:航空写真集『北薩エリア』
26霧島連山(NASA衛星画像)
B.雲仙普賢岳、島原城、原城跡
1島原半島・普賢岳−熊本市一帯(NASA衛星画像)
2雲仙普賢岳
3雲仙普賢岳
4雲仙普賢岳
5雲仙普賢岳・島原城一帯(NASA衛星画像)
参考サイト:妙見岳、国見岳、普賢岳の紅葉
6雲仙普賢岳
7雲仙普賢岳
8雲仙普賢岳
9 1994年初頭の雲仙普賢岳
1990年から噴火を始めた雲仙普賢岳から、1991年(平成3年)6月3日、大火砕流が流れ出した。
報道関係者16名、火山学者クラフト夫妻と案内役3名、消防団員12名、タクシー運転手4名、
警察官2名、選管職員2名、住民4名と、死者・行方不明者は43名に達した。
この他に負傷者も多数という大惨事であった。噴火は1996年(平成8年)までおさまらなかった。
10島原半島・雲仙普賢岳:フェリー船上から撮影
11島原半島・雲仙普賢岳:仁田峠循環自動車道路から撮影
12雲仙温泉、仁田峠循環自動車道路、雲仙ロープウェイ一帯地図
14雲仙妙見岳
16島原城
17北村西望 平和の女神像 島原城
18北村西望(きたむらせいぼう) 日蓮上人像 島原城
19北村西望 若き日の織田信長像 島原城
20北村西望
21北村西望
22北村西望 原城跡の天草四郎像・・・天草四郎は豊臣秀頼の遺児?
参考資料:前川和彦著 『天草四郎島原決起の謎』 日本文芸社 84年11月発行
23原城跡
24原城跡
25雲仙普賢岳・原城跡一帯(NASA衛星画像)
C.阿蘇カルデラ、九重連山、耶馬溪
1阿蘇カルデラ全景:05年10月20日15時19分・高度約12,000米上空から撮影
2阿蘇カルデラ全景
3阿蘇カルデラ全景
5阿蘇山(杵島岳、烏帽子岳、中岳、高岳)
6阿蘇山の山々:この写真及び下記説明文は阿蘇市の許諾をいただいて転載しています。
転載及びコピーは禁止します。
阿蘇山(阿蘇五岳と外輪山)
阿蘇が現在の山容になるまでは古い活動の歴史があり、10万年前、阿蘇が現在ある場所には
数多くの火山があり、活発な活動をしていました。これらの火山が一斉に噴火活動をし、
火山灰、溶岩などを噴出、この活動が終ると大陥没がおこって、今の外輪山の原形が生まれました。
このくぼ地に火口湖ができ、立野付近で断層や侵食がくり返され、湖水が流れ出しました。
3万年から5万年前に東西方向に並んで阿蘇五岳の山々が噴出したといわれています。
中岳(1,506m)
一般に阿蘇山といえば中岳火口見物を指すぐらい有名で、地鳴り鳴動とともに激しく噴煙を
噴き上げる様子は、自然の力強い息吹を感じさせます。溶岩の岩肌がむき出しになり、
火口壁のしま模様がきれいです。活動を続けている現在の火口を囲むように七重の火口跡があり、
古くから激しい活動を続けてきたことが想像できます。
火口は南北に人の耳に似た形で並んでおり、東西400m、南北1,100mにわたり広がっています。
7-1草千里展望台より見た中岳
7-2草千里ケ浜
7-3草千里ケ浜
8-1中岳火口
上記写真7及び8は大井啓嗣氏の有料使用許諾をいただいて転載しています。コピー及び転載は禁止します。
参考サイト:阿蘇山の風景
8-2中岳火口
9往生岳、杵島岳、草千里ケ浜:豊肥本線・九州横断特急車中より撮影
10-1阿蘇外輪山・大観峰(画面中央):豊肥本線・九州横断特急車中より撮影
10-2大観峰展望台
10-3大観峰展望台
11南阿蘇からの根子岳のライブカメラ映像:06年11月9日08時16分撮影
この映像は「環境省生物多様性センター」運営の「インターネット自然研究所」の許諾をいただいて掲載しています。
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12黒川温泉
13-1九重連山
13-2九重連山
14耶馬溪、青の洞門と山国川
15禅海和尚の像
D.ナガサキ
1平和公園、爆心地公園、原爆資料館、浦上天主堂一帯(NASA衛星画像)
2爆心地公園の原爆落下中心碑
3長崎ロープウエーから見たJR長崎駅一帯
この写真は大井啓嗣氏の有料使用許諾をいただいて転載しています。コピー及び転載は禁止します。
4北村西望 平和祈念像
E.鹿児島
7西郷隆盛像
9小松帯刀像・鹿児島市清浄寺境内:この映像はワシモさんの許諾をいただいて転載しています。
コピー及び転載は禁止します。
明治の幻の宰相といわれた小松帯刀は明治3年、36歳の若さで病死した。
もし彼が生きていたならば、西南戦争の悲劇は起こらなかっただろうといわれている。
参考サイト:小松帯刀ゆかりの地
10大久保利通像
11仙巌園から見た桜島
12磯海岸から見た桜島
F.田原坂(たばるざか)
1熊本空港
2九州北西部(NASA衛星画像)
3久留米市上空から田原坂(たばるざか)・熊本市一帯遠望
4田原坂(たばるざか)一帯
5田原坂(たばるざか)一帯(国土地理院・地図)
参考サイト:田原坂資料館
6明治政府軍と西郷薩摩軍の配置状況(国土地理院・国土画像情報)
7田原坂(たばるざか)公園の案内板
1877年(明治10年)の西南戦争の戦死者は、明治政府軍6,403人、西郷薩摩軍6,765人、
合計13,168人といわれている。西南戦争における最大の激戦地が田原坂(たばるざか)の戦い
である。当時、熊本へ通じる、大砲や荷馬車が通れる唯一つの道が田原坂(たばるざか)であった。
西郷薩摩軍は三の坂に幾重にも陣を構え明治政府軍を攻撃した。飛び交ったは弾丸32万発。
9一の坂
10二の坂
11三の坂
12田原坂附近之戦略図
13田原坂公園
14田原坂公園
16南九州一帯(NASA衛星画像)
17田原坂資料館より見た雲仙普賢岳
G.中津、佐世保、高千穂、唐津、福岡
1中津市
2福沢諭吉先生像:中津駅前
3福沢諭吉旧居・記念館
4佐世保市の旧海軍電信塔:「ニイタカヤマノボレ」を発信した塔
5佐世保市の旧海軍電信塔:「ニイタカヤマノボレ」を発信した塔
6佐世保港
7佐世保九十九島
8佐世保九十九島夕景
9佐世保市浦頭・引揚記念碑
10西海橋
11唐津市
12唐津市遠望
13肥前・名護城跡と唐津市
14名護屋城のステレオ空中写真
15豊臣秀吉の戦争犯罪「朝鮮出兵」が受けた天罰−梅毒蔓延
16高千穂町・高千穂峡
この写真は大井啓嗣氏の有料使用許諾をいただいて転載しています。コピー及び転載は禁止します。
参考サイト:高千穂の風景
17高千穂町・高千穂峡(国土地理院・国土画像情報)
18太宰府天満宮と御神木・飛梅
19「御神木・飛梅」由来詞
20博多港−博多駅一帯と彫刻「那の津往還」の所在地(国土地理院・空中写真):
引揚記念碑:ここに海外からの引揚者の収容施設があった。
21豊福知徳氏作・那の津往還
22引揚記念碑
23九州全図(NASA衛星画像)
関連サイト:
1.志村英盛撮影 空から見た日本各地
2.視野を広げる、視点を変えて観察する
3.予習挑戦型へ脱皮して潜在能力を開発する
以上