「こんな夜ふけにバナナかよ」

渡辺一史著
北海道新聞社
2003年3月

自立は、助けを必要としないことでない。自分が何をしたいか、どこに行きたいか決定権を持つことにある。世話をかけて申しわけないとか、遠慮してわがままも言えないで暮らしている、多くの病院や施設の障害者がいる。

小学六年のとき筋ジスと診断される。障害の進行とともに、「脱施設化」の自立生活を目ざす。ついには人工呼吸器使用するにいたる。多くのボランテアに支えられて、壮烈に生き抜く姿が描かれている。

いつでも外出できる、何時まで寝ていようが、だれからもとがめられない、自由を求めて、23歳で施設を出る。自立生活運動にたずさわり、結婚、ケア付き住宅入居、5年で離婚、26歳で受洗している。

心臓に負担がかかるので、入浴は週一回、4人がかりで行う。体位交換は、一夜で5回から10回、痰の吸引、食事、ガーゼ交換、歯磨きなどなど。学生、主婦などからなるボランテア40人ほどがシフトを組み、昼夜、寝泊まりして彼の世話をする。500人もの人が彼とかかわってきた。

彼の生きたい気持ちは半端ではない。自我の塊をむき出しにする。かんしゃくもちで、荒れる。喜怒哀楽をさらけ出す。わがまま、厚かましさ、飾るところがない。表題のバナナは、彼の好き勝手なわがままに、ボランテアのつぶやき。

やめていくボランテアが少なくない。拒否や対立、摩擦が避けられない。葛藤、エゴとエゴがぶつかり合う。しかし彼は、妥協しない、引き下がらない。いのちの瀬戸際に生きている。

してあげる、かわいそう、献身、奉仕では長く続かない。「あれしろ」「これしろ」に、逆にありがとう、世話をさせてもらう、感謝の気持さえ必要とされる。彼に帰れとか、一から出直せとか言われて、一人前のボランテアになる。

それでも人が離れないのは、彼の寅さんのようなキャラクターにある。呼び名もいろいろ、尊師、鹿わん、鹿ピー。シカノ邸は社会の縮図、恋をし、結婚にいたる人もいる。彼との出会いで影響を受けて、進路や人生を変えられる。なんのために生きるのか、その生きざまから学ぶ。('06.11.4)


「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。」
イザヤ書43章4節