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――それにしても、今、私の胸の内にわだかまっている感情は、どのような名を付けるべきなのだろうか?
 
 
 
 

 驚愕? ――当然の反応だろう。

 憤慨? ――まぁ、これはない事もない。

 嫌悪? ――いや、流石にそこまでは……。
 
 
 
 

 しかし、より近いものをあげろと言うなら、これが一番相応しい気がする。

 すなわち――呆れて物も言えない、だ。
 
 
 
 

「――なるほど。オーナーの道楽が、期せずして二人を巡り会わせた訳か」

「そーゆーこと。あの子、育ちのせいか美術展の時は必ず顔出すから。

 ボウヤの方が偶然だったみたいだけど……こうタイミングよく訪れる辺り、そっちの神様のご加護でもあるのかねぇ?」

「それは……」
 
 
 
 

 考え過ぎだろう――と、言い切れない辺りが複雑ではある。

 確かに、こうも立て続けに話があると彼女の言うように、『その手の存在』の意図が介入しているのではと疑ってしまう。

 ……私としては、そんな事よりも当面の問題の事の方が遙かに重要な訳だが。
 
 
 
 

(――まったく。本当に、悪い冗談のような話だな)
 
 
 
 

 内心、ため息をつく。

 先程聞かされた『ツァリーヌ』の恋と、絶句せざる得ないその相手。……あれから、もう数十分も経っていた。
 
 
 
 

 今では、このフロアに他の客の姿はなく、『ミレニアム』と『チェリー』の姿もない。

 これは先程、『チェリー』の『爆弾発言』を居合わせていた他の客達が聞き咎め、一時大騒ぎになったためだ。

 結果、このフロアにいた客達は皆別のフロアへと叩き出され、店のスタッフでもある彼女もまた、未だ怒り収まらぬ彼らの応対に出向く羽目となっていた。

 まぁ、彼女については自業自得と言う他ない。

 むしろ、付き合わされる形となった『ミレニアム』がいい迷惑だろう。
 
 
 
 

 ともあれ、騒ぎが落ち着き場の人数が四人となった所で、私はようやく『モナーク』から詳しい話を聞かされた。
 
 
 
 

 ――要点を絞ると、以下のような話らしい。
 
 
 
 

 先日行われた、当店の『フェア』――オーナー所蔵の美術展に訪れた『ツァリーヌ』は、そこである少年と出会ったこと。

 オーナーに似た雰囲気を漂わせる『彼』に、『ツァリーヌ』は妙に惹かれたこと。

 彼を追いかける内に『彼』と会話する機会を得、

 館内を案内する事になり、その中で少年への気持ちが本物の好意へと形を変えていったこと。

 最終的には、その気持ちを打ち明けてしまったこと。
 
 
 
 

 ――そして、『チェリー』の話の通り、『ツァリーヌ』が恋をした『彼』とは、『あの』遠野志貴だということ……。
 
 
 
 

「……むう」

「ん? どうしたんだ、『エル?』」
 
 
 
 

 思わず、呻き声が漏れる。

 横の『モナーク』が問いかけてきたが、答えられそうにない。

 『ツァリーヌ』に思い人が現れた事を喜んでおいて、いざ相手を聞けばこの態度。

 自分でも、身勝手なものだとは自覚している。だが……。
 
 
 
 

「――ははっ、旦那はあたしらと同じく既にひいきにしてる子がいるからね。

 くだんの遠野志貴が、その子を差し置いてまた別の女の子を引っかけたとなれば、いい顔は出来ないだろうさ。

 それも、引っかけられた子が浅からぬ付き合いの女性ともなれば尚更だ」

「あー……要するに、『エル』も『ヨランダ』や『チェリー』と同じ立場な訳か?」

「まぁね。ま、あたしとしては、旦那はちぃとばかり固くないかと思わないでもないけどさ。

 旦那ってば、一回説教してやりたいって顔に出てるし」

「…………」
 
 
 
 

 私が黙っている事をいい事に、『ヨランダ』はこちらを指差してカラカラと笑う。

 ここは『バーテンダー』のカウンターであるし、彼女には自分の持ち場があるのだが……最後まで付き合うつもりなのか。(ちなみに、『バーテンダー』は彼女に全て任せるつもりらしく、隅に移動してグラスを拭いている)
 
 
 
 

 ともあれ、先の言については否定出来ない。

 事実、もし今の私が彼と顔を会わせようものなら、苦言の一つや二つは確実に告げているだろうから。
 
 
 
 

 ――遠野志貴。

 直接の面識はないが、私は彼の事をよく知っている。

 と言うより、彼は今現在、店内でちょっとした話題になっている人物なのだ。
 
 
 
 

 曰く、最近店に出入りするようになった、新入りの『ハイクラス・メンバー』。

 曰く、今回初めてタロットの0(ゼロ)――『THE  FOOL』――『カブキ』の『初代(オリジン)』を与えられし者。

 曰く、万物の『死』を視認できる、『直死の魔眼』の所有者。

 曰く、オーナーの『お気に入り』。
 
 
 
 

 そして、私の場合は何より先にこれが来る。

 曰く、『真祖の姫君』こと、アルクェイド=ブリュンスタッドの想い人――。
 
 
 
 

 ――そう。彼女が恋した相手は、既に多くの女性が想いを寄せているのである。
 
 
 
 

「でも、まぁ……『エル』が呆れるのも無理ないか。あたしの『世界』でも『八股』かけてる奴なんてそうはいないし。

 人格の方は『ツァリーヌ』の名誉を考えて置いとくとして、

 随分と女の子を引っかけるのが得意らしいな? くだんの『トオノシキ』って奴は」

「得意、と言うよりは無意識に惹き付けるって方が近いみたいだけどね。

 あたしは『チェリー』と違って例のボーヤは遠目に見ただけだけど、少なくとも女ったらしって感じはなかったよ?

 むしろ、周りの女性陣が熱を入れてる感じで」

「つまり、そいつが持ってるって言う妙な目玉の正体は、『直死の魔眼』ならぬ『女殺しの魔眼』……か?」

「――あっはっは。『モナーク』、それうまいわ」

「……やれやれ」
 
 
 
 

 二人が盛り上がっているのを尻目に、再びため息を一つ。

 ……やはり、素直に喜んだりはできそうにない。

 『ツァリーヌ』には悪いが、相手が相手である。これが別の男性なら、素直に喜んで応援もしてやれたであろうが。
 
 
 
 

(……まったく。少しは考えるべきではないかな、志貴君?)
 
 
 
 

 自らを好む七人の女性を差し置いて新たに八人目。

 その七人の内一人を、個人的に応援している手前。

 問題の八人目が、決して浅からぬ付き合いで、そういう出会いがあるよう願っていた女性。

 ここまでくれば、小言の一つや二つも浮かぼうというものだ。
 
 
 
 

 ――まぁ、だからといって彼への評価を著しく下げるつもりはないが。
 
 
 
 

 『彼女』――アルクェイドの口から聞く彼は、幾らかの問題はあれど、決して嫌悪を覚えるような人物でないようであるし。

 彼女らにしてみれば、その辺りも含めて彼が好きなのだろう。

 この件も、彼の魅力(?)故と考えれば、苦笑と呆れを以て済ませるしかない。
 
 
 
 

 ……ただ、彼は彼で自覚して欲しいと思う。

 誰に対しても誠実というのは概ね美徳だが、女性関係に於いてのそれはある意味悪徳なのだから。
 
 
 
 

「……ふむ?」
 
 
 
 

 そこで、ふと気付く。
 
 
 
 

(……『モナーク』には、志貴君がどう見えているのだろうか?)
 
 
 
 

 今回の話は、『モナーク』が持ってきたものだ。

 どうやって聞きだしたのかは聞いていないが、多分、彼女は友人の恋の相手への興味からここにやって来たのだろう。

 ならば、ここまでの話で彼女は彼をどうみたのだろうか?

 ともすれば、『女の敵』とも受け取られかねない彼の話を聞いて

 一応、先程までの口振りでは、不快感の類は感じられなかったが――。
 
 
 
 

「――しっかし、シエルも大変だねぇ。

 旦那がひいきにしてるコもそうだけど、まぁたライバルが増えるんだから。

 現状でさえ苦戦してるってのに、さ」

「む……」
 
 
 
 

 『ヨランダ』のふと漏らした呟きに、我に返った。

 見れば、さっきまでは笑っていた彼女も、その表情が苦笑めいたものへと変わっている。
 
 
 
 

 ……確かに、その通りだ。

 『ツァリーヌ』の恋ばかりに意識が向いていたが、それは志貴の周りの女性達に新たなライバルが生まれる事を意味している。

 その存在が知れれば、アルクェイド達も気が気でないのではないか。
 
 
 
 

(……相談を、受ける事になるかも知れないな)
 
 
 
 

 恐らくその通りになるであろう予感に、なんとなく苦笑を浮かべる。

 さて、その折には何と言えばよいか……。
 
 
 
 

 ――と、ふと横から妙な呟きが耳に入った。
 
 
 
 

「あー……」

「む?」

「うん?」
 
 
 
 

 困惑の類をにじませたその呟きに、私はそちらへ視線を向ける。

 そして、眉をひそめる。声の主は、『モナーク』だった。

 先程までとは違う、露骨にしかめられた顔。嫌な事を言われた――そう言いたげな。
 
 
 
 

 ……おおよそ彼女らしからぬ、態度。

 『ヨランダ』もまた、急に様子の変わった彼女を不思議そうに見つめている。

 やがて、彼女は顔をしかめたままの『モナーク』に問いかけた。
 
 
 
 

「……どうしたんだい? 急に顔をしかめちゃってさ?」

「えーと……あのさ、『ヨランダ』。それに、『エル』。かなり今更な話で悪いんだけど――」

「今更?」
 
 
 
 

 眉をひそめた『ヨランダ』に、『モナーク』は顔をしかめたまま続ける。
 
 
 
 

「――少なくとも、今の所は『ツァリーヌ』を頭数に入れる必要はないし、ゴタゴタの心配もないと思う。

 あいつ……その争奪戦に加わるつもりは、さらさら無いらしいから」

「――はぁ?」

「何……?」
 
 
 
 

 その内容に、『ヨランダ』らは元より私もまた声を漏らしていた。
 
 
 
 

 ――何だ、それは?
 
 
 
 

 訳がわからず、ただそんな思考が脳裏に過ぎる。

 しばしの沈黙の後、『ヨランダ』が困惑の表情を浮かべつつ口を開いた。
 
 
 
 

「……ええと、『モナーク』。それは一体どういう意味だい?」

「知るかよ。……途中でブチ切れたせいで、図書館を追い出されて詳しい事は聞いてないんだから」

「あ? ちょっと、『モナーク』。途中でブチ切れたって――」

「――悪いか?」

「…………」
 
 
 
 

 不機嫌さを隠しもしない、睨むような眼差し。

 急速に不機嫌になった『モナーク』に、『ヨランダ』も言葉を失う。

 私もまた、彼女の様子に驚きを隠せなかった。

 性分として短気ではあるが、反面呆れるほど大らかな『モナーク』が、ここまで怒りを露わにするのは珍しい。

 どうやら、彼女本人としては、余程腹に据えかねる出来事だったようだが……。
 
 
 
 

 しかし、ならば何があったのか。

 私は、自分の状態が自覚できているのか、バツが悪そうに視線を外した『モナーク』に問いかけた。
 
 
 
 

「……そういえば、『モナーク』。

 先程から気になっていたんだが、君は何故『ツァリーヌ』と志貴君の事を知っていたんだ?

 今、図書館でどうこうと言っていたな?」

「……ん」
 
 
 
 

 間を置いて、『モナーク』は頷く。

 困惑を露わにした顔。

 善くも悪くも、感情が直に表情へ出るという事だが……彼女がこんな顔をするのを、初めて見る。

 『ヨランダ』も同じ思いらしく、眉をひそめて彼女を見つめている。
 
 
 
 

 ――と、『モナーク』は小さなため息をついて口を開いた。
 
 
 
 

「……数日前、さ。いつものように『魔界図書館』に行ってみたら、あいつの様子がどうもおかしかったんだよ。

 それに、なんか『匂い』の方も違ったし」

「『匂い』?」

「――あ、悪い。それはこっちの話だ。

 とにかくさ、そんな訳で気になったから、絡みに絡んで何があったんだって吐かせたんだ。

 そうしたら、先日の『フェア』で好きな人が出来たって」

「吐かせた?」

「……微妙に引っかかるものがある物言いだね、それ」
 
 
 
 

 少なくとも、吐かせたとはこともなげに言える事ではないと思うのだが?

 ……まぁ、それはいい。今は話の方が先だ。
 
 
 
 

 『モナーク』は、再びため息をつく。
 
 
 
 

「『好きな人が出来た』……最初は、あたしも喜んだんだよ。

 当然だよな? 友達に好きな人が出来たんだから。

 あいつの過去については聞いてたし、巡り巡ってやっと本当に好きな人が出来たって聞いてすげぇ嬉しかった。

 ――なのに、あいつ何で……」

「……先程、志貴争奪戦に加わる気はないらしいとか言っていたな?」

「ああ。……あいつ、真顔でンな事をぬかしやがった」
 
 
 
 

 吐き捨てるように、『モナーク』は言う。

 その時の事を思い出したらしい。……言い換えれば、それだけ感情が安定していないということ。

 事実、彼女は怒っていると言うより、色々な感情が入り交じった、ふてくされたような表情をしていた。

 そんな中、『ヨランダ』が再び口を開く。
 
 
 
 

「えーと、『モナーク』? 今、なんとなーく思い当たったんだけど……もしかして、『ツァリーヌ』ってば最初から――」

「――ああ、そうだよっ! 人がせっかく協力を申し出たってのに!!

 あいつときたら……断るだけならいざ知らず、

 『最初から実らない恋だろうし、実らせるつもりもない』なんて、友達相手に真顔で言うかっ!?」

「な――」
 
 
 
 

 その内容に、私は絶句した。

 ……確かに、思わず彼女の正気を疑ってしまう話である。

 まるで、今までの話を全否定してしまうような言。

 その雰囲気に惹かれ、接する内に明確な形に帯び、最後にはその気持ちを打ち明けた。そのような経緯。

 なのに何故、彼女の口からそんな言が出てくるのか。言った理由がわからない。
 
 
 
 

 ――その時、ふと脳裏に過ぎるものがあった。
 
 
 
 

「――こっちが聞いても、黙りで通しやがって! 訳わかんないっての!!」
 
 
 
 

 不意にカウンターを強く叩く音。

 見ると、『モナーク』が力任せにカウンターを叩いていた。

 どうやら、先日の事を思い出している内にすっかり頭に血が上ってしまったらしい。

 見た所、すっかり勢いがついてしまっている。

 止めるか? 私がそう思ったその時――。
 
 
 
 

「――何が、多くは望まないだっ! 独りの時だけでいいだっ!

 誰もいない時だけ、『貴方だけの』って、三流小説家の恋愛小説じゃないんだぞっ!

 ンな都合のいい立場、言葉に遠慮を抜かせばそこらのしょう――」

「――コラ」

「――っだぁっ!?」
 
 
 
 

 『モナーク』の怒声を遮るように、『ヨランダ』の四本の腕の一つ――の指先が彼女の額で弾かれた。

 指を弾いただけとは言え、そこは『神』の一柱。『モナーク』の上半身が吹き飛ぶように綺麗に仰け反る。

 そのまま大きな音を立ててスツールから転げ落ちた彼女は、すぐさま跳ね起きると『ヨランダ』を睨み付けた。
 
 
 
 

「ってぇなっ! ――何すんだよ、『ヨランダ』っ!?」

「……なーに、エキサイトしてるんだか。

 幸い、このフロアには客はおろか店員もほとんどいないけど、だからって何を言ってもいい訳じゃないよ?

 混乱で逆ギレした挙げ句、変な事を口走ろうとした奴を止めて何が悪いさ」

「う……」
 
 
 
 

 『ヨランダ』の言葉に、『モナーク』は額を抑えたまま呻く。
 
 
 
 

「とにかく、落ち着きな。とりえず、話はそれからだ」

「うー……」

「ま、あんたに落ち着きなんてものが出たら、逆に気味悪いとは思うけど。

 ……で、それはそれとして――」
 
 
 
 

 沈んだ表情で俯く彼女を尻目に、『ヨランダ』はこちらへと振り向いた。
 
 
 
 

「――面白い事になったと思ったらオチがこれとはね。ねぇ、旦那?」

「……笑う事でもないと思うが?」
 
 
 
 

 流石に、その愉快そうな笑みに苦笑を以て応じるゆとりはなく、私は憮然とした表情で応じた。

 それから、私は改めて『モナーク』へと視線を向ける。
 
 
 
 

(――実る事はないだろうし、実らせるつもりはない、か)
 
 
 
 

 ……まったく、今日は驚かされてばかりだ。

 『ツァリーヌ』のこと。遠野志貴のこと。そして、訳のわからぬ恋のこと。

 せっかく好きになったのに、それ以上は進もうとしない、進む気もない。『モナーク』が混乱するも尤もな話である。
 
 
 
 

 ――ただ、特定の時間だけ貴方だけのものであればいい。
 
 
 
 

 彼女も言っていたが、確かにそれはひどく都合がいい立場に過ぎない。

 自分にとってではなく、相手にとって。

 それは、自分を騙し続ける――欺瞞が大部分を占めるような恋。

 大抵の者が、その選択を罵倒するだろう。
 
 
 
 

 ……しかし、『ツァリーヌ』らしいのかも知れない。あえて、それを選ぶ辺り。
 
 
 
 

「……さて、と」

「『ヨランダ』?」
 
 
 
 

 不意に、『ヨランダ』がカウンターから身を離した。

 私の問いに、彼女は隅にいる『バーテンダー』へ視線を向けつつ応じる。
 
 
 
 

「いや、あたしもこの辺で席を外そうかと思ってね。

 いつまでも向こうの『バーテンダー』を押しのけて、ここに居座る訳にもいかないし。それに――」
 
 
 
 

 そこで彼女はチラリ、と床に座り込んだままの『モナーク』を見やってから続ける。
 
 
 
 

「――色恋の相談については、旦那の方が得意だからね。余計な茶々を入れる邪魔者は消えておいた方がいいだろう?」

「…………」

「じゃ、あたしはこれで。『バーテンダー』、悪かったね。

 ……それと、旦那。『モナーク』と『ツァリーヌ』の事頼んだよ?」

「ああ。善処はしてみるよ」
 
 
 
 

 少々意地の悪さが見え隠れする笑みを残し、『ヨランダ』はカウンターを出てそのまま店内の奥へと歩いていった。
 
 
 
 

 それを見送った後、『モナーク』へと視線を戻す。

 彼女は、先の指摘が応えたのか、未だ沈んだ表情のまま座り込んでいる。
 
 
 
 

 ……厄介な仕事を押し付けられたものである。

 確かに恋愛指南の真似事はしているが、今回のケースはそれとは違う。

 成就云々ではなく、私的な考察。しかも、それを他人に納得させねばならないのだ。
 
 
 
 

 まぁ、とりあえずは――落ち着かせる方が先か。
 
 
 
 

「……そろそろ、スツールに戻ったらどうかね?

 いつまでも床に座っていては、営業の邪魔になってしまう」

「あ、ああ。そうだな……」
 
 
 
 

 私の指摘に、『モナーク』はようやく立ち上がって尻の辺りをはたく。

 飲み物でもと思って『バーテンダー』へと視線を向けると、既にこちらへと戻っていた彼は、何やらカクテルを作り始めていた。

 どうやら、彼なりに察してくれていたらしい。

 やがて、スツールに戻った『モナーク』の前に、彼の作ったカクテルが置かれる。
 
 
 
 

 ――流石は『バーテンダー』。彼女の好みを心得ている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

★ファンタジー・グリーン・フィズ『Fantasy green fizz』★
 

 グリーンティー・リキュール………45ml

 ジン………30ml

 レモン・ジュース………15ml

 エバ・ミルク………1tsp
 

  以上をシェークして、大きめのタンブラーに注ぐ。
  氷3、4個を加えて、ソーダで満たす。
  ※カットしたレモンを飾ってもよい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「……『バーテンダー』、これは?」

「落ち着くのに役に立てばと」
 
 
 
 

 問いに、微笑を讃えて『バーテンダー』は応じる。

 『モナーク』は少し困ったような表情を浮かべたが、好意に甘える事にしたのか、おずおずとグラスに口を付ける。
 
 
 
 

(……彼女としても、相当に困っているらしいな)
 
 
 
 

 普段の彼女では、考えられないような飲み方にそんな事を考える。

 いつもの彼女の飲み方には呆れていたはずなのに、今の姿を見ると、彼女の飲み方に少なからず好感も覚えていたのに気付いてしまう。

 軽く驚くのと同時に、苦笑が浮かぶ。

 ……つまり、彼女はどこまでも彼女なのだ。

 彼女らしくない仕草は、どんな形にせよたただ強い違和感を覚えてしまう程に。
 
 
 
 

(――責任重大、だな)
 
 
 
 

 今更な自覚。

 しばらくすると、『モナーク』はグラスから口元を外し、チラチラとこちらに視線を送り始める。

 頃合いか――私は、彼女に問いかけた。
 
 
 
 

「……落ち着ついたかね?」

「ん。……悪い、さっきは頭に血を昇らせちまってさ」

「それはいいさ。それより、そろそろ何を相談したかったのか、私に教えて欲しいところだな」

「……わかってるよ。あたしだって、そのために来たんだし」
 
 
 
 

 『モナーク』は一旦視線を外し、中身の残るグラスを手の内で弄びながら応じる。

 本来ならマナー違反だが……まぁ、今はいいだろう。『バーテンダー』も口を出す気はないようだし。
 
 
 
 

「……正直、『ツァリーヌ』の事も含めて、訳がわかんなくてさ」

「そうらしいな」
 
 
 
 

 ポツリ、と漏らした呟きに応じる。

 ……確かに、彼女には難題だろう――そう思うのは傲慢だろうか?
 
 
 
 

 『モナーク』という女性の思考は、日の光のそれに近い。

 常に真っ直ぐ。単純明快で、わかりやすく、まどろっこしい考えを好まない。

 日の光のように、何かに『遮られる』事はあっても、自ら『曲がる』事は有り得ない。

 それが彼女の魅力なのだが……欠点でもある。
 
 
 
 

 ――日の光は、前へ真っ直ぐにしか進まない。自ら『曲がる』事はないし、『後ろ』に進む事もない。
 
 
 
 

「……好きになって、気持ちも打ち明けたんだろ?

 なら、やる事は一つのはずなのに、あいつはあちら側に都合の良い立場に収まる事を選んで……訳がわからなかった。

 途中でやかましいって図書館から叩き出されたから、詳しく話を聞き出す事も出来なかったし。

 それで自分で考えて、あいつの惚れた相手――『トオノシキ』が問題なのかなって思って、ここに来たんだ」

「ここで当の志貴君と出会ったのなら、志貴君の事を知る者も居るだろうと?」

「ああ。あいつの口から新入りの『ハイクラスメンバー』だとは聞いてたし、なら話題にもなってるだろうって」
 
 
 
 

 彼女なりの思考、『ツァリーヌ』への理解のための努力。それが、余計にズレを生む。
 
 
 
 

「……それで、『ミレニアム』達を?」

「ああ。『バーテンダー』に聞いてみたら、

 あいつらは面識はともかく、何かしらの形で『トオノシキ』と関わりがあるって教えてくれたからさ。

 オーナーの奴とか、直接面識のある連中は、いろんな理由でみーんな捕まらなかったし。

 ……まさか、ンな奴だとは思わなかったよ」
 
 
 
 

 そこで苦笑。……やはり、『八股』そのものは嫌悪の対象にはなっていないらしい。

 この辺は、『世界』の違いからの倫理観の差違からだろうか?
 
 
 
 

 と、不意に『モナーク』が真顔でこちらを見つめる。
 
 
 
 

「……なぁ、『エル』?」

「何かな?」

「『ヨランダ』がさっき言ってたけど……あんたの応援してる奴って、いい奴なのか?」
 
 
 
 

 確認するような、問い。

 私は、『彼女』に対して思っている事そのままに答える。
 
 
 
 

「そうだな。容姿もさることながら、純粋で素直で――魅力的な女性には違いないと思うよ。

 だからこそ、私は彼女の恋を応援してやりたいと思ったのだし」

「……そっか。『ヨランダ』と『チェリー』も似たような事を言ってたよ。

 まぁ、なかなか難しくはありそうだけれど、どーせなら『あの子』とくっついて欲しいな――ってさ」

「…………」

「……『トオノシキ』も、随分と魅力的な連中に好かれてる事で」
 
 
 
 

 そのしみじみとした呟きを、私は黙って聞いていた。

 言外に漂うもの。そして、口振りとは反対に、露骨にしかめられたその表情。
 
 
 
 

 ――それが、彼女なりの結論。間違っているとしても、ここまでが彼女の限界。
 
 
 
 

 納得できなくても、わからない。これ以上は、進みようがない。

 ……何故なら、その先には何もないから。他の考えを思い付くには、『方向』が違うから。

 それがわかるから、『モナーク』の表情が晴れる事はない。
 
 
 
 

(……まぁ、完全に間違っている訳ではないと思うが)
 
 
 
 

 内心苦笑を浮かべ、ため息を一つ。

 それから、私は口を開く。
 
 
 
 

「……私は、『勝ち目がないから』という後ろ向きな理由ではないと思うがね」

「…………」
 
 
 
 

 露骨に嫌そうな表情。わかっていても、やはり明言されるのは癪らしい。
 
 
 
 

「……『重荷になりたくない』という遠慮からでもないと思う。

 少しぐらいはあるかも知れないが、これならと本気で思うには、彼女はいささか聡明で、誠実過ぎる」

「…………」
 
 
 
 

 ふて腐れたような、安堵したような、そんな表情の『モナーク』。

 自分の結論は否定された事への、複雑な心境からだろう。

 彼女からすれば、先の二つの理由のような考えは絶対に許せないだろうから。
 
 
 
 

 ――勿論。だからと言って、私なりの結論が彼女にとって許せるものかどうかは別なのだが。
 
 
 
 

「……所詮、『ツァリーヌ』は私達とは違うからな」

「あん?」
 
 
 
 

 私が、ポツリと漏らした言葉に、『モナーク』は眉を寄せる。
 
 
 
 

 ……これも、彼女ではわからないこと。

 彼女にとっては、小さな問題ですらないだろう。

 それは無知によってではない。彼女は全てを知った上でも、当たり前のように受け入れるに違いない。
 
 
 
 

 ――でも、確かに違う。ここに『出入り』している私達と、ここで『生きる』彼女とでは。
 
 
 
 

「……『モナーク』。一つ聞くが、君はいつまでここを出入りする事になると思う?」

「はぁ? さっきのといい、変な事を言うな? そりゃあ――」

「――飽きるまで、かな? それとも生を終える手前まで、かな?」

「ん……?」
 
 
 
 

 私の言い方をどう受け取ったのか、『モナーク』の表情が険しくなる。

 しかし、それらに違いはないのだ。……少なくとも、彼女の居る『こちら側』では。
 
 
 
 

「言い方が悪かったのは、謝ろう。

 ……だが、たいした違いはないのだよ。少なくとも、時の概念が希薄なここではこの“店”ではな」

「なんか、さっきから思わせぶりな事を言うな。『エル』、いい加減はっきりと――って」

「……気付いたかな?」
 
 
 
 

 ……この[MOON  TIME]の中では、時間は流れると同時に止まってもいる。

 その中で、生きるということ。
 
 
 
 

 『ツァリーヌ』は聡明で穏和な人柄だが、真面目過ぎる。

 それを付き合いで知っていたせいだろう。こんな考えが浮かんだのも。

 そして、多分これで間違いない。
 
 
 
 

 言葉を途中で止めた『モナーク』に、私は告げる。
 
 
 
 

「……私は、彼女がこう思っているのだと思う。

 『所詮、自分はあくまでここの人間だから』――と」

「――――」
 
 
 
 

 ……つまり、いずれ取り残されるということ。

 『モナーク』は、ただ言葉を失ったようだった――。
 
 
 
 
 
 
 
 

continue………?

 
 


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