半蔵め、追いついてくるものと思ったが
つまらぬ
風魔小太郎は暗い板敷きの床に女を転がした。小太郎も女も雨に降られて身体が濡れている。
とはいえ女は眠っていたのではなく気絶をしていたらしい。小田原城にたどり着いてもまだ目を覚まさない。
主を迎えた二匹の狼が横たわる娘に鼻先をよせて、匂いをさぐっていた。
「喰うのはあとにせよ」
二匹は小太郎に鼻先を押し返されて、のどの奥で少しだけうなった。
服部半蔵の妻にしてはまだ若い。
小太郎は濡れて女の顔にはりついた髪を横によけて、改めて検分した。
美しい女である。
じ、と魅入る。
妻ではないにせよ、恋人か、あるいは徳川の姫か。
なんにせよ、半蔵の守ろうとしたものを奪えた愉悦がある。
宝箱を暴くような感情の高ぶりを感じながら、小太郎はその美しい娘の服を剥ぐ。
白い頬から、今はぬくもりの小さな首を指でなぞり、衿をゆっくりと暴く。
目の当たりにするはずだった白い肌の乳房は、たしかに白いのであるが傷がある。

なんだ

ひらいた衿から現れた肌にある傷はひとつや二つではない。刃物で刻まれてすでに傷跡だけになったもの、あるいはまだふさがっていないもの。
小太郎は女の腹まで合わせ目を開き、怪訝に眉根を寄せた。
さらに背を見、目を見張った。
背は深紫に変色していた。紫の中に斑に赤い内出血がある。

なんだこれは

頬を軽く叩いてみても目覚める気配はない。
衰弱した女は腕を引っ張っても髪を掴んでも糸の切れた操り人形のように揺れるだけである。
とうてい性欲を掻き立てられる種の生命力を感じさせない。
雨で体温を奪われている。

じ、ともう一度魅入る。
半蔵はなぜあのとき、すぐに人を呼ばなかったのか








夕刻過ぎて、女の気配が動いた。
小太郎は離れた暗がりからその姿を観察していた。部屋全体が海抜より下にあるここは窓もなく、ゆえに自然の光源は何一つなく、女のそばにおいた油だけが小さく橙色の明るみをつくっていた。
暗がり小太郎から女の姿は見えても、明るみの女から小太郎の姿は見えない。
「う」
身体を起こそうとして痛みに女がうずくまった。不器用な息遣いが聞こえる。
女は別に誰の名も呼ばなかったし、身動きも極力しなかった。
状況が変わったことに気づいていないのだろうか。
それではつまらぬ。
女は諦めたらしく、そのまま目を閉じてまた眠ったらしい。
つまらぬ
つまらぬ



明け方、海抜より低く窓のないその板の間に小太郎は戻った。
身分の高い女をさらってきたのなら少しは騒ぎになってるかとも思ったが、徳川は”北条の乱波者が侵入した”と文句を叩きつけてきただけで、誰がさらわれたとも南の庵が吹き飛んだとも・・・いや、吹き飛ばしたのは半蔵である。
つまらぬ
つまらぬ
つまらぬ

油はすっかり燃え尽きて、地下は真っ暗である。
手元で炎を灯す。
するとまず目に入ったのは狼であった。娘を転がしておいたはずのところで寝ている。
二匹並んで寝ている。小太郎が戻ったのに気づくとピクリと耳を動かして、のったりと目をあけた。
駆け寄ってきてエサをくれとならないのが奇妙である。
女はどこか
部屋の中には狼の気配があるだけでほかには見当たらない。まさかあの身体で逃げ出せるとは思えない。
「うぬら、喰ったか」
と近づいてみれば、狼と狼の間に女が寝ている。間に寝ている、というよりは”はさまれている”といったほうが正しい。
狼はさっきまでうっすら目をあけていたが、今は再び伏せの格好で寝ている。
かわりに女がうっすら目をあけた。
美しい女である。
女は何度か瞬きをして
「此処は」とかすれた小さな声が尋ねた。
おびえているようには見えない。動揺する体力もないのか。それでは面白くない。
小太郎は女の衿をねじりあげ、無理やり身体を引っ張り起こした。
女の顔が痛みに歪む。
これでいい
「うぬは何者か」
女は途切れ途切れに短く息を吐き、背を駆け巡っている鈍痛に耐えている。
「応えよ」
揺すぶるとういっそう痛がる。
だらりと下がった女の袖を狼が加えた。くい、くい、と引く。
下ろせ、下ろせと言いたいらしい。

、と」

女がしゃべったのに気を取られて、手が滑った。
女の身体は狼に引っ張られるままに、ドスンと床に落ちた。
もはや声にすらならない悲鳴があがる。
体中、指先まで強張らせた。
小太郎は落とすつもりはなかったのだが、結果的に怪我を打ち付ける形で落ちた。
狼たちは主のほうを見ている。
「・・・なんだ」
理不尽な責めの視線に風魔小太郎は凄みをきかせて睨みつけた。
途端に狼は女の額や首の辺りに鼻を寄せる。
先の寝姿も、女の冷えた身体に体温を戻そうとしていたに違いない。
いつ手懐けられたか。
さても、痛みに歪んだ顔も美しい女だ。



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