痛がるのに疲れたのか、死んだのか、女は静かに目を閉じてしまった。
眠る額から汗が床へ滑り落ちる。
殺すにしてもまずはこの女が何者であるのか知ってからにしたい。


攫ってからから二日しても徳川は騒がない。
風魔小太郎は徳川屋敷で勝手をしたことを、北条の翁に咎められた。

「小太郎っ!おぬし!勝手は!」
とここまで勢いよくきて
「よくないと思うぞ」
と咳払いしながら言い
「というふうにあやつが言っておった」
と北条氏政は隣に座っていた息子の氏直を指差した。
「ち、父上このやろう!」
「父に向かって父上このやろうとはなんじゃ!」
「父上てめえこのやろう!」
「父に向かって父上てめえこのやろうとはなんじゃ!」
「父上!」
「父に向かって父上とはなんだこのやろう!や、別にいいのかの」

北条父子が気づいたころにはすでに説教をしてやるはずだった風魔小太郎の姿はない。
天守から飛び降りて、ところどころの屋根に着地しながら下へ下へと降りていく。
小田原は夏を向かえたらしく、暑い。
晴天のもと混沌を欲しがる忍は下へ下へ、地の下へ。

女は狼を布団代わりに横たわっていたが、意識ははっきりしていた。
犬がもぞ、とうごく度に痛みに歯を食いしばっていた。
今も歯を食いしばった顔で風魔小太郎と対峙した。
地下は涼しい。
「犬を」
という女から切り出した。声は昨日ほどかすれてはいない。

「犬をかしてくださってありがとう」
「・・・」
「ぬくい」
「犬ではない」
「え」
「狼」
「おおかみ。おまえはおおかみというの」
は布団になってくれている狼の毛を指先で撫ぜた。
途端に尾だけ嬉しそうにゆっくり揺れる。嫉妬したのか、もう一匹の狼も近づいてきて、なんと腹を見せて寝転んだ。
「そちは”こかみ”ね」
言いながら腹を見せた狼の腹を触った。
「こかみ?」
「こちらの子より少し小さいから”こかみ”ではないのですか」

狼の名を”おおかみ”と”こかみ”であると思ったらしい。特に名前など付けていなかったし、どうでもよいことだった。
それよりもこの女こそ何者か。
「徳川屋敷で何をしていた」
「秀忠様の室にございます」
「ふむ」と小太郎は唸る。
徳川の嫡子、秀忠の側室。傷の具合を見るに一日で刻まれたものではない。
数ヶ月に渡って側室に悪戯を施したのが徳川秀忠本人というのが事実であれば、他国に知れれば事であろう。
「うぬのその身体は徳川一門の醜態というわけか」
半蔵が人を呼ばなかったのはこの女の存在を隠匿していたからか
そうだ、そもそも服部半蔵だ。
「なぜあの場に半蔵が居った」
女は「はんぞう」と不思議そうに繰り返して、ああと思い当たったらしい。
「忍の方は服部半蔵様でおいでだったのですか。高名な方に、悪いことをしました」
「何をしていた」
「偶然見つけてくださって、軟膏をくださいました」
「あの霧の日か」
「もっと、ずっと前からでございます」

は長いまつげをわずかに伏せて、床板の木目に視線をやった。
その高名な忍とやらが、俊足を持っているにもかかわらずを攫った風魔小太郎を追ってこなかった。
追わなかったといったほうが正しいだろう。

「あやつ、わざと我に攫わせたな」

は何も言わず、眉ひとつ動かさずにいた。
「忍をだますとはまこと忍の鑑。だが、動機は喰えぬ」
風魔小太郎は女の衿に手をかける。
「家康の狗にそこまでさせるとは、身体でたらし込んだのか」
乳房に手を重ねる。
やわらかな肉の輪郭を掴む。

「嫡子の手から逃れても、我に殺されるならば同じこと」
「好きにしてよい」
「なに」
「そちに命をとられても、忍の方に累は及ばないもの。わたくしを傷つけたのもすべてそちになる」

女はおびえたふうもなく、頬などゆったりとさせて微笑んだ。
微笑と凄みが睨み合う。

「秀忠様がしたことも、忍の方がわたくしを手当てしてくださっていたこともすべて隠れる」

やがて
女は
和ませていた顔を床へと伏せた。

見えない。


息だけの声が風魔小太郎の耳に届く。

「あまり見ぬでくださりませ」

そむけた顔から首へと続く白い肌にはほとんど傷はない。透明に近い白のままである。
首から下へ、肌蹴た肩口へ或いは胸元へ目をやれば細い傷跡が無数に
手を放すと、白い乳房にも無数の・・・
いま少し下まで暴けば、わき腹には大きく皮膚の薄い部分がある。小太郎がその鉤爪でなぞればたちまちに赤い血肉を見せるだろう。

顔を伏せた女を足元において見下ろしている。
服部半蔵にまんまと使われたこの状況に愉悦はなく、また怒りもない。
はて、
女は床に伏せた先でどんな顔をしているのか










汁物が飲めるようになって、猪肉も食わせてみたら吐いた。
女の背はといえば、赤や紫から深紫の斑になってきた。ところどころは元の肌の色に近づいて、ひどく打たれたところだけが未だに奇妙な色をしている。奇妙といっても小太郎と同じような肌の色である。
小太郎は女が寝ている間に腕を掴んで肌の色を比べてみた。
肌の色といい、肉のつき方といい、共通点をほとんど見出せない。親指と人差し指で女の腕をつまんでみると、ぷに、としている。この感触は狼どもの肉球だと小太郎は知った。
「・・・」
肉を”ぷに”とやっていたら女と目が合った。起きたらしい。目を丸くして、ぱちくり。
「それは・・・いやらしいことをなさっているの?」
小太郎もいやらしいことかどうか、一瞬考えてしまった。


粥がくえるようになって、猪肉も食わせてみたら吐いた。
「わたくしを殺さないの」と狼たちに挟まれて横たわったままの女。
眠たいのか、瞼は落ちかけている。寝る前に聞くことではなかろうに。

「・・・抱いてから殺してやる」
「そう」
「あとはそこの獣の餌とする」

小太郎が哂って言うと、は犬(狼なのだが)の毛を撫でて「そうか」と微笑した。
獣二匹はすでにピス、ピスと息を立てて寝ている。
凄んでもちっとも怖がりもしない。
風魔小太郎はおもしろくなくて、地下を飛び出して夏の暑い日ざしのもとにでた。



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