わたしの主殿と殿の話をしましょう。

殿はわたしをこかみ、とお呼びになる。我らを犬だと思い込んで「それはオオカミだ」と小太郎様が指摘したところから”おおかみ”という名前の犬と思い込んでおいでだ。おおかみの対だからわたしはこかみとなった。
誰にも呼ばれたことのない名がわたしのためだけにあてられたことを喜ばないでいれるだろうか。
首などわしゃわしゃと撫でられた日には、お腹を見せて横になることを許してほしい。
小太郎様が撫でてくれることもあるが、あの鉤爪がたまに痛い。

初めて小太郎様が殿を連れてきたときから、小太郎様はいつもの冷徹なご様子をすっかり乱されておいでで各地のメス狼に尻尾をふってしまうわたしなど、すぐに気づいたわけでございます。
これまでは服部半蔵服部半蔵と、徳川の忍のことばかりに興味をお持ちのご様子でしたのでそちら専門かとの疑いもございましたが、いやあまことによかった。
ということをおおかみに話すと、「両刀であろう」と言っていた。
そんな気がする。

さても先日、ついに小太郎様は殿とにゃんにゃんしたわけです。
にゃんにゃんしてる最中はわたしと”おおかみ”は屏風の後ろで耳をぺったんと伏せておりました。
なんといっても我らの主と我らの名付け親、殿のにゃんにゃんですのでまさか盗み聞きするなんて真似はしておりませぬ。
「こかみ、おまえ片耳あげてたろ」
「あ、あげてない!おおかみこそ片耳あげたろ」
「あ、あげてない!」

兎も角、

わたしもおおかみも殿のことが大好きで、小太郎様と祝言でもあげてくださればずっと一緒に居てくださるのにと思ってしまいます。
しかしどうやら”ずっと”はできなそうだ、とも思ってしまいます。
殿は”ずっと”が難しいご体調にあるように思われるのです。
このこかみ、獣ゆえ人のことはよくわかりませんがなんとなくこの人は惜しむ者たちをおいて土の下に消えてしまうように思うのです。
殿の傷はなおってきているけれど、ならばなぜこんなに歩きづらそうにするのだろうか。
時折歩くと膝から崩れて胸の辺りをおさえてしまわれる。
われらが擦り寄ると、ゆがめていた顔をぱっとやめて「困ったこと」と笑う。笑った直後に歯を食いしばり、額からたまの汗が落ちるのに。
小太郎様はまだその様をみていない。殿はその様を見せていない。
お医者に
主殿
この人間をお医者に
主殿
わたしたちには殿がどこが悪いのかちっともわからないんです、でもどこかが悪いのだとわかるんです
”ずっと”いれないなら
”もっと”いたいのです。

「こかみ」

呼ばれて鼻を上げてみれば
「ごはんをたべる?」
そういって、殿のために用意されていた猪の肉を柔らかく煮たやつの皿を私にさしだしていました。
細い手首とごはんと殿の顔を交互に見て、わたしは鼻の頭で皿を押し返しました。
主殿のいないとき、殿はごはんのほとんどをわたしたちに与えたりするから。
「わたくしはお腹がいっぱいで」
わたしはもっと皿を押し返す。それから風のように夕暮れの外へ飛び出した。

くらっとするようなにおいがする。あの橙色の花だろう、甘いにおいのするあの花だろう。
秋だ、秋の終わりの匂いだ。



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