殿、ご無沙汰しておりました」
「しばらく見ないうちに、大きくなられましたな」

兼続、幸村、慶次の三人は連れ立っての見舞いにきた。五年も三成と同じ城にいれば兼続や幸村と会う機会もあった。
はきちんと客を迎える格好をしていて部屋のどこにも寝具は見当たらない。
ほっそりとした体形は病人のそれだが、綿の入った羽織でうまく隠していた。

「この度はわざわざのお出ましありがとう存じます。お久しぶりにお会いできて嬉しゅうございます」
「こちらこそ。ああ殿。これは私の友人で」
「前田慶次と申す。ってな」

はくすと小さく笑った。

「おや、お二人はお知り合いでしたか」

幸村が目を丸くする。

「庭でお会いしたのです。慶次殿、松風は元気にしていますか」
「おう元気だとも。おまえさんこそ大丈夫なのかい。お顔が真っ白でずいぶん美人だ」

笑い声が起こって、お茶も振舞われた。

「ああ、そうだ。三成はもうしばらくしてから来るそうです」
「そうですか」
「まーったく、こんなかわいい娘さんとむさくるしい男三人を引き合わせといて危機意識ってものがないのかねえ」
「こら、慶次。あまり大きな声を出すから殿が驚いておいでだ」

はわずかの、ほんのわずかの間ぼうっとしていた。
思う。
危機意識、そんなものをもってくれるとは思わない。
三成の目には自分は見た目で男を惑わす魔性に映っているのやもしれぬ。
いまからえにしをふかべればあとあと・・・

殿、大丈夫ですか」と幸村の声がかかってははっと意識を引き戻した。
「あ・・・ごめんなさい。ぼうっとしてしまって」
「具合が悪いのではありませんか、でしたら無理せず休んでください」
「いえ。ご心配には及びません、午後にもなってまだ寝ぼけていたのです」
「どれ」

慶次は身を乗り出しての額に触った。

「熱はないご様子」
「けえじ!」

慌てた兼続と幸村が慶次を引っ張り戻し、無礼をわびた。は幼く見えるがすでに十七になる。
年齢を聞かされて「うええ!?」と大仰に目を丸くした。

「そうだったのかい。いや俺ぁてっきり」

十七の女性の肩をはずしたうえに抱き上げたわけだ。

「慶次殿はおいくつでいらっしゃいますか」
「俺はええと・・・にじゅうー・・・いや、さんじゅう…?」

上向いて指を折る。

「自分の年くらいまともにおぼえておらんのか」
「おうよ」
「えばるところではなかろうに」

三人があれやこれやと勝手にしゃべるのをは笑いながら聞いていた。慶次の盛り上がりはひとしおで幸村をしてお茶で酔ったと言わしめたほどだ。おかげで時がたつのも忘れて話し、気づけば夕刻が近づいていた。
三成は来ないままおひらきの時間となった。
が外まで送ろうとしたがとめたのは慶次だった。

「おっと、未来のだんなにおもてに出るなって言われちまってるんだろ」
「そうなのか?外出禁止とは厳しいな」
「最近めっきり寒くなったからでありましょう。春になればまた花見でも」
「それは素敵なこと、早く春になりますよう祈ります」
「俺が冬だったら殿のお祈りでころっと春になるんだがなあ」
「まったく、お調子者で申し訳ありません」
「いえ、とても楽しい時間でした」
「また年末にご挨拶に伺いますので」
「そうなのですか、楽しみにしております」

手を振り別れる。
三人の姿が見えなくなる。

は侍女が片付けに来る前に湯のみをきれいに片付けてしまった。
縁側と畳の境に視線を落とす。
足は部屋の内にある。縁側との境目まで一寸もない。
胸に
触れてみる。
胸は確かに小ぶりながらも女である。
手を鳩尾から腹部へ落とす。
とめる。
初潮

「みつなりさまの、やや」

できぬのでは。
では不要であろう。立春まで待つのさえ無駄なのではあるまいか。
三成はついにその日、の部屋にくることはなかった。
外は灰雲
立春まであとふた月






再び慶次がの部屋を訪れたのは師走もおわりに近いころだった。
慶次は三成にと会う許可を求めにきた。そこでちょっとした口論になった。
なぜ会ってやらない、なぜ許婚をないがしろにするのか、
そう尋ねられた三成はきつい目をさらにきつくして慶次を睨んだ。

「会う用事がないのに会う必要があるか」
「俺だって用事はねえさ。ただ会いたいからこうしてあんたに許しを請うてる」
「許可を与えている。なにが不満だ」
「あのお嬢ちゃんがあんたの許婚だとか聞いたからな。正面から奪い取ってやろうと思ったまでよ。だが、正面から行こうにも当の許婚などいなかったってわけだ」
「許婚ではあるが、茶のみ程度でいちいちと、勝手にするがいい」
「おう、勝手にさせていただくよ」

売り言葉に買い言葉、慶次が三成の前からいなくなると三成は書き途中の半紙に向かった。
文字はひどく乱れた。
ぐしゃ、とつぶす。



は慶次に会うのは楽しかった。
見聞をひろめたくとも遠くへ行くには難しいにとって、自分以外の誰かの目と耳が遠くの景色と遠くの話を知る術だった。慶次はとても上手に、可笑しく話をしてくれるし、自著の旅記や風景画をもってきてくれたりもした。
それでも三成の言葉はたびたび思い浮かんだ。
えにしをふかめておけばあとあと・・・
三成の言葉から目をそむけるのに慶次の奔放な振る舞いはありがたかった。驚いたり笑ったりしている間は三成の言葉が聞こえない。笑った後、驚いた後には鐘の中にいるように彼の声が聞こえ続けるのだけれど。



の体調は停滞している。
慶次は侍女からお湯と薬ののった盆を受け取り、部屋へ運んだ。
薬は実に八種類もあって、は白い薬紙をかたむけて粉をお湯でのみくだすのを八回も繰り返した。

「あのよお、そんなに薬のんでちゃ逆に身体に毒なんじゃないのかい」
「三成様が集めてくださったのです。各地へお出向きなさります度に高名な薬師様や御典医様のところまでいってくださって」
「意外だねえ。もう少し気の利かない悪辣なおぼっちゃんにみえるが」
「不器用なところはおありですけれどお優しい方です」
「本当にそう思うかい」

慶次にじっと見られてはゆっくり外へと目をやった。美しい庭だ。
外は灰色の雲、雪が降りそうだ。

「石田三成ともあろうお方が正室を娶ることをしなかったのはわたくしが太閤様の定めた許婚だったからなのです。身体のよくなるまでといってもう五年もお待たせしてしまいました」

目を細めて外を見ている。微笑んでいるのか、ただ目を細めて遠くを見ているのか、
それとも自嘲か。

「城も民も里もない女を、五年も待っていてくださった・・・」

の語尾が震えた。ごまかすように何度か軽く咳き込んで見せた。
白湯を湯飲みに注いであおる。

「すこし、薬が喉につまったようです」

はそう言って小さく笑った。
からになった湯飲みを置いたの手を慶次が掴んだ。
大人と赤ん坊くらいの差がある。
突然のことに手をひこうとしただったが、掴まれた手は抜けない。
腕が湯飲みにあたってごろんと湯飲みが畳にころがった。

「慶」
「あんたは」

が言い切る前に慶次の声が重なった。
鋭い鷲のような目がを見据えていた。
は肩をこわばらせて動けなくなってしまった。

「城も民も里もないなんて気負いだけで生きることたぁない」
「・・・」
「許婚などやめてしまえ」

慶次は強く言い放った。
けれど慶次はひるんだ。
これまで動揺で強張っていたの表情が、急に落ち着きを取り戻したのである。

「・・・立春まで」

声音静かに唇は穏やかに、緩やかに音をつむぐ。


「許婚の約定は立春で破棄されます」


慶次に言われるまでもなく、どうする手立てもなく、病弱なままの娘はすでに見限られていた。
ある意味では幸福なことだろう。の背中から豊臣家と石田家のためにという重荷がなくなる。
この美しさだ、引き取り手は数多あるはずだ。よいことだ。よいことだ。それなのに
なぜ目の前の娘は瞳に涙をためたのか。
慶次は怒気がうせた。虚脱感さえあった。
三成はと慶次をそわせようとしていたのではあるまいか。
捨てようとしていた物をほしがる慶次が現れて、渡された。
それでもなおは三成の謗りをひとつもしないというのに。
娘の首に手をそえ、くいと上向かせてくちづけた。やわらかな唇は苦い。薬の味だ。
が腕の中で暴れたのですぐに唇を放す。

「っおひきとりを」
「これ以上はしない」
「・・・今日は、おひきとりを」
「わかった。立春より早くまた会いに来る」






は部屋に一人とりのこされ、唇をぐいとぬぐった。
えにしをふかめればあとあと



腹に触れる。



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