殿と前田慶次は今頃何をしているだろうか。

二人にはおよそ倍にもなる年の差がある。身の丈もしかり。
そんな子ども相手に無体はすまい。殿に気があるのは確かのようだ。
どうということもない。
捨てるのに困っていたものの貰い手が自分から出てきて、手間が省けた。
そうだ、立春で殿は豊臣家からもはずされるのではないだろうか。身ごもることのできない女を政略結婚の駒にするにはいささか効力が足りない。
身ごもれぬ事実を隠せば或いは・・・。いや、まさかそんな仕打ちはすまい。
殿は頭も悪くない。出納の補佐にまわらせることはできないだろうか。いや、あの体の弱さで毎日の務めはできないやもしれぬ。では部屋でやらせてはどうか。それならば行き来する負担もかからぬし

「殿」

三成は左近に肩を叩かれるまでその存在に気づかなかった。
書物を読んでいたはずだがぼうっとしている間に頁はすすんでいない。

「何度も呼びかけたんですよ」
「考え事をしていた。どうした」
「侍女の話では、慶次殿が部屋を出て行かれたあと様が泣いていたとのことです」

三成は左近のほうへ向いた。

「理由を尋ねても腹が痛いからとのことで。慶次殿に事情を聞いてまいりましょうか」
殿の様子は」
「傷もなければ着衣に乱れも見られないそうで」
「そうか。慶次殿には尋ねなくてよい、私が明日殿のところへ行く」
「殿」
「なんだ」
「前田殿と様が二人で会うことを許可なさったというのは本当ですか」
「それがどうした」
「いえ、別に」

左近は眉を片方くいとあげて口をへの字にして滑稽に振舞う。
三成はそれが気に入らない。

「言いたいことがあるならはっきり言ったらどうだ」
「左近から申し上げたいことはございませんが、様の侍女からの伝言の伝言です、“三成さまにはしばらくお会いできない”そうです」

三成は勢いを失い、ゆっくりと書物のほうへ向く。

「・・・左近」

「は」
「明日、様子をみてきてくれ」
「承知しました」

左近は退出した。
三成の背はしょげているのが丸わかりである。
好きなのかは甚だ不明だが特別な意識がはたらいていることだけは確かだろう。
三成のことだ、前田慶次のことを面白くないと思っていてもおおかた売り言葉に買い言葉で許可してしまったのだろう。
ところでと左近は気づく。知らぬ仲という訳ではないが、自分とあの美貌が二人きりで会うのは許可してしまっていいのだろうか。

「信頼されてるってことですかね」

左近はそこだけは満足そうに笑った。

実のところ三成は、左近との関係を父と愛娘、くらいに思っていた。
「男」の定義に入っていなかったのである。






翌日、訪れた左近を迎えたのは湯薬を飲むだった。目は泣き腫らしている。

「左近」

はあっと驚いた顔をして、下を向いた。

「すまぬ、来るとは思わずにこのような格好で」
「なんの。相変わらずおきれいですよ」

寝巻きの浴衣である。
左近はに、自分が伊賀攻めをした織田軍にあったことは伝えていない。
は左近に懐いていて、すっかり伝えるきっかけを失っていた。伝えないほうがのためであり、何より自分のためである。

「お薬は飲み終わりましたか」
「あと三つ」
「ではゆっくり飲んでください」

左近はの横に座布団をもってきて座った。お湯の少なくなっていた湯呑みに急須から白湯を注いだ。
はうつむいたままこくりとうなずき、残り三つのうちの一つを口に運んだ。
お湯を飲む。ごくんと一気に飲み下す。首の皮膚の薄いこと薄いこと。

「外はずいぶん寒うございますな。明日は雪かもしれません」

は残り二つのうち一つを運んだ。ごくん。

「雪か、降るとよい」

言い終わってから最後の一つを流し込んだ。お湯で強引に喉にとおす。
紙で唇をふき取り、ふうと息をついた。

「左近、いま茶を用意する」

立ち上がろうとしたは左近に引き止められた。

「おかまいなく。朝餉と一緒にたらふく飲みましたゆえ」
「そうか、そう・・・」

どうやら顔を見られたくないらしい。もう十分泣き腫らしているのは見えているのだが。

「お加減はいかがですか」
「熱がある、でもほんの少しだから平気」

は”熱がある”の一言で布団の中にもどされてしまった。寝たままで左近と話す。
上から見られると泣きはらした目が丸見えではいやがった。布団を額までもっていってしまった。
左近は何も聞かずにとどまっている。

「・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・左近」
「はい」
「昨日はわたくしが勝手に感極まって取り乱しただけです。慶次殿にあらぬ嫌疑のかからぬよう」
「軍師を欺こうとなさいますな」
「・・・少し嘘だが、ほとんどは本当じゃ」
「本当の部分はどこです」
「わたくしがひとりでに取り乱したことです。三成さまのことを話しておりましたら最近いろいろありましたので、何を言っているのか自分でもわからなくなってしまって」
「姫」

左近はの言葉の続きを一旦止めた。

「左近は姫様の様子をみてくるように殿に仰せつかって参りましたので、様は微熱がありずいぶんお疲れのご様子でしたと申し上げておきます。殿にお伝えするのはそれだけです。ほかはご安心を」

はしばらく動かなかった。
それからもぞっと動いて頭から布団をかぶったまま敷布団に座り込んだ。
暗くて顔は見えない。

「三成さまにはもう会えません。わたくしは昨日、こ、ここでくちづけをしました。三成様には五年も待っていただいたのに最後にそれを裏切って終わるなど、最早あの方にどんな顔をしてお会いできようものか」

くちづけをした。左近はあきれた。
は自分からそのようなことのできる人ではない。
ともすればあの傾奇者が強引にしたのだろう。熊が兎に接吻するようなものだ。抵抗しようが勝ち目はない。
それにしても
三成様にはお会いできない、の意味は思っていたものと違った。石田三成の顔など見たくないといったのではない。石田三成にあわせる顔がない、という意味だったのだ。常に冷たくあたられ、ほとんど見ず知らずの男と二人きりで引き合わされても三成を憎んではいない。
憎んでいるのだとしてもそれを決して口にも態度にも出さない。

「それは驚きましたね」

の頭があるはずのところを布団の上から撫でる。肩が不規則に揺れる。
すすり泣く声がきこえはじめて左近はあやすべく、包まる布団ごと抱えて背中をたたいた。
「よしよし」
言いながらこれは難しい、と左近は思った。
三成に対するはもはや忍耐強いという言葉では言い切れない、どこかで感情が壊れている。
良く言えばいとおしい。
悪く言えば狂っている。

ゴホンと左近は咳払いをした。

「姫。左近とひとつ約束をしませんか」
「やくそく」
「そう、約束です。次に殿とあったときには正直に思っていることを言うこと」
「何を申し上げればよいの」
「姫が殿と面と向かったときに心に浮かんだことを言う、嫌なことは嫌とか」
「・・・」

嫌なこと、に思い当たる節があったのか。

「そんなことをしたら三成さまは落ち込んでしまいます」
「っよくおわかりでいらしゃる」

左近は意外にもが三成の習性を理解していたので笑ってしまった。
布団をめくって、まだぽろぽろと涙をこぼすの頬を手巾で拭きながらが泣きつかれて眠るまで膝の上においた。
うつら、うつらと瞼が緩慢に落ちる。
夢うつつの姫君が完全に眠りに包まれるその前に、左近は問うた。

里を焼いた者の系譜を憎まないのですか、と。

「憎むに飽いた」

目を閉じたまま云う。
眠たいのだね。

「いまはただ大切なものたちを大切にしたい、なにか返せるとよい」

それきり眠った。
左近はの頭を枕の上にそっともどし、布団をかけなおしてから退出した。


左近は夜中によく、この離れをのぞく。眠りながらうなされる子供を見たのは
一度や二度ではない。
焼ける里、絶える民を未だに夢に見て泣く。
身体じゅう強張って
汗をかき
宙もがく手を左近が握る。
するとふっと落ち着く。
唇が動く。

ははうえ

里を母を父を焼いた男の手にすがり、安堵の眠りに寿がれる。

憎むに飽いたと云った。
真実か。
偽りか。
虚勢か。



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