「姫様、入ってもよろしいですか」
「さこん!」

左近が障子戸を開くと布団に足をとられそうになりながらが駆け寄ってきた。
左近の腹にドンとぶつかる。

「おっと。ネズミでもいたんですか」

は左近の腹の中で首を横に振った。やわらかい胸があたっていてうっかり手を出したくなってしまうのをこらえて左近は尋ねる。

「昨晩は災難でしたね、お手柄ですよ」
「左近左近、どうしてよいかわからないのです」
「なにかありましたか」
「・・・いえ、なにも」
「ではどこか具合でも」

は首を横に振った。耳まで赤い。

「おねしょですか?」
「し、しませんっ」

左近は首をかしげてとりあえずを布団までもどした。
無理に聞き出してもよいが、なんとなく予想なのだが三成がまたいらないことを言ったのではないかと思った。それならばあえて聞き出して悲しい思いをぶり返させるのは哀れである。

「おっと遅れ申した。あけましておめでとうございまする」
「あけましておめでとうございます。そう、そうか。年が明けた」
「忘れておいででも仕方ないこと、姫様の鏑矢は城中に響き渡りましたぞ」
「・・・うむ、役に立ててよかった」

左近はの頭をくしゃっと撫でた。
彼女が言った言葉を思い出した。眠りに落ちる寸前に聞いた声。
織田の系譜を憎まないのか。
にくむにあいた
たいせつなものたちをたいせつにしたい、なにかかえせるとよい
立春まであと三十余日、
それから先彼女はどうなるのだろうか。思いを馳せながらも、左近は言う。

「本年もよろしくお願いいたします」

「よろしく」とうつくしい微笑が返った。



「実はですね。今日の新年の宴にご出席賜りたくまいったのですが」
「新年の。賊騒ぎはよいのですか」
「姫に怪我をさせた賊どもはこの左近がえいやと懲らしめておきましたのでご安心を」
「うん」
「動揺して宴を取りやめたとあっては石田三成の名がすたりますから、むしろ盛大にやりますよ」
「それもそうですね」
「でしょう。その盛大な席にぜひ大晦日の主役もお招きしたいと。まあ斯様なわけです」
「うん・・・」
「前田慶次殿や殿もおいでだからいやですか」
「嫌ではない。嫌ではないが・・・左近もいる?」
「おりますとも。ですが姫はお加減が悪くなるといけませんので飲酒は厳禁、時間制限付きでございますがね」

それはむしろの安心材料で、左近もそれがわかっていて言った。

「・・・うむ、左近がいてくれるなら行く」

そんなことをはにかんで言うのだからたまらない。
左近は全幅の信頼を寄せられていることを確信し、これはいよいよ手は出せないと心の中で苦笑いした。

「わかり申した。のちほど女たちをやりますので、御召しかえください」





髪には朱塗りのかんざしに、金糸銀糸の模様のはいった祝い羽織を打ちかけて、着物の重さでつぶされそうになっているが新年に相応しく艶やかである。
宴では三成の横に席が用意されていた。
三十人以上は居る、盛大な宴である。大晦日にも忘年会といって散々飲んでいたのに飽きないものである。
三成の周りにはなじみの面々に加え、前田慶次も座している。は腕を痛めているのでお酌は禁止された。
口付けした慶次は宴の真ん中で酒瓢箪を逆さにし、飲み比べをしている。
口付けを寸前で止めた三成は幸村、兼続との話が弾んでいる。
は三成に「あけましておめでとうございます」と言い、三成も鸚鵡返ししてそれ以降言葉を交わしていない。慶次はさかんに大声で笑っている。周辺にはすでに飲み比べに負けて酔いつぶれた者たちが横たわっている。

は慶次と目があった。
その瞬間、杯を天にかざす。

殿の勇姿にかんぱーい!」
「美しさにもかんぱーい!」
「とにかくかんぱーい!」

乾杯したいだけらしい。諸将もつられて乾杯して盛り上がっている。
「こら慶次、からむな」
兼続が言っても聞く男ではない。
「また驚かせてしまいまして、申し訳なく」
「いえ、あの元気さは見習いたいと思います」
「あなたが慶次のようになったら泣く者が出ますよ」

は次から次に挨拶したいという人物が現れて大忙しだった。

「いやあ大晦日に響き渡った鏑の音、まさに凛としたお嬢様にふさわしい音色」
「これは大陸からわたって反物でございます。白い肌によく映える赤でございましょう、ささどうぞご遠慮なく」
「いかがです。一献」
は愛想よく振舞うから次から次に列が増えていく。人に慣れていないわりには当たり障りのない返事をしている。左近は自分が横にいてもどうやら手助けはいらないらしいと思って手酌の酒に専念した。

殿を妻にできる治部殿はたいそうな果報者でござるな」
「そうであれば、わたくしも嬉しゅうございます」

そのとき、の瞳が一瞬揺らいだのを左近は見逃さなかった。
この方は、立春過ぎればただの女になる。しかしは傾いだ心を立て直して当たり障りなく応えた。予想外に酔っ払いはしつこかった。

「ご結婚はまもなくですかな?」

左近は内心頭をおさえた。いまのには禁句以外のなにものでもない。



「おおーし!一番前田慶次、出雲の阿国殿から習いし秘伝の阿波踊り、ご披露つかまつる!」



爆竹が近くで炸裂したかのような大声に一同の目が釘付けになった。慶次は上着を脱ぎ、芸者のもっていた扇をかりて屏風の前に躍り出ていった。歓声とあおる声と笑い声で座敷がいっぱいになった。

「阿国殿は阿波踊りなどせんだろうが」
兼続も幸村も笑って目も心もすっかり慶次のほうへいっている。
に並んでいた列も慶次のほうへ関心がうつった。は大立ち回りしている慶次に無言で頭を垂れた。
立春までで関係は終わる。
終わるのだ。
なにも始まらないままと三成は終わる。それを知る慶次は機転をきかせてわざと目立つ振る舞いをしてみせたのである。は腕の痛みをおしてみながするように手拍子をした。
三成はをちらりと見てから慶次のほうを睨みつけていた。

のために特別に用意されたお粥を左手で匙をにぎり、ゆっくりとすくいあげる。
利き手が使えないので、多少食べづらい。
兼続がすくと立ち上がってと三成の横に割って入った。の匙をやんわり奪い取ると「あーん」と言った。

「兼続」

三成がたしなめる。

「おまえは気がきかぬ男だ、三成。役得は私がいただこう」

もう一度あーん、といわれては仕方なく口を小さくあけた。一口噛んで飲み込んでから「ひとりでできますから」と恥じ入った。二口目もすくいあげた兼続は襟首をひっぱられて「あーん」をさせることができなかった。
「兼続、飲みすぎだぞ」
「嫉妬するくらいならばおまえがすればよかろう」
「嫉妬などしておらん」
「ではやるがよい。できぬのか」
「できる!馬鹿にするな」

三成は兼続から勢いでさじを奪い取ったものの、奪い取ったものの。
向かい合ったまま動けない。

「・・・ひとりでできます、ので」
「そう、ですか」

三成はためらいがちにさじを粥の中にもどした。およそこれに結婚を期待するほうが間違いなのか。
左近はため息をついた。

そのうち、が左近の袖を引いた。
頬などほんのり赤くなっていて目は潤み、唇が震えるように音をつむいだ。

「左近、すごく、眠たい」
「まさか酒をお召しに」
「ううん」
「じゃあ、酒のにおいだけで?あ、姫」

左近の腕に倒れてきてそれきり動かない。

「殿、ちょっと姫が酒のにおいでよっぱらちまったみたいなんでお部屋にかえしてきますね」

左近は立ち上がってを横抱きにして宴会場を抜け出した。まさか酒の匂いだけで眠るほど
酔える人間がいるとは思わなかった。左近は左近でおそるべきザルなのだ。

「少し風に当たればよくなると思います」

起きていたのか、と左近は腕の中の小さな姫君を見下ろした。ぐったりしている。
風にあたるといってもこの北風の中を吹きさらしにするわけにもいかない。
庭に臨む廊下に出たところで後ろから声がかかった。
三成である。

「俺が運ぶ」
「おや、珍しい」
「・・・勘違いするな。宴会を抜けだしたいだけだ」
「今日くらいは素直になったほうがよろしいですよ、殿。一年の計は元旦にあると昔から申しますでしょう」
「余計な世話だ」
「失礼つかまつりました」

三成の声を聞き、は左近の服にしがみついている。
これは簡単には引っぺがせないぞと左近は苦笑した。三成はむっとした様子で踵を返すかと思いきや、むっとしたままそこに突っ立っていた。
左近はを立てないとわかっていながら廊下に立たせた。左近の服につかまっているうちはよかったがすぐに首がぐらんと揺れて膝から崩れた。

「殿!手伝ってください」

ひとりでも簡単に抱き起こせるが左近はわざわざ慌てたふりをして三成にそれを頼んだ。三成も演技とは知らず慌てて手を貸した。
様、立てますか」左近は確信しながら尋ねる。立てるはずがない。
「立てます」と気丈な返事と裏腹には膝を廊下についている。

「普通に立ててませんよ」
「醜態を、お許しください」

は三成に謝った。三成はそんな謝罪など求めてはいなかったし、いくら皆の頼みとはいえ病み上がりの万年病人を新年の宴に呼び出した彼の非は認めざるを得ない。
ぐい、と三成がの帯を引張った。

「殿、帯を解くのはせめてお部屋で」

左近に茶化され今度はの後ろ襟を引張った。
の手はまだしっかと左近の袴を握っている。子供の根比べだ、と左近は呆れた。
「さこんっ・・・!」
「姫様、袴ひっぱると左近の大筒が出ちゃいますよ」

がぱっと放し、三成は間、髪をいれずにを抱えあげた。

「左近」
「は」
「人払いを」
「殿」
「人払いを」
「・・・御意」

は息を呑んだ。



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