もう深夜といっていい時間に兼続がの部屋に少しの酒と、膳を運んできた。
は最近ようやく夜眠る習慣が身についてすでに床にはいっていたが、身体を起こして「こんばんは、兼続」と言った。
膳は酒の肴になるキノコづくしで「いつぞやの歩行祝いにございます」と兼続は笑った。
笑った目の下がくぼんでいて、血色が悪い。
離れたろうそくの明かりでもそうとわかる。

「兼続、目の下が」

目の下に指をあてようとしたを、兼続の手が軽く押しのけた。
は伸ばした手を一瞬ゆるめて、その手に箸を持たされた。
は大きな眼を見開いて兼続の一挙一動を見つめていた。
たくさんお酒をのんでいる、そう思った。
それから、着物の着方がゆるい。
いつもはもっとぴっちりと衿を正しているのに。
それから

「兼続、あなたも本当は蛇?」
「人間です、どうしてです」
「夜行性なのかと」

徳利から猪口へ、透明の酒がそそがれる。
兼続の手にあって酒の水面がわずかに揺れた。

「いつもわたしと会ってくださって少しも寝ないもの」

くい、と飲み干し兼続は猪口を静かに床に置いた。
布擦れの音がはしった。
壁に映る兼続の影がすばやく動き、「あ」という間には組み敷かれた。
白い手が兼続の着物の背でもがく。

「待って兼続」

兼続はの耳の横に顔を置いて、首を食む。

「いやだっ、わたしは蛇」

兼続は止まない。
男の手が乱暴に身体をまさぐっていた。
同じ手がついこの前、白い手をひいて歩く練習をしていたとは思えない。

「やめねば噛み付く、わたしは毒蛇ぞっ」

動きは止まった。
しかしを覆ったまま動かない。
重みでは未だ這い出すこともかなわない。

「毒蛇」

地を這うような、生気のない声が耳奥をかすめた。
兼続は鼻で嗤った。

「殺すがよかろう」

嘲る。

「あの方と同じ場所へいけるなら本望」

組み敷く手が突然緩んで、は布団から逃れ出た。
廊下に飛び出したところで一度部屋の中を振り返り、呆然としている兼続の姿を見た。
膝をつき
肩を落とし
背中を丸め
床のただ一点を見つめていた。



翌朝、上杉の屋敷は喪に暮れた。













***



葬式の二日後、兼続は伏せった。

「兼続、ご飯を食べて」
「食事はいりません」
「お菓子がいいの」
「・・・あなたが出て行くのが一番いい」

はよたよたといつもの不安定な足取りで寄ってくると、兼続の肩に羽織をかけ直した。

「お水を置いておきます」
枕元に水のたたえられた湯飲みを置くと、兼続はそれをぱんと払った。
転がった湯のみから水がすべて流れ出た。床をぬらす。
「いりません」
「拭くものと新しいお水を持ってきます」
「いらないといっている!」

「・・・兼続、きっとあなたがみなの前で泣かなかったのは水を飲んでいないからです。水を飲めば思うだけ泣けるのだわ」

はそれを言い置くと遠ざかっていった。
兼続は布団の中に倒れこんだ。横たわった視線と同じ高さにこぼした水溜りができている。
戻ってきたは手ぬぐいと湯のみを持っていた。
兼続のそばに水を置くと、ごしごし床を拭った。その拭き方があまりにもへたくそで、水溜りは兼続の布団にまで迫っていた。
は縁側で手ぬぐいを絞り、また戻ってきて水を拭った。
また絞りに縁側へ、下手なしぼり方だと兼続は思う。
それからまた戻ってきて布団の傍らに膝をたたんだ。
「水はあなたのものゆえ、今でなくとも明日でも、あさってでもよいから。飲むとよいと思う」
が膝を起こそうとした、とき、
兼続は身体を起こし、湯飲みのふちを唇にあてた。
ぐび、と喉が鳴るほどに首をそらせて飲み干した。
唇のはしから水がこぼれる。
が嬉しくなるのを一瞬忘れてそれをぼうっとみていると、兼続は言った。

「あさってでは水が腐ります」

ふてくされたように言われ、はそこでようやく嬉しくなった。
「そう」
布団にひきこまれたは兼続が乳房に吸いついたのを抱きしめた。

「あなたに足たりなんだはやはり水であった」

兼続のわずかな震えをひしと抱く。
の胸をぬらす涙をぬぐう手巾はなかった。
嗚咽はいつしか止み、伏せて、情交には至らずに兼続は眠った。






兼続、
わたしは毒蛇だといったけれど
本当はね、わたしの毒はとびきりやすらかな眠りをつくることができるもので獲物を捕まえるときにつかったことは一度もないの
前に二度ほど、不眠症で悩んでいたフクロウを噛んだことがあるのだけれど、食べていないわ
本当よ
わたしはキノコのほうが好きですもの



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