おもむろに立ち上がり、ざぶざぶと水の中に入っていった陸遜を目で追う。
姫は驚いて声をかけた。
数刻前と逆の光景だ。今は陸遜が湖の中に入っていくのを姫が止めようとしている。
彼女の足が湖の水を踏んだとき、陸遜はすでに胸まで水に浸かっていた。

「ご心配なく!」

陸遜は水面に向かって叫んだ。横の髪で姫の位置から彼の表情は見えなかった。
わかるのは声が必死だということだけだ。陸遜はさらに湖の中へ進み、姫は青ざめる。

「頭を冷やす裏技なんです!だから、ご心配なボッ」

一歩進んだ先で足元を失ったらしく陸遜の姿は水面から消えた。


「あっ」

よろめきながら立ち上がり、姫はすぐさま水にわけいった。

「どこに、どこ・・・!」

呼ぶべき名前をこの時姫君はまだ知らないでいた。左手の拳の中、”一番いい石”を強く、祈るように握る。
陸遜から借りた外套がずしりと重く、姫はかろうじて着く水底を頼りに進む。
口の中に湖水が入った。
咳き込む。
湖の上は特にもやが濃くて手を伸ばした先さえ不明瞭だ。

「どこ、どこに・・・っ」

水をかく
水をかく
水を
あしがつかない
体が重い
あしが
しずむ
石を握った。


「ぷはっ!」

姫の身体は沈まなかった。
目の前に髪の毛の妖が現れた。
顔の前も後ろも横も髪の毛しかない生き物である。

「いいことを思いついたんです」

妖がしゃべった。一番いい石です、といったのと同じ声である。
身体を抱きとめられている。
姫は手の平でそっと、髪の毛の妖の前髪をすくった。
一番いい石です、と笑った少年の顔が現れた。





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