一対一のよにんめ  関平



「は、はじ、はじめまして!」

とてつもなく綺麗なご婦人と二人きりにされてしまった、でござる。
逃げたい、一刻も早くここから逃げ出して鍛錬して心と身体を鍛えてから出直したい!
歩くときに右手右足が同時に出たし、名乗るのさえしどろもどろになり、(心を落ち着けるには呼吸から)と父上の言葉を思い出し息を整えようと息の仕方を意識していたら息ができなくなって苦しむはめになり申した。
恥ずかしながら、はたから見れば拙者はまさに蛇に睨まれたカエルのような姿に違いない。吹き出してくる汗がとまらない。うっ、腹が気持ち悪くなってきたでござる。
「お顔の色が真っ青に」
心配した殿から声をかけられ
「へい!!」
と噛んだうえ場違いな音量で立ち上がってしまった。
立ち上がったきりどうしていいか分からず座る。これもまた恥ずかしすぎて、拙者は未熟者でござる・・・!
おお、おお、殿も目の前で困っておいでだ。
馬超殿曰く、元ははるか西の国の姫君で、一族郎党どころか国ごと曹操に滅ぼされ、この土地に来たばかりの心もとない身の上と聞く。なるほどひとつひとつの所作から指先と髪の先に至るまで清廉で神聖に見えるのは姫君ゆえか。傷心と聞くとそれもまた儚げで、しかしさらば拙者こそしっかりとりーどして、うぃっとに富んだか、か、かい、会話を・・・っ!
ちらりと殿を確かめる。

う・・・うつくしい・・・

ではなくて!!
どう、何を話したらよいものか・・・!
ああ、どうしてこのような大役が拙者のような不心得者に声がかかってしまったのか。

「・・・関平様は、星彩のお友だちだと伺いました」

「え、星彩・・・?あ、はい」

よく知る名前が出てきた。
星彩よりもやわらかい異性の声に緊張する。
「先日星彩とそこの庭で遊んだのです」
「おお、おお・・・!そうでございましたか、星彩とはもう会われていたのでしたね。いつ会われたのですか」
「三日前に」
「そうでしたか。星彩とは幼馴染のようなもので、といっても星彩と話すときもまだ緊張してしまうのですが」
「優しいひとです」
「ええ、拙者もそれはよくわかっているつもりです。ですが下手な事を言ったり、手合わせで下手を踏むと厳しい指導が返るもので」
共通の知り合いの会話というのは便利なものだ。
自然と口にのりがまわってきた。
一旦お茶で口を潤してこの勢いで話を
「あ」
手汗でだくだくになっていた手から湯のみが滑り 落 ち た ー !
お茶の飛沫は殿の裾にかかって、残りは床に水溜りを作る。

拙者は貝になりたい。

「も、ももももも申し訳もござらぬっ!すみません、熱いですか、火傷を」
ひざまずき、殿の皮膚と衣が癒着しないように着物を浮かせる。
「いいえ、熱くありません。大丈夫です」
殿はゆったくりとそう言った。慌てすぎの拙者をなだめるためにそのようにゆっくりおっしゃったのだろうとわかって、もうこれ異常ないほど自分が恥ずかしくなった。幸いにも茶は拙者が緊張してあたふたしている間にすっかりさめていたようで、火傷にならない温度だ。しかし放っておいては染みになってしまう。
「本当に申し訳ないでござる。すぐに染み抜きをいたしますゆえ」
お手拭と手持ちの手巾とで、とんとんとんとシミを取っていく。
あとがみるみるうちに薄れてゆくのを、殿は興味深そうに見つめている。姫君だったならシミ抜きの方法をしらなくても当然だが、ちょっと照れくさい。
「拙者は片田舎のさして裕福でない生まれでしたので、こういうのは得意なのです」
「どうしてこちらに」
「父上に拾っていただいて」
「・・・関羽様」
「おお、ご存知でおいででしたか」
「遠くからですが、お姿を見たことがございました」
「おお!いずこで」
「魏で」
聞いてはいけないことを聞いてしまった気がした。拙者が言葉をさがしたほんの一拍に気づいて「ご立派なお方だそうですね」と殿が続けてくれて助かった。
「は、はい!父上を尊敬しております!あなたもご両親を尊敬しておいでに違いない」
殿はへんな言い方をした拙者に一瞬驚いた様子だったが
「ええ」
とうなずいた。
「尊敬しています」
「そうでありましょうとも!あなたは礼儀正しい方だ。父君母君の教育のたまものです」
間違ったことは言っていない。
ぽっと頬をばら色にして「ありがとう」とはにかんだ姿は、初対面の印象よりもずっと生命にあふれた魅力を宿していた。



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