一対一のしちにんめ  姫君が風邪のため中止



あれからものの見事に俺の風邪がうつって、殿が倒れた。

「ごめんよー殿、ちょっとおでこを拝借・・・ってうわあひどい熱っ!大丈夫?吐きそうかい?咳は?身体起こしていて大丈夫なんですかぁ?」
「大丈夫です、馬岱様」

そう言って、確かにわりと大丈夫そうに頷いた。
目は熱で潤んでいるが呂律はまわっているし、意識もしゃんとしている。
扉にもたれかかって近寄ろうとしない若を、本当の意味で熱っぽい瞳が見つけて長いまつげはわずかに伏せられた。
この仕草はどういう意味だろう。
それに若もだ。
目も合わそうとしなかった若が、この距離感とはいえ離れまで来たのだから俺が倒れている間に少しは歩み寄りがあったのかもしれない。ならばこの部屋の殺風景ぶりを知って情が騒ぎ、なにか買ってやろうか、とか考えていたりするのかも。
「はやくよくなって。もしかしたらなにかいい贈り物もらえるかも」
耳打ちしたが、殿は首を傾げるばかりだ。
「・・・粥を取ってくる」
「え、若。そんなの俺が行くって」
ずっと黙っていた若が突然それだけ言って部屋を出て行った。

大股で進む若を追いかけ追いつく。
「戻っていろ」
振り返りもせずにこう言い放った。
何を怒っているのだろう。前にまわりこんで自分が行くからと制すが、若は思いのほか気落ちした顔でこう言う。
「おまえはそばについていてやれ」
ドンと胸を押され、俺はそれきり追いかけられなくなった。そして場の空気を読むことだけは得意な俺はわかってしまった。
若はおそらく俺と殿がいい仲だと思って、ド下手な気遣いをみせているのだ。
いじけている、ともいう。
殿が俺を看病したから?熱をはかるために手を額にあてたから?耳打ちなんてしたから?よく見てよ!殿が目を伏せたのは、若がちっとも近寄らないでムスっとしてたからじゃないの!?
「あーもう、なんでそっちに頭が行っちゃうかなあ」
いつもはあんなに猪突猛進なのに、こういうことばっかり頭でっかちに考えて。
廊下で髪をぐしゃぐしゃにしてどうしようか考えていると、女中がトトトっと駆け寄ってきた。
「馬岱様、お客様が」



「大丈夫でござるか殿」
「関平、見た目で大丈夫じゃないとわかるわ」
「う・・・そ、そうでござるが」
、あなた大丈夫じゃないわ。もうだめよ。だから寝ていて」
「星彩、もうだめというのは表現に問題があるんじゃ・・・」
見舞いに来た星彩と関平の漫才には赤い頬をなごませて笑った。
「おや、先客かい」
そこにホウ統殿もあやしげな粉末を携えてやってきた。滋養強壮の生薬だという。
「ああホウ統殿、先日は薬をありがとう」
「なに、礼を言われるほどのことじゃあないよ」
「苦かったけど良薬口に苦しってやつかな、よく効いたよ。殿にも同じものを?」
「いんや、おまえさんに飲ませたやつよりも苦くないしよく効くのを持ってきたよ」
「それどゆこと!?」
とか言っている間に殿の脈拍と熱、口腔の様子を看て、ホウ統殿はその場で風呂敷を広げるや、新たに薬を調合し始めた。
星彩と関平の声に、すり鉢をごりごりする音、時折殿が咳をするが病人の居場所とは思えないほど楽しげな声がしばらくの間、離れを包んだ。
長居はいけないとホウ統がいつまでも夫婦漫才を繰り広げてる若者二人を連れて帰った頃、粥を取ってくると言った若がまだ返らない。楽しげな声に恐れをなして、自分はいらない、とか思って引き返してしまったのではあるまいか。ぽつねんと鍋を持って引き返す主の姿が鮮明に浮かんで心配になり母屋を見に行った。
案の定、若君は無人の食卓にさめた粥の鍋を置いて何をするでもなく座っている。
「若、お粥持って行かないの」
「いまは客がいるだろう」
「いいじゃない、いたって。それにもう帰ったし。殿おなか空かせてるかもしれないよ。持っていこうよ」
「おまえが持っていけ」
「もう、若っ」
「乱暴した相手が作った食事だと思ったらまずかろう」
「えっ、こ、これ、若が作ったの?てっきり家来に作らせたのかと・・・」
若の頬に朱がさして、うっと唇を引き結び、しかしぷいっとそっぽを向き「悪いか」とぼそり言った。
涙が出るかと思った。あの、炊事洗濯家事全般は家来と俺任せだった生粋の若君が、病人のために粥・・・!(あれ?そういえば俺のとき作ってもらってないんだけど、ま、いっか)
努力に免じて
「じゃあ、俺が持っていくよ、今回だけだよ」
「ま、待て!」
「なに?」
「いちおう味見はしたが・・・俺はそういうなよなよしたものの良し悪しはよくわからん」
食べさせる相手のために味を気にする若の姿が浮かんだ。
「了解。も一度あっためなおす時に味をみておくよ」
若が唇をとがらせてそっぽ向いているのをいいことに俺の口はゆるゆるとにやけた。



「それね、若が作ったんですよ」
「え」
いまからまさに一口目のその直前で、殿の視線がお粥から持ちあがる。
両手で頬杖ついてニコニコ笑う俺の肩越しに殿は扉を見やった。もたれかかる姿はない。
「・・・いただきます」
ゆっくりすぎるほど時間をかけて可憐な唇がレンゲを食んだ。
殿の動きがぼんやりした。
噛んでるんだか、味わっているんだか、飲んでいるんだかわからない。どこでもない場所を見つめている。湯気が目を潤ませた。
「おいしいです」
二口目、三口目を口に入れた。
「あはは、そんなに無理してたくさん食べなくても大丈夫だよ」
「おいしいです」
「そう。じゃ、食べれるまでで」
そんなにおいしくはないはずだ。多すぎた水気は温めなおした時にだいぶとばしたけれど、それでも味は女中達がつくったほうが丁寧な味がする。でもあえてテコ入れはしなかった。
熱でおかしくなっているはずの舌で
四口目
五口目
六口目

「おいしい」

これ以上俺がなにかいうのは野暮というもの。
殿はきっと、おいしいと言いたくて食べているのだ。






午後に、馬超邸の門扉を叩く者がもうひとりあった。
「御免ください」
趙雲殿だ。
綿入りの女物をわざわざ買ってきていて、殿に手渡した。
ニ、三言やさしい言葉をかけて、そんなことをするから思い違いをして後に泣くご婦人が後をたたないのだ。いや、今回ばかりは相手がとんでもない美人だし、貢物も二度目だ。本気の想いもあるのかもしれない。
でも見えるかい趙雲殿、あなたの後ろ、離れの扉にまで出陣なされ、物言わず見張っている雷神様がおわします。だからどうかあまり刺激せずにおいてやってください。趙雲殿に本気を出されたら、せっかく若に傾きかけた姫君のお心が持っていかれかねません。
趙雲殿は殿が疲れ始めているのにすみやかに気づき、ごく短い時間だけ見舞って帰って行った。
日中ひっきりなしに人が訪れて律儀に付き合っていたのだ。疲れるのも無理はない。
夜にはぐったりして、ついにまともな会話もできなくなってしまった。
眠る前に若と一緒に様子を見に来たけれど、手をつけられなかった夕食の粥は寝台の横で冷めきっていた。
夜に飲ませるよういわれたホウ統殿の薬だけはなんとか飲ませ、しかし殿はそこで限界をむかえ、深く眠ってしまった。
「岱、もう行くぞ」
「うん」
最後に水差しを取り替えて、扉にもたれかかっていた若とともに離れをあとにした。



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