到着直後にハイウェイ爆発、落下した先で攻撃性強化型のドラッグを服用した準人型異界生物に襲撃され、アフタヌーン・ティーの時間にはホテル爆散ときて、レオナルドもスティーブンでさえも忘れかけていたことだがは「血改めの儀式」を執り行いにこんな剣呑な街までやってきた。
さぞや心労があるだろうと気遣い、クラウスは儀式の延期を提案したがはしずかに首を横に振った。
「それがわたくしの務め、そのために来たのです」
あくまで優雅な微笑みをたたえて、立ち居姿もうつくしくそう言われて儀式はすぐに行われることになった。
ギルベルトに伴われてが道具をとりに下に降りるとレオナルドはいまがチャンスと、スティーブンに疑問をぶつけた。
「血改めというと…やっぱりドグ・ハマーさんとデルドロさんの成り立ちみたいなことをするんですかっ」
「や、全然」
スティーブンの返事はあっけない。
ザップは大きなあくびとともに伸びをした。
「じゃあ何やるんスか?スターフェイズさんと旦那が受けるってことは俺らも受けるんスか」
「基本的には退魔の血を持ってる連中だが、別に受けなくてもいいぞ」
「なんスかその軽いノリ」
「今に伝わる魔を退けるわざは猊下のご先祖から退魔の血を分けられた、っていう信仰からきている儀式だからな」
そういうスティーブンはさっぱり信じていない顔である。
「時とともに血が薄まっていくのを避けるために、という名目で、首座が変わったり牙狩りの組織に加わったタイミングでやってもらうんだ。だからそういう信仰がない流派は頑なにやらないところもあるよ」
御不興買って予算削られるのが怖くないのかねえ、と最後の一言はクラウスに聞こえない声でボソっと言った。現代においてはスポンサー契約更新オナシャス!くらいの意味合いなのだろうとレオナルドは理解した。
とはいえ、血改めの儀式なんておそろしげな名前なのだ。レオナルドは想像する

は黒のローブを着こんで人間のドクロを携え、鶏の血で書かれた魔法陣の上にはとかげのしっぽ、蛇の目玉にコウモリの首、マンドラゴラの根が並び、それらをロウソクが不気味に照らす中で、生贄に鋭く太い杭が振り下ろされ断末魔が響き渡り―――戻ってきたはさきほどの服のままだった。

使う道具は銀の針と小瓶がふたつ、たったそれだけだという。
瓶のひとつには透明な液体、もうひとつには赤い液体がはいっている。
レオナルドとチェイン、ザップとツェッドが遠巻きに見守る中、トップバッターのクラウスがの前に片膝を折りその大きな背を丸めた。の目下にクラウスの首がさらされる。
は英語でもフランス語でもドイツ語でもない呪文をほとんど聞こえない音量で厳粛に唱えながら、銀の針を手にとる。
そして、鋭く光った切っ先を自らの手の甲へとさしむけた。
まさか刺すのか
「うっ」
レオナルドは思わず顔を歪ませ目をそらしたが、よかった、それは刺すフリだった。
引き続きなにかを唱えたまま透明の小瓶の蓋をあけ、針に水滴をつけるとクラウスの首の後ろにぽたりと落とした。
呪文がとまるとクラウスは体を起こし一礼、去っていく。
「ヘッ?いまのでもう終わり?」
ザップが目も口もぽかんとあけて言うと、ギルベルトがヒゲの奥で笑った。
「数世紀前は本当に銀の針で刺して血を分けていたそうですが、さすがにそういった因習はついえました。本部ではここよりさらに多くの退魔の血のわざを持つ者たちがいますからね。珠の肌が穴だらけになってしまいます。あの小瓶の血をたらしたということにして清めた水をたらすのが今のならいなのですよ」
「ちょっと拍子抜けですけど、よかったです。刺さなくて」
レオナルドの横でツェッドも胸を撫で下ろしていた。
「私めもそう思います。本当にあの方の肌を刺し抜いて儀式が行われていたなら今に坊ちゃまは卒倒なさるでしょう」
言い終わるまえにゴトンと大きな音がして、うつ伏せにクラウスが倒れていた。



いつもは散々自分の血を流しているのに、小瓶に入ったの血(実際には血ではなく色水だという)を見て貧血を起こしたクラウスを男子総出で仮眠室へ放り込んだ。
そのあとスティーブンの儀式がつつがなく行われ、ついでにザップとツェッドまで特に信仰があるわけでも、おべっか使う心があるでもなく、なんとなくで儀式を受けていた。
ツェッドがひざまずき、首の裏にエアギルスがあるのでどこに水をたらしたらいいかがやや迷っているのを眺めて
「なんかいいなぁ」
レオがつぶやく。
あれは血のわざが使える者だけが受けるものなのだ。
「僕もみんなみたいな血法が使えたらかっこいいのに」
「教えてやろうか、しょうもなき民よぉ~」
ソファーの後ろからいやらしい顔したザップがのしかかってきた。
「またその王様キャラ。…教えてもらってできるもんなんですか」
ちょっと気になるレオである。
ザップはへへんと鼻をならした。
「そりゃお前の心がけ次第だな」
「…じゃあ、ちょっとだけ教えてください。さわりのほうだけ」
「よかろう。まずは立ちあがれ」
レオは半信半疑で立ちあがった。
「そんで、ボールペンを椅子にブッ刺す」
「え」
おもむろにテーブルにあったペンがソファーの座面に突き立った。
「そしてここに勢いよく座る。ほら、やってみろ。ただし血法は尻からでるぜ」
「切れ痔じゃねえか!」
レオナルドははっとして口を両手で覆う。
おそるおそる後ろを振り返ったが、お姫様の姿はすでにそこからいなくなっていたので命拾いした。
そのかわり、スティーブンの凄味のある笑顔が突き破られたソファーの座面へと向けられていた。









短い眠りから覚めるとの姿が目のはしにうつり、クラウスは夢だと思った。
「ひめ…猊下」
言い間違えて、クラウスは慌てて額にのっていた冷たいタオルをとりはらう。体を起こすと、仮眠室のやわなベッドがぎしりとしなった。
「具合はどうですか」
「申し訳ありません。お見苦しいところを」
「もう大丈夫なのですか」
「はい、もう」
「そう。よかった」
クラウスの頬には血の気が大いに戻って来ている。
「クラウス様、お水をお持ちしましょうか」
「ああ、すまないギルベルト」
後ろに控えていたギルベルトが部屋を出て行き扉を閉めると、クラウスはぎょっとしてベッドを跳び出し、転ぶ勢いでその扉をわざわざ開けに行った。扉までたった数歩なのに開けたきり背がぜいぜいと大きな息をして、振り向けない。
「我が家の執事が、申し訳ありません」
女性とふたりきりで部屋にいるとき、扉は半分開けておくのが紳士のマナーだった。ギルベルトはそれを知らぬ執事ではないから、わざとやったのだ。
クラウスの態度で何拍か遅れても察したなら空気が緊張し、ほのかにピンク色を帯びる。クラウスが大の苦手とするところだった。
はあたりさわりのない会話で助け舟をだすことにした。
「クラウス、またあなたと会えてとてもうれしく思います。元気そうで本当によかった」
クラウスの体から湯気が上がり出す。
助け舟を出す方向を間違えたらしい。
「あなたの周りのみなさんが親切な方々で安心しました。この四年、息災でしたか」
かけて、とベッドを手で示されるとクラウスは右手と右足、左手と左足を出してギッタンバッタン動く。はふふと笑みをこぼした。
「どうしてそんなふうに動くのです」
「それは…っ、猊下がお美しくなられたからです」
思わぬ実直な反撃をくらっては一瞬かえす言葉に迷った。この業界ではこういったお世辞は常套句のはずだがクラウスが言う言葉はすべてお世辞でも冗談でもないのだ。
「ありがとう」
「それに猊下にお成りだ。立派なお姿に感激して少しの委縮もあるのです」
「委縮なんて」
の頬に長い睫の影がおちる。
「わたくしは今でも血のわざではない薄い防御壁を二、三秒作るので精一杯なのですよ。あの頃と変わりません」
「あなたがあの頃のまま猊下に成られたなら、それを仰ぐ者として私はこのうえなく幸いです」
クラウスにそんな気はないのだろうが、だいぶ攻め込まれては話を切り替えた。
「…さきほど大きな本棚を見て、むかしのことを思い出していました。あなたの部屋にあった本棚はもう少し小さかったけれど」
「なつかしい」
クラウスの顔がぱっと明るくなる。
同じ屋敷にいた頃に、クラウスはに自分の蔵書をたびたび貸していた。クラウスがいない時にも部屋に好きに入っていいと言って庭で物語小説の感想を話し合った。お礼にともらった四葉のクローバーの鮮やかな緑色まで世界がきらきら光って思い出せる。
「そうだ、あのなかでお気に召すものがあればお持ちください。よろしければご滞在先のホテルで読ん…申し訳ありません」
ホテルは爆発した。
蔵書だって昔とは違う。
あるのは資料や記録としての書物ばかりで、ページを繰れば遺骸やビヨンドの臓器の写真が現れる。とても自由にとって読んでいいといってやれるたぐいのものではない。もっと気をまわして、本をいれかえておくべきだった。異界人の襲撃では激昂して肝心のをおきざりにし、そばにいたのに靴擦れして痛む足に気付かず立ちっぱなしにさせて、話しかけることもままならない。の落ち着いた、立派な姿と比べてクラウスは深く反省する。
牙狩り首座は多くの自由を奪われる。
たとえば外出できないという戒律は、生家に帰ることすら禁じている。家族にも友人にもおいそれと会うことは許されない。毎日ただただ祈りの言葉を繰り返す。死なないことが王に選ばれた者の使命であり唯一の価値なのだ。過去には発狂した者も少なくない。
が、人権という言葉の存在しない玉座に就いたと知らされたとき、クラウスは憤怒の炎にその身を焦がしたが、見よこの人を。立ち居振る舞いは猊下と呼ぶにふさわしく、それでいて謙虚であの日の優しい笑みをする。
これよりは、自分も成すべきことを成す。
「…なにかと騒がしい街ではありますが、猊下は我らがお守りします。どうかご安心を」
「わたくしの安心は、幾久しくあなたが健やかで幸せであることです」
返されたの微笑はそれはそれは美しいのに、透きとおるような白い肌には儚げな色があってクラウスは身震いした。
今のはなにか
も昔とはなにか違う
なにが違う
まじまじ見れば、純粋で清浄で穢れをしらない少女と見えたひとが四年を経て、穢されたとはみえないが、クラウス自らの手でめちゃくちゃに穢してしまいたいような、そういう狂暴をかきたてる色気が、の体に絡みついている。
突然の再会に呼び起こされた秘めたる想いが、いっときだけという期限にせかされあるいは甘えて、そう見せているのかもしれない。
「クラウス」
乱暴にくちづける幻を見た。
「ぼうっとして。疲れているのね」
ふしだらな想像をして、想像だけで終わった男を目の前にしているのに、は親切心からクラウスの膝にシーツを寄せるから、クラウスはとこしえの自己嫌悪にさいなまれた。
もやは待っても無駄かと、タイミングを見計らっていたギルベルトが水を持って戻ってきた。が席を立つ。
「では、わたくしはこれで。あなたはもう少し休むといいでしょう」
「いえ、私が」
どこかに行っていた矜持が駆け足で戻ってくる。エスコートなしで歩かせるわけにはいかない。さきほどスティーブンにもいわれたばかりである。
「クラウス様」
いつもは坊ちゃまと呼ぶギルベルトがそう呼んで、片方持ちあがった瞼がクラウス自身の姿を省みさせた。
運ばれる間にジャケットもネクタイもとられていて、首のボタンは上から四つもあいているうえ、靴も靴下も履いていない。
クラウスは乙女のようにシーツをかき寄せた。



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