小さなトランクに道具三つを仕舞い込み
「そろそろおいとまします。みなさま、お健やかに」
と昇降機の前でぺこりと頭をさげたを全員が大慌てで引き止めた。
「おいとまって、だってさっきホテルが爆発したじゃないですか」
「ええ、ですから別のホテルを探そうかと」
はなにがおかしいのかわからない様子でレオに首をかしげた。
うわ、スティーブンさんが嫌いそうなノリだなとレオナルドがそっと横目でスティーブンを覗うと、彼の営業用の笑顔のはしがやや引き攣っている。しかしその口から滑り出す言葉はまだ優しい。
「ご滞在先は我々がお探ししますので、おそれながら二十二子猊下におかれましてはもうしばらくこちらでご辛抱ください」
「そのようなことはさせられません。ライブラの務めはこの街の、ひいてはこの地上で異界と人界の均衡を維持すること。その誇り高い営みを首座にあるわたくしが損なわせるわけにはいきません」
王女様の天衣無縫なおっしゃりようにスティーブンの顔のヒクつく速度がみるみる早くなっていく。
こんな時にクラウスがいれば是が非でも、真心から、決して「ぐだぐだ言ってないで面倒だからおとなしくしていろこの小娘」という感情なしで引き止めてくれるだろうが、この場にいないので現在戦力外だ。
しかしいまひとり、救世主がのこっていた。
「姫様、ホテルの部屋のとり方は御存知でいらっしゃいますか」
「…それは、その…支配人にお願いをすれば、きっと」
「…」
「…」
「…」
おとずれた沈黙にはうろたえて、やがてはっと思いついたように言った。
「副支配人のほう?」








今宵はひとまずライブラのアジトであるビルに急ごしらえの寝室が用意され、はそこで休むことになった。
以前スポンサーの王子が来てくれた時のように、てっきりディナーはみんなで豪勢な料理を囲めるのかと期待したが、は別室でひとりで食事をとった。
復活してきたクラウス曰く、そういう戒律なのだという。
ギルベルトに頼まれての身の回りの世話のためにチェインが昇降機で下りて行くと、残ったのはクラウス、スティーブン、ザップ、ツェッド、そしてレオナルドとソニック、男だらけの出前ピザパーティーだ。
ギルベルトはお姫様の部屋の準備に忙しく、夕食を用意できなかったのである。
ブリーフィングルームのテーブルにピザをひろげ、始まった話題は昼間のハイウェイ爆破事件についてだった。

「やっぱあっちもエイブラムスさんだったんじゃないッスか?実は同じフライトだったとか」
くっちゃくっちゃと派手な咀嚼音をたてながら、ザップがピザの先でスティーブンを指さした。
「もしそうなら墜落してるだろ。恐ろしいことをいうもんじゃあない」
「来るときにもそんな大変なことがあったんですか、さぞ驚かれたでしょうね。かわいそうに」
行きの事件を知らないのはツェッドだけだ。
「そいやクソ師匠が来てたのもビビったな」
「えぇえ!?」
ツェッドは立ち上がってあたりをきょろきょろ見回した。知らないのはツェッドだけだ。
「伝えるのが遅くなってすまない。事情も聞けずすぐに帰ってしまわれて、猊下も口止めされているそうで話してくださらないのだ」
「ったく、ちょっとショックだぜ」
ザップは椅子の背もたれにあずけて首を反らし、唇をとがらせて天井を向いた。
スティーブンが笑う。
「なんだ、お師さんとられて妬いてるのか」
「キモい想像させないでくださいよ。あのジジイは自分の研鑽と強いヤツにしか興味がない悟空みたいなヤローなんスよ?でも猊下ちゃん別に強くなさそうだし…。下半身も無いのに、ただのカワイイ若い女にスっ転ぶとかド変態じゃないっすか」
下半身のことはさておき、ツェッドもうなずける部分があった。
「もしかして、実はものすごい血法使いなんでしょうか」
期待のまなざしにクラウスとスティーブンはそれぞれ苦い表情で首をかしげてしまった。
ややあって、クラウスがいう。
「血のわざは使えない。術もそれほど得意というほうではないが…、とてもお優しい」
「え、猊下ちゃん大ボスなのにそんなにアレなんスか」
立ちあがりかけたクラウスをどうどうとスティーブンがなだめた。
「実際戦うわけじゃないんだからそれでかまわないのさ。猊下は生ける最強の呪文、守られるのがお役目だ」

「あの…」

食事をはじめてから今まで黙っていたレオナルドがおずおずと左手をあげた。
ずっと聞きたかったことがある。
そのことが気がかりでピザもほとんど食べていない。
全部の視線が自分に向くと、レオは不思議とすかない腹にぐっと力を入れ喉を絞った。
「牙狩りの一番偉い人が、同じ組織の人を一人も連れずにこんな危険な場所に来るのは、やっぱり…なんか、変なんじゃないでしょうか」
クラウスとスティーブンの表情が少し硬くなったのがわかったが、レオナルドは続けた。
関門の扉から出てきたを見たときから一日中心にひっかかっていたことだ。
「たぶん、ていうか絶対変なのに本人はそのことなにも言わないし、それでその、もしかしたらミシェーラの時みたいに僕らには言えない事情があるのかなって、そしたらすごい心配、っていうか…」
どうしても気になり、レオはザップに言われたあのあとも何度かこっそりと神々の義眼を使ってのまわりを確かめた。
どれだけ見ても彼女はひとりだった。
そう、たったひとりなのだ。
ヘルサレムズ・ロットという、世界で最も剣呑な街で、守られるのがお役目であるはずの猊下が。
ザップ以外のピザを取る手がそれきりとまり、「そのことだが」とスティーブンが静かに切り出した。
「すでに情報の照会ははじめている。今夜のうちにもいくつかは結果が返ってくるだろう」
「よかった、そうだったんですね」
自分が言うまでもなかった。やはりみな気づいていたのだ。途端にレオナルドの腹は空腹を思い出し、ピザに手を伸ばす。
その横で、頭の中で論理立てて考えたツェッドが首をかしげた。
「牙狩りの長である彼女をひとりでHLに来させるなんて、いったいどこの誰にそんな芸当ができるんでしょうか。途中まで一緒だった護衛を殺されたか、あるいは護衛を人質にとられて」
「犯人は牙狩り本部かもしれない」
スティーブンの言葉は短かったが、ブリーフィングルームの空気を変えるのには充分だった。
「あの人の家系は首座候補の中でも名門中の名門だが微妙な立場なんだよ。外向けには事故死とされているけれど、彼女の父親は血界の眷属に殺されていてな」
「スティーブン」
クラウスの厳しい声にスティーブンは話をとめて、すこし考える表情があってから肩をすくめた。
「よい結果が返ってくることを祈ろう。昼間のあれが猊下がこんな場所にひとりで来たことと関係あるのかまだわからないが、念のため今日は俺とクラウスがここにつめる。ツェッド、君も一応警戒を頼めるか」
「わかりました」
さらにはKKも応援に呼んだという。こういう時に自分の名前を呼ばれないのはちょっとさびしいけれど、それだけのライブラメンバーが揃えばレオナルドにはもうなんの心配もなかった。
「必ずお守りしよう」
クラウスの力強い言葉を聞いて心にかかっていた影が晴れ、希望の光がさしたレオナルドの服でピザソースにまみれた指を拭き、手のパンくずをはらったザップがやれやれというふうに立ちあがる。銀髪の下の鋭い眼光はまだ見ぬ闇の中の敵を射すくめるかのようだった。
「で、俺ァどこにつめればいいんです?」
「家でゆっくり休んでくれ」
ザップはスティーブンに蛇のようにすがりつき「なんでなんでなんでぇ!」と駄々をこねてのたうちまわる。
「あなたがいたほうが彼女の身が危険だ」
「んだとゴラァお魚天国に行かせてやろうかテメエ!あんな魚のいうこと聞く事ないッス、番頭、俺めっちゃ頑張ります!やる気ありますっ!」
「スティーブン、彼がここまで言うなら」
「絶対ダメ」
スティーブンの意志は今クラウスよりも強固だった。
一見女性の貞操を守る道徳的な判断に聞こえるが、スティーブンの頭の中では、ザップがに万が一なにかしたらという心配よりも、ザップがに万が一なにかして予算が削られたら、という心配が大いに勝っているのだろうと、レオナルドは確信していた。



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