豪華な朝ごはんがあるというツェッドからのメッセージを見て、レオナルドは事務所ビルに駆け込んだ。それでなくてもこの前ミシェーラに起きた出来事を重ね、一晩中案じていたレオだから、朝が来たならイの一番に走って行こうと思っていた。

昇降機を跳びだした瞬間から、おいしい匂いが鼻孔をくすぐる。
それはこの晩にの身に何もなかったことを証明する匂いでもあった。
壁際のテーブルに大皿に盛られた料理がずらりと並び、銀の食器も豪勢な料理もキラキラひかり輝いてレオを呼び、腹が応えた。

「うっはーっ!すげー!どれもおいしそぉー!」

いまにもモーツァルトが聞こえてきそうなビュッフェスタイルの朝食に、普段カップラーメンとファストフードばかりになっていたレオは早くもよだれがとまらない。

「おはようございます、レオさん」

後ろから鈴をころがす声がかかった。
前には豪勢な食事、後ろにはお皿を持って微笑みかけるの姿を見つけたなら、霧たれこめるヘルサレムズ・ロットの朝は晴れ、青空たかく澄み渡る。
「お、おはようございます…!」
昨日の外交服と違い、今日は白いブラウスにキャメルのロングスカートと、王族戦闘力低めな服装なのもうれしい。
スカートと同じ色のベルトがまわされた腰はこれでもかというほど細くて、ちゃんと食べてるのだろうかと心配に思いつつも、レオナルドはその腰に腕をまわす妙に男前な顔の自分の姿の妄想までを一瞬で済ませた。
くびればかり見ているのも失礼だ。顔をあげると、の目が赤いように見えて気になった。

「ちょっとレオっち、あんま大きな声ださないで」

の首の横から長い腕があらわれ、レオナルドはぎょっとした。
けだるい声をあげたKKは表情もつらそうに、眉間にしわを寄せてにもたれかかっている。どう見ても二日酔いだ。
「KKさん、おはざす…」
「おはよー」
確か昨夜はの身辺警護のために同じ部屋にKKとチェインが泊まったはずだが…。
昨日の記憶と目の前のKKの間にあった出来事を想像し、の疲れ目の原因をなんとなく察した。ザップの説教で涙をこぼしたから、というのが真相であるが、そんなことをレオに思いつけるはずもなかった。
KKの鼻がスンスンと動いた。
「ん、いい匂い。そのタラのムニエルどこにあったの?」
のお皿の上にのった料理を見て、顔におちていた二日酔いの影がパッと消え去る。
「あちらの一番奥に」
「気づかなかった、あたしタラ好きなのよねえ、タッラー、タラタラ」
KKは足取り軽くムニエルを取りに行き、入れ替わるように今度はチェインがやってきてのブラウスの袖をひいた。

、ギルベルトさんの味噌スープ食べたほうがいいよ。あっち、食べたことある?ジャパニーズ・ソウル・フードだよ」
「おいしそう、取ってまいります」
「あ、レオ。おっす」
「っす、チェインさん…」

昨日「さん」と呼んでしまった咎なきツェッドにはあれだけ凶暴な視線が向けられたというのに、KKとチェインのこの気さくな感じはいったいなんなのか。クラウスやスティーブンが非礼オンパレードにぶるぶる震えているんじゃなかろうか。レオナルドが室内に視線を巡らせると幸いにして幹部二人の姿はなかったが、部屋の隅に佇むギルベルトの姿を見つけて駆け寄った。

「ギ、ギルベルトさん、これはいったい」
「これはレオナルド様、おはようございます。本日はビュッフェ形式でございまして」
「おはようございますっ、いやお料理のことじゃなくて、いまチェインさんが猊下をって…!KKさんもなんかフレンドリーだし」
ギルベルトはお花畑のうえを舞い遊ぶ蝶を眺めるように包帯の奥の目を細め、
「昨晩のうちにずいぶん仲よくなられたようで、ようございました」
と言ったきりである。

「レオくん」

ローテーブルの一人掛けソファーにいたツェッドが軽く手をあげレオを呼んだ。横の、同じく一人掛けには珍しくこんな朝早くからザップもいて、皿に盛れるだけ盛った料理を顔じゅう汚してほおばっている。
なぜかあちこち怪我をしているザップはさておき、この異変のなかですでにツェッドまで普通に食事をはじめていたのでレオナルドの混乱は極まった。
「ツェッドさんはこの状況に驚かないんですかっ」
「昨日一晩中こんな感じでしたから…」
女子の修学旅行部屋と同じ階に水槽を持つツェッドの目の下はくすんでいて、まがった背中に疲れがにじむ。
「で、でも、たしか戒律で食事はひとりでって」
「うちは朝食は家族みんなでとるルールよ、ってKKさんが」
ちなみにお子さんたちは昨日からボーイスカウトのお泊りでいないそうです、といらない情報まで教えてくれた。
そんな感じで戒律というのを破って、呼び捨てにしてしまって良いものなんだろうか。
もう一度部屋を見渡してクラウスもスティーブンもいないことを確かめる。
「…」

じゃあ、いいか。

外の世界でもこっちでも二十二子猊下なんて名前とかすりもしない名前で呼ばれるよりも、いつも一人きりで食事をするよりも、きっといいはずだ。
落ち着いたら思い出したように腹が鳴った。
「お、ゲーカちゃん、こっちこっち。この陰毛頭が空気読まずに来たせいで椅子足りないから俺の膝の上に座るか?」
ザップに声をかけられると、の頬にはさっと朱がさして顔をそらし、逃げるように三人掛けの真ん中の席についてしまった。ザップの首の皮に三叉槍がつきつけられた。
「なにしたんですかあなたまた」
いつものあきれたふうではなく、ツェッドの血法にははっきり怒気がこもっている。
ザップはものともしない。
「ぎょぎょぎょぉ~?朝にぶっそうなもんおっ勃てんなよ魚クン、なんもしてねえよ、なー?」
いやらしい笑い顔にせめたてられるとは額に汗してついには顔を伏せてしまった。そこまで見てやたら嬉しそうなザップの後頭部に

「ヘイ、ボーイ」

ゴリっと固いものが押し付けられた。KKである。
「その子に手ェ出すならクラっちのいる前でにしてもらえるかしら」
銃口から伝わってくる殺気は本物で、ザップは滝の汗をかいてホールドアップした。
「あ、姐さん、俺ァなんも、むしろ助けたっつうか!」
「口答えしないで、頭に響く」
「ぁ…ハイ、すんませんした…」
殺気の半分以上は二日酔いのせいだ。
銃をおさめたKKが三人掛けの左端におさまる。
「あら、魚好きなの?」
「お魚好きです」

ツェッドがスプーンを取り落した。

の皿には野菜と小エビのはさまったサンドイッチに、タラのムニエル、スモークサーモンにあさりの味噌汁と、魚介類が並んでいる。
「おまえワンチャンあんじゃね?」
にやにやしたザップにフォークの先でつつかれても反応を返さないツェッドが、お魚好きと言われてショックを受けたのか、喜んでいるのかレオナルドにはよくわからない。香ばしい匂いがしてきたから後者かもしれない。
おいしくて楽しい朝食の時間がなごやかに過ぎていく。



この晩、確かにの身に暗殺の魔手は届かなかった。
しかし同時に、夜のうちに照会の結果が出るといっていたが今もってライブラメンバーに「本部の手違いでした」という連絡が来ないということは、つまり本部の手違いではなかったということだ。レオナルドはそう理解していた。
クラウスとスティーブンはついに朝食の席には現れなかった。



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