厚さ2メートルはある扉は堅く閉ざされ、どう血凍道を駆使しても開けられそうにない。
それは同時に、向こうからもちょっとやそっとじゃ開けられないということだった。
スティーブンは扉にあてていた手をおろした。
後ろを向けば目がくらむような白い円筒型の空間の中心にブローディ&ハマーを拘束していた椅子があり、椅子の傍らには独房の内壁よりも白い顔をしたが立ち尽くしている。
スティーブンは口角をあげた。
「心配はいりません。ここは頑丈そうですし、むこうよりもよほど安全でしょう。それにおもてにはあなたの騎士たるクラウスがいるのですから、これほど心強いことはありません」
「…」
励ますための嘘を言ったわけではなかったのだが、血界の眷属に掴まれたの手の震えは止まらない。もう片方の手が震えを握りつぶそうと強く掴んでもだ。
スティーブンは聞こえないようにため息を吐いた。
削られた体の再生は遅かった。血界の眷属のなかでもそれほど高位というわけではないだろう。加えて、クラウスの背には敬愛する猊下がおわすわけだから、いつも以上に必死に一心にボコボコに眷属も建物もオーバーキルする姿が思い浮かぶ。眷属にというよりもこの建物が崩壊して命を落とすことを心配したほうがいい。
おとなしく待っていればそのうち誰かが開けてくれるだろう。
それにしてもまさかこんな場所で血界の眷属の登場とは。
すこし前に人間に雇われた血界の眷属、という事案は体験したが、牙狩り本部が宿敵たる吸血鬼に猊下の暗殺を依頼するなんてことはまずありえないだろう。ならば暗殺計画とは無関係に出くわしたと考えた方がいい。この娘もエイブラムス並みに呪われている、とかなんだろうか。
クラウスにはああいったが、本当のところは暗殺劇を引き起こすためにを外出させたスティーブンである。
暗殺犯を掴まえてあらいざらい吐かせ、ラインヘルツ家やエイブラムスの一門に首謀者を糾弾してもらえばこれ以上ライブラに火の粉がかかることはないだろうと、そういう算段だった。それがこのザマだ。
「…ごめんなさい、スティーブン」
青ざめた顔で、蚊の鳴くような声でそんなことを言い出したのだから面倒くさい。
この娘が大ボスでなく、決裁権も持っていなかったら迎えが来るまで凍らせておくところだ。
スティーブンは優しく言った。
「猊下が謝るようなことはなにもありませんよ」
「わたくしがここにいるせいで、みなを危険にさらして」
被害妄想だ。
スティーブンは心の中で吐き捨てた。
確かに暗殺計画ならびに牙狩り上層部の権力争いにライブラが巻き込まれたことは迷惑に思っていたが、こちとら人間やそんじょそこらの異界生物相手にやられるタマではないし、この娘ひとりくらいならば守り抜いてお帰りまでお見送りするのもそう難しいことではない。人界にお帰りいただいてからなら暗殺でもなんでも好きにされればいい。どうもひとりで死ぬのがお好みのようだから!
「猊下に目通りがかない皆よろこんでおります。このような事態にあっても、あなた様をお守りする名誉を得て奮起こそすれ、不敬な思いをいだくような者は我らライブラにはおりません」
「けれどっ」
けれどじゃない。

「探した、と」

ぞっと背筋をなにかがはしった。
背後の扉が重低音を響かせながらゆっくりと開いていく。
決着がつくにははやすぎる。
「…猊下、お下がりください」
顔面蒼白だった小娘を自分の後ろへはいらせる。はいらせたはいいがここは1000年間凶悪囚人を封じるためにつくられた頑強な袋小路である。を逃がす道は眼前でひらきゆく扉以外どこにもない。
グールと化した囚人たちが1,2,3,4…十余名。手に手にたずさえた大小様々の重火器はいったいどこからとってきたのだろうか。看守のグールもいる。どうりで。
だらしなく開いた口のなかは鮮血で満たされていた。
グールの動きは遅い。
出口がひとつならばいっそ都合がいい。
距離を詰められる前に一網打尽に下から氷柱で貫きあげ、氷の隙間を走り抜ける。そのビジョンをイメージし、右足のかかとを立ててタイミングを見計らう。
はいた息が白くけぶった。
グールの口からあふれた血が、踏み入れた独房の真白い床にぽたりと落ちた。
「エスメラルダ式血凍道」
踏み下ろすその瞬間、地面が大きく揺れた。
地震ではない。
砂塵を撒いたのは天井だった。
円筒型牢獄の天井に巨大な亀裂がはしる。
踏み下ろした靴がたてた音は天井が瓦解する轟音に掻き消され、鉄の巨塊が雨のごとく二人の頭上に降りそそいだ。

カラン、と

氷の小さな破片が床にはねた。
その音が響く。
氷の破片はスティーブンの肩にもこぼれていた。
無音となった世界のうえで、強化コンクリートの塊はもつれあった姿で時を止めていた。
グールに向くべき氷撃は監獄の壁を駆け上がり、膝を折ったスティーブンの鼻先で天井をせき止めたのである。
が動いた音を聞く。よかった。
次に聞いたのは、十余名のトリガーが一斉に引かれた炸裂音だった。
ああ、死んだ
閃光のなか、自らの死の予感は案外かるく、無意識に右手は後ろのの頭を床に伏せさせようと動いていた。伏せたところで蜂の巣はまぬがれない。
右手は空をつかんだ。
瞼をふさぐ間もなく、弾丸が肉をねじ切り背後の壁に跳弾した。
―――静止している。
肉をねじり切るはずの無数の弾丸は、突如出現した薄い皮膜に半ばまでうずまってスティーブンの手前で静止していた。
見開いたスティーブンの視界いっぱいに白いブラウスが映る。
「逃げて」
スティーブンの前に立ちふさがり、両手を前に突きだし、その両手の前に展開された水にひたした生春巻きの皮のように頼りない膜が、かろうじて人の体の幅分は銃弾をせき止めていたのである。
劣等生の猊下が唯一使える初級防御壁だった。血のわざではない。
「三秒しかっ」
もたない。いまにも泣きだしそうな声で地面に叫んだの腰を抱く。

「充分だ」

エスメラルダ式血凍道、絶対零度の槍






<<  >>