「い、い、磯辺揚げ」
「げとかねえだろ…えっとぉ…ゲロ」
「下品ですね。ロマンス」
「キッモ。魚類キッモ」
「ザップさん静かにしてくださいよ。ス、スゥー…スティーブンさ…スティーブン・A・スターフェイズッ」
「おまえ今んって言いかけたじゃねえか」
「言ってませんよ。ほら、ズですよ、ズ」
「また濁音かよ…ズ、ズ………ズル剥け?」
「汚らわしい」
「さっきからなんだてめェ俺のにいちいち文句つけやがって」
「違いますよ。け、で終わったからしりとりを続けただけです」
「ほざくなボケェ!やんのかゴラ!」
「ザップさん静かにっ!さん起きちゃうでしょうが」

レオナルドのひそひそ音量の叱り声に、ザップは不満で口をもごもごさせながらも廊下にドスンと尻を戻した。
ザップとツェッド、レオナルドとソニックはの休むクラウスの部屋の扉の前に派兵されてきた三名(と一匹)だった。
三人で扉を背もたれに、廊下に座ってディナーの時間までひたすら門番である。レオとツェッドにとっては、ザップの監視も兼ねていた。
しばらく黙ってみると屋敷は廊下の先までしんとして物音一つない。頭の後ろが気になった。
「今ので起きちゃってないかな…」
「つかそもそも寝てんのか?鎮静薬って寝るヤツ?」
「どうでしょうね」
「人間の足音聞き分けられるって自慢してたじゃねえのよおまえ」
「別に自慢はしていませんし、あれは水の中にいたら水に伝わる振動でわかるという意味で」
「つっかえねえなあ」
「あなたに言われたくはありませんっ」
「ザップさんもツェッドさんも静かにしてくださいったら」
「おめえこそその目ん玉使いドキだろ。猊下ちゃん起きてるかどうか見えるんじゃねえの?壁すり抜けてシャワーのぞき放題なんだろ?あ、もしかしてブラジャーの中とかも透けて見えんのかソレ」
「見えないですよ!」
「レオくん、静かに」

ここに座り始めてからまだ15分も経っていないというのにこのありさまでは、あと数時間、ここに、この三名で大人しくしりとりだけで乗り切るなんて土台無理な話だと、三人とも察し始めた。察しはじめるとほかのことをしたくなってくる。
三人はぴたりと扉に耳をあてた。
「音は…しませんね」
「つかマジでよ。起きてるかどうかくらい、その目で猊下ちゃんの視界見たらわかんじゃね?」
「それは…できますけどしませんからね」
「独り占めかよ。陰毛頭のムッツリスケベェ~」
打ち負けるけどぶん殴りたい、レオナルドは拳の衝動に耐えた。
「そんなことをするくらいなら、いっそ開けて中を確認した方が早いのでは」
扉の前で騒いで起きてしまったかどうかが争点だったはずだが、三人は若く、健康な男子だった。扉一枚隔てて美しい女性がベッドに横たわっていると想像したなら、音を盗み聞きしたり、神々の義眼でレオだけ視界を盗み見るような卑劣な真似をするよりも、正々堂々と扉を開けて全員で中を見るほうが比較的フェアな行動だ、そうだ、そうしよう、それがいい。引き止める声はかからない。
音をたてないようにレオナルドが金色のノブをひねった。
高級な扉はきしむ音すらたてずに開き、中の床が細くのぞく。
ザップは一番上、真ん中ツェッド、一番下にレオの頭が、扉の隙間から中がよく見えるように顔を横向きにして並んだ。
広々とした重厚なしつらえの部屋の奥に大きなベッドがある。
三人分のつばをのむ音がやたらと大きく聞こえる静寂の帳の向こう、白いシーツの中にくるまる背中が見えた。
寝ているかどうかはわからないが、三人の若者にはすでにそんなことはどうでもいい。
鼻息は荒くなり、胸は高鳴り、もっと大きく扉を開けて女性の寝姿をその目に確かめたい、許されるなら触ってみたい衝動に突き動かされる。
しかし同時に人間とは、度の過ぎた者が近くに一人いるとひゅっと熱が引いて急に平静を取り戻すいきものだった。
「うひっ、たまらん、4Pチャーンス!いくぞおまえら」
鼻の下を伸ばし切り、全身下半身となって中へ侵入しようとしたにやけ顔が扉に挟まった。
「なにすっもぎ!」
猛烈な力で扉に顔をはさまれ、だいぶ細長になると口で文句を言えなくなり、そのかわりに廊下の側にある一見手足と胴体に見える下半身がじたばた暴れる。
ツェッドが問答無用で扉を閉めると何かがプチンといったが知ったこっちゃない。






「ああ、暗殺阻止組の頭数は揃っているよ」
「ならば問題は眷属か」
「ほかにアクティブな血界の眷属避けがあるところというと、アジトと、人狼局もか。あとは馬蹄印の害虫駆除会社に、すっかりご無沙汰だがルーマニアンワイナリーってまだあるのか?」
「ある。HL野鳥の会もそうだ。しかし最も強い力を維持できているのはここだろう。次が馬蹄、その次が事務所だ」
「馬蹄は無理だよ、あそこはアメフト部の部室みたいなものだろ。あんなむさ苦しい場所に猊下を置く気か」
「…」
「どうした?」
「いや。ならば我々の事務所だろう」
「そうなるだろうな。ここは眷属避けにはいいけど、人間や異界生物とやりあうとなると事務所に移動したほうが応用がきく。全く関係なく出動要請がくる可能性もあるしな」
「ああ。だがもう日が暮れた」
「わかっているよ、安全第一。今日はここだ」
「…」
居間に残ったクラウスとスティーブンはHLの最新の地図をひろげて、二つの事案とさらに今後三つ目四つ目の事案が重なったときの対応を話し合っていた。
クラウスがいう。
「明日の午前中には事務所にお移りいただこう」
「そうだな。本部のほころびを見つけるまでに時間はかかるだろうから、猊下にはしばらくパイプベッドで我慢していただくよりほかあるまい。長期戦を見越してベッドでも買いに行ってもらうかい?チェインあたりならセンスもいいし」
「…」
「どうしたクラウス?」
「…。汁外衛殿はどうすべきか。明後日には迎えにこられると」
「この状況で猊下を外に戻せるわけがないだろう。ザップとツェッドに何とかしてもらうさ」
「…」
「どうしたんだ、さっきから黙って」
話を前に進めたいのに、クラウスが時々黙り込んでしまうからスティーブンはしびれをきらした。
「いや」と言ったが、クラウスは指をあわせ意味もなくもてあそび、困ったような表情をみせる。

「ずいぶん猊下に優しくなった気がしたのだ」
「そう?」

さっぱり心当たりがないという顔でスティーブンは首をかしげた。
スティーブンの頭には視界いっぱいの白いブラウスがはっきりと思い浮かんでいた。勇ましい生春巻きの皮と、横顔と、声と、腰も。まだ誰にも話していない。言う気もない。
そしてさわやかに笑った。
「情報不足で苦しい状況であるのは確かだが、切り捨てるわけにもいかないんだから、そのうえで策を練るのは普通のことだろう」
わかりにくいがクラウスの口元が笑う。
「そうだな。すまない。変なことを聞いた」
しかし手遊びは止まっていない。腑に落ちないところはあるが、スティーブンを疑うこともできないのだろう。クラウス・V・ラインヘルツとはそういう男だ。
「それじゃあ話の続きだけど」とひきしまった表情に戻って実務の打ち合わせを再開したスティーブンの頭の中では、生春巻きの皮のシーンがまだ再生されていた。






別室でクラウスが真面目に、スティーブンが真面目な顔でこれから万が一出動が必要な事案が発生した場合の行動方針を話し合っていた頃、クラウスの寝室の前では取っ組み合いを視界混交でようやく鎮められた二人と、レオナルドが廊下に座り込む、ふりだしの恰好に戻っていた。
扉が開いてザップが声をあげても動かなかったということは、やはり薬のせいで眠っているのだろう。
「…しりとり、り」レオがはじめ
「りす」まともにザップが続け
「スイカ」いい流れでツェッドがつなげる。

10分が経過した。

「く、くー…クルマエビ」
「び、…ビキニ」
「ニーチェ」
「チェ…チェイン・すめらぎ」
「ぎ、ギー………ギブ!もーしりとり飽きた!なんか面白ぇこと言え」
両手を振り上げ左右に振り回したザップを避けたツェッドも、そのまま殴られたレオも同じ気持ちだった。
「面白い事って言われても」
「僕はきちんと起きて門番をしていますから、あなたは静かにおとなしく寝ていたらいいじゃないですか」
「つまんねえ。これだから童貞は」
この男は何か気に入らないことがあるたびこのフレーズを使う。レオナルドは堪忍袋の緒が切れて立ちあがり床を蹴って小声で叫んだ
「何回も言ってますけど、お、俺は別に童貞じゃないですからねっ」
「僕は童貞ですけど、だからなんなんですか」
体育座りしたままツェッドがそんなことをさらりというものだから、レオナルドは静かに着席した。ザップは生ぬるい優しさに満ちあふれた表情になり、ツェッドの肩に腕をまわした。
「兄弟子が今度イイトコ連れてってやるからな」
その腕を指で弾く。
「結構です。僕はそういうのは好きな人としたいので」
ザップの顔が「痛でぇ!」となったあと「うひょ」となったのをレオナルドは見た。
「するー?その話題しちゃうー?おまえが言い出したんだからな。おまえってどんな女が好みなの?」
「えっ」
童貞であることはさらりと告白したのに、好みのタイプを聞かれるとツェッドはうろたえ始めた。ツェッドはその特殊な生い立ちからか、時折世の若者のスタンダードからズレることがある。
「確かにちょっと気になるかも」
「レオくんまで…いえ、別に、特にないですよ、普通です」
「普通って言うと、サバとか?」
斗流の三叉槍と刀がつばぜり合いを始めたからもうどうしようもない。
「ちょっと二人とも、ケンカするならせめてあっち行っててくださいよね」
その忠告を聞いたのか偶然か、二人は火花を散らして刀と槍で切り結び、もつれあいながら廊下の向こうに転がって行った。
ちゃんと門番をしていられるのは自分とソニックだけになってしまった。
「…あれ?」
レオナルドは自分の服をパタパタはたき、背中を確かめた。
「ソニック」
あたりを見回しても姿がない。
音速猿は臆病な種族だから、初めて来た場所ではレオナルドにぴったりくっついて離れないのが常なのだが、そのソニックの姿が服の中にも廊下にもどこにもない。レオナルドははっと思い当たった。
「もしかしてっ」
首のゴーグルを持ち上げて蒼い双眸をかっと開いた。
案の定だ。
ソニックの視界はクラウスの部屋の中の景色と、大きなベッドを映していた。
「あいつっ」
眼をふさぎ、ソニックを部屋から引っ張り出そうとすぐさま金のノブに手をかけた。レオナルドはその手をはなした。
もう一度、すこしまぶたを持ち上げてみる。
ベッドから白い腕が垂れている。
指先はひどく緩慢に、おいでとソニックを呼んだ。
ソニックが視線をあげると、はぐったりとした表情でベッドに横たわっている。
ソニックは行かない。
遠巻きにうろうろと周りを歩き回って、憔悴した人間を観察しているだけだ。
人間があきらめて目をとじた拍子に、ずっと流し続けていた自責の涙の続きがこぼれたのを見ているだけだ。
「…」
の視界を見なくてよかった。海の中にいるように何もかもゆがんできっとなにも見えやしない。
眼を閉じて、レオナルドは深く息を吸い込んだ。

「あー!今日の戦いはラクチンだったなあ!!ねえツェッドさん!ザップさんも!うんうん、一撃粉砕でしたからね!チョロかった!今日までに倒した眷属は何人でしたっけ!9999?!次で一万人目かあ!アニバーサリィーイ!次が楽しみですね!」

言い終わると、自分の張り上げた大声の残響を聞いた。

「あーそうだな!チョロチョロのチョロ助だった!」

いつのまにかザップが戻って来ていてレオよりも大きな声でいった。

「あんなもんぶった切るのは屁でもねえや!豆腐でも斬ったかと思ったぜ!血界のけんぞ君にはもっと骨のある奴ァいねえのかよっ!」

「本当にチョロかったですよね!」

滅多に声を荒げることのないツェッドまで加わる。

「次の一万人目は譲りませんからね!師より託された斗流血法・シナトベが!今か今かと待ちわびて!その時を待っています!ど、どうせなら!今日みたいに猊下をお守りしてカッコよく決めたい!です!」

チョロいチョロいの大合唱はそれからしばらく、うるさいとスティーブン先生が怒りに来るまで屋敷中に響き渡っていた。



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