の左手で血しぶきがはねた。
あげかけていた手は後ろにむかって跳ね、体がアスファルトにぶつかって転がる。
すぐさま大通りの窓のひとつへ稲光をまとった銃弾が連続して撃ち込まれた。

「ひめさま…」

ふらふらとの横に両膝をつき、唇の端からこぼすようにクラウスがつぶやいた。
アスファルトに叩きつけられた体の下で血だまりがみるみるうちにひろがっていく。
目をつむり、左肩から先は意志無く地面に垂れている。左手の平は真っ赤な血にまみれ、全ての指が損なわれずに残っているのかもわからない。鼓動のたび、次から次に血があふれてくる。
クラウスの頭は白くくらみ、喉がはりついて声もでなくなった。

そのまわりに100人が立った。

人の形をしたそれが地面から生えたのか、空から降ったのか、あるいは何もないところからただ現れたのかわからない。
とり囲んで円を成し、その中心をじっと覗きこんでいる。
こぼれるほど見開いたレオナルドの眼球に濁流のごとく異界のふるき文字が雪崩れ込んだ。
「ブラッド、ブリード…!」
100の眷属のその中心にとり残されたクラウスとに、誰ひとり逃げろという声もあげられない。
静止した世界で、血界の眷属たちの諱名で埋め尽くされたレオの視界に、諱名とは性質を異とする文字がひとすじ混じっていた。
名を示すような長さではない。
呪文のように延々続くそれは、クラウスの、その腕の中にいるから紡がれて滔々とあふれだしている。
彼らはあの血に呼ばれた。
円を成し無言で佇む血界の眷属は、の左手から噴き出した血液をたよりに集結したのだ。
しかしそれを伝える声は出なかった。レオナルドがどうにかそれを伝えたところで、この絶望的な状況を好転させることはできない。
突然終焉の淵に立たされた人々のなかで、クラウスの目は血を失いゆくにだけそそがれている。
震える手で白いブラウスを掴み、二度、三度と体を揺する。
クラウスの歯がガチガチと鳴っているのは100の血界の眷属に怖れをなしたからではなく、ただ腕の中のひとにおきた惨い出来事に怯えていたからだった。
の手首をおさえ背を丸め、動かない体を抱きしめる。
はごく短い脳震盪から覚めると打ち震えるクラウスを見つけた。
痛みはないが力の入らない左肩を感じ、そしてとり囲む血界の眷属の緋色の眼に気がついた。
眷属たちの血であふれた赤い口が弧をかき、ゆらと一斉に両手が振り上げられた。
ほとんど考える力もなく、薄い透明な皮膜をクラウスの背中半分覆うだけ出現させ、右手をクラウスの首の後ろにあてた。
慈悲なく、眷属たちの両手の間にあった色紙は円の中心に向かって振り下ろされた。

「失礼、よろしければサインをいただけないでしょうか」

まばたきして、は一歩前に出てきていた血界の眷属を見上げた。
それは黒い燕尾服をまとった青白く美しい顔をした男で、優雅に見せた微笑のその奥に緊張の色をにじませ、に色紙を差し出している。
「…」
は首をめぐらせほかの眷属たちも見回した。
他の眷属もみな白い色紙を差し出し、一様に緊張し、なかには頬をバラ色に染めている者もいる。
「……」
視線を前に戻してきては尋ねた。

「サイン、ですか…?」

燕尾服の眷属は声を聞くなり雷にうたれたように震えあがって身悶えた。そして今度は左手をさし伸ばしてきた。
「サインをいただけないようでしたら、握手だけでも」
下手にでてきた。
は混乱し、思わず右手を差し出してしまったが相手が左手だったのでひっこめた。ためしに力をいれようとしたが左腕はまったく動かず、正直に「いま、あいにく腕が動かないのです」と伝えると、取り囲んでいた血界の眷属から同時に嘆息がもれ、肩を落としたのは壮観だった。
いたく残念そうに肩を落としていた燕尾服は、これが最後とばかり未練をふりきって、しかし紳士的な言葉づかいを忘れずにこう言った。
「写真だけでもお願いできませんか」
「写真でしたら…」
「本当ですか!ああよかった。我らの理にこれほどのよろこびはほかにない」
100の血界の眷属がおのおのぴょんぴょん跳ねて喜んだ。
空まで跳んだ者、跳ねて落ちて大地を陥没せしめる者、着地の瞬間に空間が切り替わって体半分消えて再生に手間取る者など忙しいが、素直な嬉しさが伝わってくる。
は自分を抱きしめる体から抜け出そうとしたが、クラウスは動かない。
その間にも血界の眷属はの後ろに三列を作り始めてしまう。
一段目は座り、二段目は中腰、三段目は立った。
しかたなくクラウスに首から下をきつく抱きしめられたまま顔の向きを変え、ライブラのメンバーを探す。
とかれた円の外ではレオナルドを見つけた。

「レオさん、こんなときにこんなことをいって申し訳ないのですが写真を撮っていただけないでしょうか」
「…」
「レオさん」

二度目呼ばれてレオナルドは大きく身震いし、金縛りがとけた。レオは自分を指さし、自分の後ろを振りかえり、もう一度自分を指さした。

「お願いします」
「は、はいっ」

漁師の腕に抱かれたお魚のような不自由な体勢をしているに三度頼まれて、レオナルドはわけもわからず走り寄り、カメラを構えた。
中心にをおいて、その後ろに三列を作った血界の眷属たちは入学式の小学一年生のように嬉しそうに、そして誇らしげに、眼がある者は緋色の眼を爛々と輝かせてシャッターがきられるのを待っている。
「…も、もうちょっと三列目左の、えっと…首の無いかた…右寄ってください。あ、前列のクラウスさんとかぶってる方はもうちょっと間から顔を出す感じで。あ、首とれるんですね。は、はい…ありがとうございます。入りました」
いきまーす
と震えきった声で言い、シャッターを下ろした。
クセで「もう一枚撮ります」と予備ショットまで撮ってしまった。

「はい、OKです」

血界の眷属は大喜びで躍りだし、手を打ち指笛を鳴らす。
「えと、これ、どうしたらいいですかね」
「二日後に永遠の虚あたりに100枚、いや200…」
燕尾服の血界の眷属は考え込むように顎に指をあて、「念のため300枚を落としておいてもらえるだろうか」と神妙な顔でレオに頼んだ。
「わ、わかりました…」
血界の眷属とおしゃべりしてしまった。
約束をとりつけると燕尾服の眷属はアスファルトの地面に沈みこんだ。
別の眷属は蝙蝠となって散り、次元をねじまげ、霧を呼び、2秒とせずに全員がかききえた。
血界の眷属の圧が完全に消えたところで、スティーブンやザップが夢から醒めたように駆け寄ってきた。

もまた、状況の理解に頭がおいついていなかったが、まわりを100の血界の眷属にとり囲まれたのに、サイン色紙を差し出されて写真撮影をする間もひたすらの体を抱きしめて震えていたクラウスを思い出したら、とてもかわいそうに、申し訳なく思えてきた。
「痛くありません」
安心させようと試しに言ってみたら急に気が遠くなった。
呼び捨てに、名を呼ぶ声が遠ざかる。






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