は、目を覚ますとまだこわばっている手を伸ばし、ノクトの頬に重ねた。
形を確かめるように何度もなぞり、髪をかき、起き上がりたそうだったので寝袋の前を開いて背を支えて起こすと、次の瞬間にはしろい腕がノクトの顔の横にあった。

「ノクティス」

ノクトはこの十数年、この人が泣いたところなど見たことはなかったが、ノクトの耳に届く、絞り出したような小さな声は確かに泣いていた。優しく抱きしめられたことはあってもこんなにきつく、かきむしられるように抱きしめられたことはなかったので、ノクトはしばらく困った。困り、ただし困り果てるというほど困りはせず、家族の身体にぬくもりがあることを感じてただただ安堵することにした。

「無事でよかった。イグニスもいるし、プロンプト…前に言った俺の友達もいるよ。あの屋敷にいた人たちも全員生きてたし、グラディオはちょっとみんなを送って行ってるからいないけどすぐ戻って来る。イリスも、コル将軍も、モニカも。電話、モニカの声、心配で今にも爆発しそうでさ」



あんなにたくさん部屋のある王城なのに、子供部屋はひとつだった。

「あねうえ、ご本」

父親は公務で忙しく、母親の記憶がないノクトにとって、唯一甘えられる家族の存在は大きかった。
文字を教わるのはほかの子供よりも早かったとはいえ、漢字にふりがなの振られていない絵本をノクトにせがまれては読み聞かせてくれていた。あとからイグニスに聞いたところによると昼のうちに侍女に教わって、ノクトの好きな絵本をわざわざ暗記していたらしい。
夜中のトイレについてきてと揺り起こしても怒らず、眠るまで起きていてくれた。
いま思えば子供がやる芸当ではない。
それをやってのけていたは、ある日の夜に突然、大人たちの手で子供部屋から慌ただしく担ぎ出されていき、それきり部屋は別々になった。

「おはよう、ノクティス」

数日後、朝食の机を挟んで、今朝は城にいた父がいつもどおり“のように”穏やかにいう。
しかしいつもあの席にあるべき人の姿がない。
城じゅうの扉を開けてもどこにも見つからない。
あの日から大人たちはなにも教えてくれない。
ノクトは扉の前から動かなかった。

「どうした?」
「姉上がいない」
「ああ、はこのまえの熱がまだ少し残っていて、ほかの人にうつさないように別の部屋で寝ているんだよ。朝食もその部屋でとっている。大丈夫だ」
「なんで」
「言っているだろう。このまえ具合を悪くしたから」
「なんで」
「だから、熱を、…」
「なんでなんでなんでなんで!」
「ノクティス!」

父親の厳しい声が飛ぶと、ノクトは地団駄をやめてひるんだが、そこからは泣き声に切り替わった。執事がすばやく寄ってきて、部屋から連れ出される前に一瞬見た父はどこか苦しげに見えた。
それが愛する娘に、妻を殺した病が遺伝していると知った日の朝だとは、幼いノクトが知るはずもなかった。



テントの中にいても朝日がのぼっているとわかる。
ガーディナの海からのぼってきた太陽はなにものにも遮られることなく、ノクトのいる標を照らしていた。

「足は俺が拭くから上は自分でできる?」
「ありがとう。できますよ」

どこから持ってきたのか、イグニスが用意していた15枚もの新品のタオルを湯につけて身体を拭いた。突然ノクトは笑いたくなった。

「なんかさ、姉上がさ、テントにいるの超似合わねーのな」
「ノクティスはアウトドアの似合う殿方になれましたか」
「んーグラディオの次くらいにはなってる」
「そう」
「王都にいた時より筋肉ついたし、五日間くらい風呂に入らないこともあるし?」
「そうなの」

の声は優しかったが、ホットタオルがノクトの頬を無言でこすった。
こういうじゃれ合いに抵抗を持たない関係性を維持できていることは、ノクトにとってひそかな自慢だった。
身体を拭いてさっぱりし、ノクトの服に着替えてひととおり支度はすませたけれど、数時間前まで体半分凍っていたのだからまだしばらくは安静が必要だった。

「イグニス、めしー」
「はい。これに」

テントの中からノクトが横暴な夫のように言うと間髪をいれずにテントの入り口でイグニスの声がした。
もいるためか、言葉遣いに気をつかっている。
声はしたが入ってこない。
ノクトは変な顔をして首をかしげた。

「入って来いし」

すると、湯気をあげるおかゆとスープ、ホットミルクののったトレーだけが中に差し入れられた。

「なんだよ。…あ、女性の部屋だからってこと?べっつにいいだろそういうの、姉上じゃん」

テントの外から聞こえた咳払いが、おまえには姉上でも俺には王女殿下だろうと雄弁に語る。
近くにいるはずのプロンプトは気配すら消している。

「ま、いいけど」

食事のトレーをたぐり寄せる。

「まずどれ行く?ミルク?」
「ありがとう、イグニス」
「はっ」

ノクトを通り越してがテントの外に言うと短く返った。

「顔が見たい」



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