翌朝、まっすぐ斜陽殿に向かわねばならないところだったが
「彼女を病院に」
お願いします、と譲る気のさらさらない八戒の頼みに三蔵の方が折れた。

寄り道の道すがら、悟浄が女に自分の年齢をあてさせたり宝くじの当て方を聞いたりしてふざけている間、悟空は妙に静かだった。
「んじゃ次な。二年後くらいにこの四人のなかの誰があんたと付き合ってる?」
「…誰とも」
「んなわけねえだろお。足のながーい彼氏が見えるべ」
「四人は旅に出ている」
「それはねえわ。あ、もしかして付き合ってんじゃなくて結婚してるとか?いやまいったねこれまた。そんなら次はぁ」
会話にも一切まざらず、そう広くない後部座席でできるだけ女と距離をとり、警戒しているといって間違いない。
ついて行かないという悟空をジープに残して、悟浄の知り合いの女の闇医者が彼女の股を見た。
「熱が少しあるね。でも妊娠はしていないよ。使い込まれてるけど子供を産んだこともなさそうだから、相手が毎度律儀にゴムつけてたんでなけりゃ、そういうこと」
女を別室に置いたまま、幸とも不幸とも判ずることのできない事実を聞いて、男たちはただ突っ立って口を閉ざしただけだった。
このていたらくに女医は煙草を乱暴に灰皿に押し付ける。
「だらしないね、大の男が揃いも揃って」
反論が返らなかったのもまた女医の癇に障ったらしい。網タイツの足を解くと机をたたいて立ち上がった。
「パンツくらい履かせておやり!」
男気ある女医はパンツどころか着物まで与え、着替えた女を伴って三蔵一行はその日の午後には斜陽殿・拝殿にたどり着いた。






長安南部の山頂にある斜陽殿は、天界と地上とをつなぐ聖域である。
三仏神なる三人の神が下界の人間に神託を授けるその場所に近づけるのは、ひと握りの高僧と、神託により召された者に限られる。それこそがこの桃源郷で僧侶が高い地位を得ている理由に他ならない。
悟空、悟浄、八戒を外に残し、三蔵と女が拝殿の中に入った。
謁見の間に至る前に前方の扉と後方の扉を閉ざされ、数分間待たされる部屋がある。
どこからか銅鑼が一度鳴って龍の彫られた前方の扉が開くまで待ちぼうけだ。椅子もないうえ、いつの頃からか火気厳禁の張り紙が出されたのはまえに三蔵がここで煙草を吸ったせいだろう。
「…」
「…」
横の生白い女はうんともすんともいわない。
車中では悟浄とはいくつか言葉を交わしていたようだったが、三蔵の前では植物のように沈黙している。静かなぶんには文句はないものの悟浄にはわずかなりとも気を許して三蔵を強姦魔と勘違いしている節があるのは「そりゃ河童のほうだ」と考えを改めさせたい。
銅鑼が一度響いた。
改心させるに至らぬまま、前方の扉がひらく。
金冠をいただく三蔵法師が炎の前に進み出て跪くと、長い髪をひきずる女も何もいわずについてきて、三蔵にならった。
銅鑼を叩く音が三度響いた。
「北方天帝使第三十一代東亜玄奘三蔵、参りました」
炎の背後にある水の壁が揺らぎ、そこに三つの顔が映し出された。
「ご下命賜った易者はこれに。東は許昌、岩窟の奥深くにて新興の豪族に囚われておりました」
「ご苦労」
いつも偉そうな三仏神の声にわずかながら緊張の色を見つける。
「おもてをおあげなさい」
すなおに従った女の顔を見るや、三仏神の表情が明らかに変わった。左の女神は痛ましく眉根を寄せ、真ん中の男神はしばらく目を閉じ、平静を取り戻そうとしているようだった。右の神だけは表情もなく女を見据え、やがて口を開いた。
「間違いない。そちらにおわすは、天界のさるやんごとなきお方の妹御、叡智の君、殿下にあらせられる」
「…はあ」
つい数年前も、悟空を拾った時に天界の大物だなんだと似たような話を聞いた気がする。いやな予感がした。
三蔵の怪訝な返事は意にも介さず、右の神が続ける。
「これより暫く慶雲院に玉体を置かれ、下界の穢れをはらい清め、御心をやすんじたてまつり、しかるのち天界におあがりあそばす」
「…」
「何かいいたげだな」
「当院は女人禁制のしきたりなれば」
右の神は眼を細め、蔑むような笑みをたたえた。
「下界では女の形をとりあそばすが、天界においては人の性で分け隔てることなどかなわぬお方。大慶と覚えこそすれ、厭うことなどあるものか」

三仏神が三蔵に命じたのは三つの事であった。
ひとつ、指示あるまでこの女を慶雲院で厚く保護すること
ひとつ、不浄のもの、すなわち下界の水や食べ物を与えないこと。与えれば六日六晩苦しみもがいたのち全身から血を噴いて死ぬという。それさえしなければ死ぬことはない、ともいった。
ひとつ、おまえ世話しろ。
また、三仏神は三蔵に命じた時とは打って変わって「おそれながら」と頭につけ加え、うやうやしく女にも頼みごとをした。
ひとつ、そのたぐい稀なる力を以て、寺院の者どもにぞんぶんに正しき道を示し与えること。
すなわち、占ってやれということであった。



斜陽殿を離れ行く者どもを天から眺めて、観世音菩薩は「ふうむ」とうなった。
「相も変わらずお美しいことだ」
覗く先には蓮の浮かぶ水鏡がある。
これにゆらゆらと、見知った金髪と女の姿が映しだされている。
「下界で千年も経てば人はまあよく死によく生まれるものを、何度目の人の生とはわからんがこちらにおわした時と同じ姿と力を持つとは、さすがに名目上とはいえ天界をおさめていたじじいの妹君。顔が似なくて本当によかった」
「…観世音菩薩様、先帝にそのようなおっしゃりようは」
そういえば、と菩薩が振り返ると、二郎神は後ろ手に腕をくんで口を閉ざし、どこか気落ちしたふうである。菩薩は含みありげににんまりする。
「おまえも若い頃ほどは御母堂と似なくなったな」
母と呼ばれ二郎神は首を横に振った。
「もはや我らを生んだ母ではありませぬ」
地上の暦にすればもう千年よりも昔、美しく聡明な妹のほうこそ先に生まれていればと散々陰口をたたかれ、天帝は妹を地上へ落とした。彼女はその後、人間の男との間に六人の兄弟を生んだ。その六兄弟の一人が何を隠そうこの二郎神である。
いまはストレスのせいかだいぶ老けて見る影もないが、天界で二郎神といえば知らぬ者はない。若くして特等武官に任ぜられるほどの武を備え、眉目秀麗で頭もめっぽう切れるのに半神半人の負い目でたいへん謙虚とあって、かつては女仙からの黄色い悲鳴を一身に浴びていたものだ。
母ではないと切り捨てた言葉とは裏腹に悲痛で複雑な胸中の二郎神をこれ以上イジるのはやめておこう。慈悲深いなあと心の中で自画自賛して、観世音菩薩は唇の端をあげた。
「さて、二郎神」
という。
「ひとつ調べ物を頼む」
「は。して、なにを」
「三仏神にあの命令を出させた者を調べ報告しろ」



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