見た目の四肢はそろっているが、着物のちぎれ方から察するに腕と胴が少なくとも二か所は輪切りになっているはずだ。しかしの身体にはかすり傷のひとつもなく脈打ち続け、二日の昏睡のあと夜半過ぎにその瞼が開いた。
天蓋のない天井に視線を巡らせ、右に新聞を広げた三蔵の姿を見つけると
「悟空はどこに」
おととい輪切りになった人間にこの声は出せまい。
「もう眠っているかと」
ほっとしたと、三蔵の前ではめずらしくはっきりと表情に出た。
客殿は爆発で高床と側壁が崩れて倒壊し使い物にならなくなったため、慶雲院で客殿の次に良い部屋が新たなの寝所としてあてがわれた。すなわち、寺院の最高責任者たる三蔵の寝室であった。玉突き式に、三蔵はこことは別の部屋に移ることを余儀なくされ、いい迷惑である。
寝起きのはもちろんそうとは知らない。
「…誰か命を落としましたか」
「誰も。二、三棟燃えましたがこの寺院は建屋の間に水を巡らせて幅を広くとっていることと、風のない明るい夜であったことが幸いしました。賊を黒門から招き入れた内通者もすでに捕えております」
門番の食事に薬を含ませ、門を内から開けたのは例のキツネ顔と腰巾着のタヌキ面であった。
「けが人はかるい火傷が数名、重傷がひとり」
「だれ」
起き上がって詰め寄ろうとした体はマットレスの上にうつぶせにくずれた。
「このとおり、ひとり」
三蔵は嘆息しながらの身体をゆっくりと表にかえした。
傷があるとは見えないが、両腕ともかまぼこのように転がって動かない。
「迷惑をかけました」
ごめんなさい、とやけにしおらしい。
今度はこちらが尋ねる番だ。
「死なぬ体というのは本当ですか」
「…昔は転べば傷ができて血が出ていました」
「ではいつからそのように」
「二人目の人間が指を切り落とそうとした時にはもうこのようになっていました。痛みはありますが、人よりずっと早くもとどおりに動くようになります」
だから今は早く出ていけと声が聞こえるようだった。
それゆえに三蔵はいま少し居座ることにした。
「賊の腕を噛んだとか」
返事はなかった。
「それがその出来のよい頭ではじき出した最良の解決策とやらだったのですか」
かち合った眼は、三蔵が喧嘩を売っていると理解している。
そのうえで、睨むでもなく、ふてくされるでもない。
「…頭は間に合わなかった」
素直にいった。
「…」
「けれど、はばむ檻もなかった」
そのまなざしの奥にしずかに灯る炎を見る。
三蔵は「ご無礼」と言い置きやおら立ち上がった。
「二度とすんな」
粗野な物言いにははたと瞬きする。
「どうせ死なねえなら縄を引きちぎって斜面から転がり落ちてでも逃げやがれ。そんなになって守られた方こそとんだ迷惑だってことくらい頭使わねえでもわかんだろうが。おまえさえ逃げりゃあの猿一人であんな連中充分だったんだよ」
一息に言い、「…それから」と声を鎮めて続ける。
「こちらは離れと違って僧徒の往来も近うございます。みだりに外に顔をだされませんよう。緊急時は大声で火事だとお叫びください。では、私はこれで」
三蔵法師は靴を鳴らして扉へ向かったが、くるりと方向を変えて戻ってくると毛布を乱暴に首まで上げなおしてから出ていった。
生来まじめなこの男に、八戒の忠告を受けながら私情で手を打つのが遅れた負い目がないといえば嘘だった。






物音がした気がしては再び目をさました。
何時間眠っていたのか、片目を薄く開くと夕方の閃光が差し込んで反射的に目を閉じる。
ふと、閃光のなかに黒い影となった子供の姿を見た気がした。
最初に殺められたあの子が来たのだとそう信じたが、目の前にいたのはこの寺院に住まう悟空という少年であった。この子はよく太陽を連れてやってくる。
「これあげる」
窓から入ったのだろう。逆光のなかで、悟空はいう。
「腹、減ってるんだろ」
差し出された手のひらには小さな粒の入った透明の袋がのっていた。
最初にいた村で食べたことがある。金平糖だ。
とれ、というふうに悟空の手が揺れる。
目が慣れてきて、ようやく悟空の表情まで見えてきた。どこにもケガをしている様子はなく、しかし顔は強張っているように見えた。
泣いて謝りたかったが、は笑うような顔を作った。
「手が動かないのです」
あ、と気がつき、悟空は慌てて袋の中に手を入れた。
「じゃあ、これ。口開けて」
三人の神の話では、すでに人の世のものを口にすれば六日六晩苦しみぬいて死ぬ体になっているらしい。
は口をあけた。
舌の上にのった菓子からじわりと刺激がひろがる。
悟空は緊張の面持ちでこちらを見ている。
「おいしい」
甘いのか酸っぱいのか、味はわからなかったがそういって笑って見せると、悟空の表情が明るくなった。
「だろ!これ、ちっちゃいけど甘くて俺好きなんだ。ちっちゃいけど。もう一個あげる」
もう一粒唇の間に押し込まれた。
「…おいしい。ありがとう、悟空」
「いいよ、これ、いっぱいあるから!」
死んでやろうと思ったわけではないけれど抵抗もなかった。
ただ、この子が目の前にいる時間だけはうめき声一つあげずにいることは決めていた。



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