「お前ら、ここをなじみの居酒屋かなんかと勘違いしてねえか」
「フリーのかわいい店員さんがいるからな。そりゃ来るべ」
「加減はどうですか」
襲撃のあった晩以来、三日おきに慶雲院まで押しかけてきていた。普段は悟浄のストッパーになるはずの八戒も、こと、あれが絡むと悟浄よりもよほど手に負えない。最初の報せをうけてすっ飛んできた時など、三蔵に掴みかかろうとして悟浄に止められたほどだ。
「まだ起き上がれんがそれは目に見えない怪我のせいだ。三仏神の話とは程遠い」
「ではやはり、三蔵の見立てのとおり天界が彼女を神に仕立て上げるためにあんな命令をしたということでしょうか」
「おそらくな。きのう斜陽殿に行った時には明確な答えは得られなかったが、一番右のやつがいなかった」
「一番右ってなんだよ」
「食わすなだの寺の連中に神通力をほどこせだの命じたのがその右の神だ。保護しろ、世話しろ以外の命令はきのう取り消された。上にバレて謹慎でも食らってるんだとしたらつじつまが合う」
「上のゴタゴタに付き合わされたってんなら余計腹立つわ。つっても、人でなしの仕打ちをされて実際本当に人でなくなりかけるなんて芸当普通できんのかよ。俺も飯食わなかったら死ななくなんの?」
「僕らがやったら普通に死にますよ。実際、神がかり的な占術はあるわけですし、彼女は人間寄りのなにか、ということなんでしょう。今後のことは何かいっていたんですか」
「上にの血縁がいるという。血縁者とその上司が保護を申し出ているそうだ」
「はぁ!?」
「そんな、一体どんな人物なんです。それに上司もってどういうことですか。信用できるんですか」
「名前はいえない、どういう関係であるかもいえない。だと」
三蔵は机の下の棚から金糸銀糸の組み紐でとじた桐箱をとって、卓上にあげた。
中におさめられていた書簡を八戒がとりあげ、悟浄も覗きこむ。
を神にしてから寄越せと暗に命じた一件と打って変わって、文章はへりくだり、の御君の尊厳を守るという所信表明とともに、来るか残るかの判断は任せる、判断の期限も定めぬとあった。
「…これ、あいつも読んだのか」
「ああ」
「反応はどうだったんですか」
「少しは驚いたようだったが特に何も。もともと表情の変わらん奴だし、いまはあの状態だから余計にわからん」
悟浄は八戒から書簡をとりあげて、ピラピラ揺らしてから卓の上にほうった。
「はっ、神さんも仏さんもどの口がいうってんだよ。このお優しいお手紙もどーせあいつを騙すための餌だろ。騙されんなってちゃんといったろうな」
「あれはものを知らんがそういう悪意にはよほど慣れているだろう」
とはいったが、この書簡があれを懐柔するための手練手管の粋を集めたものと、三蔵は断じきれずにいた。
この書簡、宛名は三蔵宛てであったから三蔵が最初にこれを読んだが、どう見ても内容は宛である。漢字ひとつひとつに丁寧にふりがなが振ってある不審もあった。
に 読ませようとしてはじめて天界の意図を垣間見た。
叡智の君などと呼ばれながらは文字がほとんど読めなかったのである。
三蔵宛てとしたのもおそらく、相談相手になれと不文のうちに云っているのだろう。
「なんにせよ、面倒ごとを次から次に押し付けられてこっちはいい迷惑だ」
悟浄が指を鳴らす。
「お、そんじゃうちにお引越ししよーぜ」
「そうですね。三蔵がそこまでいうなら」
「持っていくなら後にしろ。今は療養を理由にじじいどもの謁見申請を全部断っているからな。寺院の連中に無傷の姿を見られると俺のところにまた面倒が降ってくる」
「寺の連中に見られるとって、じゃあ誰にも会わせてねえの?」
「ああ」
「なら一体誰がの世話してんのよ」
その時、音を立てて執務室の扉が開き悟空が駆け込んできた。
「あ、悟浄、八戒。やっほー」
「こんにちは悟空」
「うん」
「なんだ猿、久しぶりにやけに機嫌いいな」
「うん」
悟空は返事だけしながら二人を通り過ぎ、本棚によじ登ると一番上から絵本を取って飛び降りた。
「じゃあね」
「おいおい」
風のように部屋を出て行こうとしたのを悟浄が呼び止める。
「なに?俺急いでんだけど」
「んなもん持ってどこ行く気だよ」
「姫んとこだけど」
「姫だあ?」
悟浄が素っ頓狂な声をあげる。
「うん、あいつ動けないからつまんないだろ。だからこれ読んであげるっていま約束したんだ」
「いやおまえその、イヤだイヤだのあとがいきなり姫っておまえ、どういう」
「だって三蔵が寺ん中で呼び捨てすんなっていうから」
「あんなに嫌がってたのにもう大丈夫なんですか」
「もう嫌な感じあんましなくなってるよ。ねえ、俺はやく読んであげないとだから行ってい?またあとでな」
悟空は扉の向こうに姿を消し、呆気にとられる二人は一拍遅れて顔を見合わせた。



その変わり様は豹変というべきものだった。
悟空は食事の手伝いや身の回りの世話を買って出たばかりでなく、外の世界を知らぬことを恥じたに頼まれいまや先生役までこなしている。森羅万象を見通す女は、しかし文字の読み書きすらあやうかったのである。
悟空はみなぎった。
昔お気に入りだった絵本をせっせと読み聞かせ、図鑑を持ち込んでは「これは牛、牛はこんなふうに歩く。あとウマい」とか「この明るい星はあっちに見える」とか「これはヘラクレスオオカブト、超かっこいい」とか1ページずつ教えて、これまでが嘘のようにの寝室に入り浸った。
三蔵はというと、悟空が寝静まってからの寝所に入り、息のかかる距離で横たわるの顔をじっと見つめることを日課としていた。
男の指の腹がやわらかな額を撫ぜる。
「…」
「…いかがでしょうか」
の額にプラスチック定規をあてていた手が離れ、三蔵はチャクラの大きさを帳簿に書きつける。
「3日で0.5ミリというところかと思いましたが、ここのところ縮まらなくなっております」
「そうですか」
占いをやめ、食事をとらせはじめると、現れかけていたチャクラは少しずつ薄れ、もう少しで消えるところまで行ったが、よく見るとまだ肌の中にわずかに赤がのぞいている。
―――今度肉でも食わせてみるか。
この距離でよく見ても何事ももよおさぬ三蔵を看、菩薩が椅子に凄まじい手刀を落として破壊しているとは露知らず、三蔵は難しい顔のまま帳簿を閉じた。
「このままの生活を続ければあるいは人の身体に近づく可能性はありますが、そもそも、あなたは人になりたいのか」
人は不浄、俗世を捨てて神仏にすがりたい、なんなら神仏そのものになりたいという連中はごまんといる。特にここには。
がどちらを選んだとしても、三蔵には止める義務も義理もない。
「人になりたいとも、神や仏になりたいとも考えたことはありません」
淡々といった。
これまでの事を考えればどっちも御免だというのは理解できる。
「ただ」と続けた。
「悟空のようにありたい」
三蔵が少し面食らって黙っていると、はほんの一瞬はにかむような笑みをのぞかせた。
さては、頭を強く打ったのだろう。






悟浄と八戒の住む家は慶雲院からほど近い、町はずれの森の中にぽつんと建っている。
もとは悟浄の家であとから八戒が転がり込んだ形だが、もちろん悟浄が汗水たらして買ったわけでも、親から譲り受けたわけでもない。博打で巻き上げたものである。
「人でなしなことやられて神様の証ができたってんなら、人っぽいことすればいいんじゃね」
八戒が入れた茶をすすり、三蔵は悟浄の言葉を聞き流す。
たまたま近くまで来る用事があり、ついてきた悟空に引きずり込まれて今に至る。
相変わらずあれの事に関しては心配が過ぎる八戒が、開口一番にの調子を尋ね、チャクラの計測記録の話をしたのがこの会話の発端だった。
茶請けの饅頭を出しながら、八戒が悟浄の言葉を拾う。
「人っぽいことってなんです?」
「そりゃ決まってんだろ。酒・女・暴力!」
「八戒これ食っていい?」
「ええ、どうぞ」
「やったー!」
「皿ごと持ってくんじゃねえ。俺も食う」
「せっかく人がいいアイディア出してやってんだから聞けよなこのハゲ坊主!」
「酒と女と暴力のどこがいいアイディアだ。皿が干上がってんなら水でもかぶって頭冷やして来い」
「んだとコラ、やんのかテメェ」
「うーん…。案外、悟浄のいうこともやってみる価値はあるかもしれませんよ」
「どういうことだ」
「コンニャロ、んで八戒の話だけまともにとりあうんだよ」
「悟浄のいいたかったのはつまり、世俗にまみれてみてはどうか、ということでしょう。お酒を飲んでへべれけになってみたり、暴力、はだいぶアレなので切磋琢磨するという意味でスポーツでさわやかな汗を流してみたり」
「ふむ…」
三蔵も思案顔で湯呑に口をつける。
「あとは、恋、してみるとかですかね」
ぶっと茶を噴く。
「やだー、三つとも全部俺向きじゃーん。ご指名入りましたぁーん」
悟浄が自分の両腕を抱いて身もだえし、なよなよしい声を上げたのを睨みつけて黙らせる。
「このままにしておいても戻るかもしれねえだろうが。飯は出した分毎回全部食ってんだ」
その時、饅頭の皿を掲げてソファーの上で跳び跳ねていた悟空の動きが突然止まった。
これにピンと来ない三蔵ではなかった。
「…おい、猿」
「な、なに!」
こちらに背をむけたままひっくり返った声がした。
「おまえ最近、あれに飯持ってくときやけに盛るな」
「え、えっと、だ、だってそりゃ、姫にいっぱい食べてはやく元気になってほしいし…」
「ほう、それであのお姫様はいったい何口であの山盛りの飯を食うんだ」
「え、えと…えと、いち、にー、さん…」
短い指を立てて数える手がすぐに止まる。いつの間にか背後に立った三蔵のハリセンがうなりをあげた。
「テメエこの猿、ケガ人の飯にまで手ェつけてんじゃねえ!そこになおれ、根性叩き直してやるっ」
「ご、ごめんん!でも、でも姫が残した分しか俺食ってねえもんっ、姫ほんのちょっとしか食わねえし、姫が食べていいっていうから」
「あ、それじゃあ一応食べてはいるんですね」
「それでも戻らねえってんなら、やっぱ俺様の出番じゃん。おい八戒、ハゲ、サル、このあと慶雲院行こうぜ。シャワー浴びてこよーっと」
そのあと悟浄と八戒は本当に慶雲院に押しかけてきた。
面会謝絶と言い張って占い希望者を突っぱねていることと、そも、女の寝室であることを鑑みて僧房から追い出したはいいが、カラーボールが身体をかすめるたびすぐ乱闘したがるチンピラ野球はいつのまにかほぼドッヂボールと化して日が暮れるまでの部屋の窓から見える位置で繰り広げられた。ジープだけはちゃっかりの窓から部屋に入り込み、温かい室内からとともにチンピラ野球を眺めていた。
夜の集会で三蔵にこの行為を咎めたてる者たちがいたが知ったことではない。



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