「あなたを尊敬している」
「あなたのようにありたい」
誰もが欲する神通力を身に備わすが、自分は悟空の強さ、優しさの足元にも及ばないと、これを下手なお世辞でなく本気でいうのでおおいに悟空を喜ばせた。
「あれはなに?」「これはなに?」と三蔵を質問攻めにしてはいい加減にしろとハリセンを食らい、「そんなことも知らぬのか」と僧徒に蔑まれていた悟空にしてみれば、誰かに尊敬のまなざしを向けられることなど記憶のうち初めての体験だったのだろう。
実際はものを知らない。
本人もいつから外に出ていないのか正確な年数はわからないらしいが、文字の読み書きに苦労しているところから察するに十年は鉄格子のなかにいたのだろう。記憶のあるうち最初にいたという村も山奥で、は長安の繁華街にあっという間に目をまわした。
初の課外授業にやる気に満ち満ちて手を引く悟空先生はこれに気づいていない。
「あっち、あっちに肉まん売ってるよ。肉まんっていうのは、おいしいやつだよ」
「見て!これが噴水、水が出んの。見て!」
「こっち来て!来てったらあ、あれはね」
あっちへ連れていかれては露店につまずき、こっちへ手を引かれては人を避け切れずにぶつかり、はやくも足がもつれてきている。
「おい、うろちょろなさるなとさっきから申しあげてんだろうが」
「おまえもうそれ敬語でもなんでもねえだろ」
を振り回す悟空のあとを、目立つ法衣から平服に着替えた金髪の最高僧とチンピラ風の派手な男、そして白シャツの好青年がぶらぶらついて歩いている。
「まるでお母さんと子供ですね」
「お母さんの方めっちゃ人に酔ってっけどな」
「悟空ってたまに親子連れのことじっと見ていることがあったのでなんでかなーって思ってたんですけど、ああいうのに憧れていたのかもしれませんね」
「サンゾーさまがお手々つないでやらねーからぁ」
三蔵は鼻を鳴らす。
「誰がつなぐか。リードで充分だ」
「お?三蔵様戦線離脱?んじゃ遠慮なく“新シイオ父サン”行っきまーす」
行きかけた悟浄の足を払う。
「んだごらテメこの童貞坊主、俺がといちゃつくのがそんなに悔しいかよ」
「誰がんなこといった。性病が耳にまでキてんじゃねえのか」
「坊主はさっさとお寺に帰ってテメェの右手と仲良くしてろや」
「耳どおりが悪ぃなら右から左にぶち抜いてとおりよくしてやろうか」
ふたりは眉を極限までゆがめて至近距離でメンチを切り合う。
「いい加減にしてください。へんに目立つなとさっき三蔵がいったんですよ」
三蔵と悟浄は互いに鼻をならしてそっぽをむいた。
「それにしても、彼女を外に出すなんてどういう風の吹きまわしです?しかもあんな大仰な出立式までして」
「こそこそ持ち出すよりもあの方が妙な勘ぐりを受けんだろう」

慶雲院では大回廊の両脇にずらりと僧徒をならべ、長いかいどりをひいて神が蓮歩を運んだ。「下に、下に」と式典用の袈裟をかけた高僧が先導し、金冠を戴く三蔵法師を従えて、慶雲院の正門たる南門までは舟が出された。
厳かな雰囲気で出立式は式次第をすすめ、南門には黒塗りの高級車が待っていた。
「では様を斜陽殿にお連れする。戻るのは明日になるだろう。あとのことはまかせる」
「ははあ、委細お任せを」
院を後にし、長安の街を抜け、街はずれの林にはいると黒塗りの高級車から突然ボンと白い煙が上がった。白煙をうしろにやり過ごして現れた車体は無骨なジープであった。
「すっげえ!ジープってこんなこともできんだ!?」
舟に注目が集まっているうちに高級車のトランクに忍び込んでいた悟空が後部座席で飛び跳ねる。
「そう長くはもたないみたいですけど、よく頑張りましたねジープ」
ご機嫌のエンジンが一度うなった。
たっぷりの布に風をうけて布のお化けのようになっていたを悟浄宅まで運び、ウニクロで買っておいた着物に着替えさせてから外に繰り出したのであった。
もちろん目的地は斜陽殿ではない。

長安中心地の市場は活気にあふれ、客を呼び込む威勢のいいかけ声と笛太鼓、雑踏のなかに時折遊ぶ子供の甲高い声が混じる。その一つが悟空の楽しそうな声だった。
が目をまわしながらも嬉しそうにしているのを見て悟浄は肩をすくめる。
「ま、いいんじゃね?あんな線香臭ぇところに閉じ込められてたら治るもんも治らねえし?」
「あのバカ猿がひょこひょこ連れ出すから面会謝絶の手はもう使えん。公務だといって外に出ていた方が面倒がすくねえんだよ」
「ヒヒ爺どもにが占いさせられねえようにって?ヒー、三蔵サマやっさすぃ~」
舌の根も乾かぬうちに眉を極限までゆがめた至近距離でのメンチの切り合いを再開する。面倒になった八戒は「あ」と声を上げる
「見てください。いかにも筋モノに絡まれてますよ」
「おうコラてめェうちのお姫さんになんの用だ」
「ぶつかられて腕が折れただと?片側だけだと歩きにくかろう。もう片方も揃えてやるから腕を出せ」



チンピラ二人に前を歩かせると混雑した市場も自然と道がひらけ、だいぶ歩きやすくなった。二人のうしろをと悟空が手をつないで歩き、あれはこういうものだ、これはああいうものだと悟空が熱心に説明している。
八戒は最後尾について園児がはぐれないように、そして不良が喧嘩を始めないように見守って歩いた。
「…」
の髪を編み込んで目深にかぶった帽子の中にそっくり隠したのは八戒だったが、ふと、三つ編みにすればよかったと暗い場所から声がした。
―――そうすれば、後ろから見ると少し花喃に見える






「ねー姫何買ったの!何買ったの?俺にも見して!見してってばあ」
我が家のバスルームの前で悟空が地団駄を踏んでいるが、扉は処女の恥じらう太もものごとくぴたりと閉ざされ開かない。
このお猿の地団駄をリビングから見て、悟浄は何度目か噴き出す。
「ちょっと悟浄、いい加減笑いすぎですよ。あと、テーブル拭いといてください」
「だーってよ、三蔵様が、パン…パン…ヒィー、ウケる」
三蔵は気付いてしまったのである。悟浄の知り合いの女医が渡したたった一枚のパンツ以外、は一切の下着を持っていなかったことを。この五か月近く、はその一枚のパンツを履いているか干している間はノーパンで過ごしていたことを。
この外出は確かに占い回避の手段でもあったろうが、第一の目的は
「これくらいあれば足りるだろう。ひとりで行って来い」
長安散策の仕舞いにそういって三蔵が目も見ずに女性下着専門店に送り出した、あの買い物にこそあったのだ。
はバスルームに閉じこもるし、三蔵はひとりでどこかへ出かけて行ってまだ帰ってこない。
「え、姫パン買ったの?俺も食べる。一口でいいからあ」
「チビ猿ちゃんよ、もうやめてさしあげろ。おめえはこっち来てテーブルでも拭いとけ。すぐ晩飯だぞ」
「ばんめしぃー!!八戒、今日のご飯なに?」
「きょうはステーキとローストビーフ、から揚げに天ぷらにやきとり、きのこのアヒージョと金目鯛の煮つけにイカ飯にカルパッチョと肉まん、ピザまん、焼き餃子。ミートパイに焼きそばにそれからポテトサラダとお寿司ですよ」
「やったー!!すっげー豪華!」
デパ地下で買った最高級の食材と彩り豊かな総菜がズラリ並ぶ。費用は三蔵との公務費でねん出されたものだからレシートに並ぶ品目を見られた日には寺の経理が卒倒するだろうが、そこは八戒があとでうまいこと領収書をねつ造するらしい。
その後、よほどと同じテーブルにつくのが気まずかったのか、あるいは悟浄のにやけ顔をみるだけで撃ってしまいそうになるからか、ようやく戻って来た三蔵は「先に始めろ」と言い置いて、風呂に入ってしまった。
三蔵が風呂から上がった時にはすでにテーブルの上にはポテトサラダしか残っていなくてキレたが、それは逆恨みというものである。



かまってくれる人間が大勢いるお泊り会がよほどうれしかったのか悟空は22時までは粘っていたが、ついに糸が切れたように眠ってしまった。
そこからは大人の時間だった。
選び抜かれた清酒のお猪口をに持たせ、酒・女・暴力作戦の第一弾はひそかに実行の時を迎えたのであった。
お猪口を持ったまま、の頭がうつらうつらと船をこぐ。
酔いつぶれたわけではない。
まだ一滴も飲んでいない。
単に昼間の刺激が強すぎて気力と体力が尽きただけだった。
固唾とビールと日本酒とワインを呑んで見守っていた男たちの目の前で、はあえなく寝落ちした。
手からこぼれ落ちそうになったお猪口を悟浄が素早くとりあげる。
「あーあー…、ダメねこりゃ」
そういう悟浄はまんざらでもない顔をして、取り上げた酒を飲みほす。
さて、ここで寝かせてはあんまりだ。
しゃーない。
三人の男が同時に立ち上がり、突如として緊張がはしった。
無言のやりとりの末、八戒がを運んで行った。
「…ドアは開けておけよ」
「はいはい」
「古風だね~三蔵サマ」
「うるせえ。…おい、ライター貸せ」
「百万円でーす」

三蔵にライターを滑らせ、デパ地下でしこたま買い込んだ銘酒から次の相手を選ぶふりをして、悟浄は椅子を傾け八戒の寝室をちらりと伺う。
明かりを消した寝室の奥、丁寧に、丁寧にシーツを整え、繊細なガラス細工でも扱うように女の身体を横たえる背中が見える。
「…」
その表情をうかがい知ることはできなかった。



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