「僕の愛した人は僕の双子の姉でした」

窓からの日差しが、暗い部屋の寝台の一部にだけぽっかりと陽だまりを作っている。
そこに座らせ僕はいう。
「我が子の命を惜しんだ村人たちは親がないからと花喃を百眼魔王に差し出し、花喃は人の形すら成さない醜い妖怪に尊厳を奪われ、僕の目の前で自ら命をたちました」

―――だから僕から奪わないで。

陽だまりに檻を作る。
彼女曰く、過去と未来を見とおす神通力は長期の天気予報と似たような仕組みであるという。つまり、その神通力は超自然的な能力ではなく、この頭の皮膚と肉と骨の奥が無数の並列スーパーコンピュータのように演算しているということだ。
宝くじのあたりを悟浄に教えたそのロジックを尋ねた僕に彼女は語った。本人もそれを口に出すのは今までになかったことらしくうまく言葉にできない部分もあったが、おそらくこうである。
ある自然条件下で集合し形を成しているものがあるとして、その組織や電位、波打つふるまいも含むすべての動きからそれがどう成り立ち、ある時点でどう動くかを演算する。同様にその行為に関与するあらゆるものについてもある時点でどう動くかまで導き出して、交わる点、あるいは特定の範囲を解とする。
その五感は優秀な入力装置として働き、この小さな頭には物理学の域を越え、量子力学をも飛び越えてその先の人類がまだ発見していない理までもが体系立てた理解もなしにおさまって不可説不可説転の演算をしている。
にわかに信じがたいが、確かめる術もない。

ただ、条件と法則でその式が成り立つならば、その条件を変える演算もできるのではないか。

僕の愚かな脳はそう考えた。
そう、例えば、
もし
あの時

花喃が命を絶たなかったら。

もしあの時、僕が花喃の危機を察知して一目散に走って帰っていたなら
もしあの時、なにも起らずただただ穏やかな日々が続いていたなら
このひとはその先を聞かせてくれるのではあるまいか。
外で悟空の遊ぶ声が聞こえる。
悟浄が遊んでやっているのだ。三蔵まで連れ出して。
この人とのこの時間を僕に作るために。
そうとは言葉でいわないが、うつろで薄気味悪いこの空想にいい加減ケリをつけろと悟浄はいっている。
「教えてください」
僕はうつろだ。
「もしあの日が、花喃が攫われたあの日が、ただ何事も無く過ぎて、僕がただいまといったらおかえりと声が返ったなら」
悟浄、あなたが正しい。
「教えてください」
ひざまずいて乞う僕を、神はその双眸で冷然と見おろしている。
裁く両のまなこを片手で覆い隠し、もう片方の手は指を絡めてベッドに強く縫い留めた。
顔にあてた手に力をこめて倒すと、いとも簡単にうつくしい髪がシーツにひろがった。
やわらかな肌のむこう、人のぬくもりがある。
いってどうなる。
腹のなかで自らの嘲笑が聞こえる。
「もういい」
外で子供の笑い声が聞こえた。
「いって」
ひとつになれたらいいと
その頬に僕の手をあてて
この手が好きだと
「いって」
僕と同じ目の色で僕と同じ唇の形で、僕がこの手であの暗がりからすくった花喃

「あなたが優しいならもう僕から奪わないで」

「お腹がすいてしまったの」
ちがう色の目が僕を見てそう尋ねた。
無垢というにはそのまなざしの奥にたたえられた光はあまりに強い。
伸ばされた白い手は、を犯すように覆いかぶさった僕の身体を通り越し、上から下にゆっくりと背を撫ぜた。
「お腹がすいてしまったのね」
人の言葉ひとつ話せない僕に
「そう」
はうなずく。
「そうね」
ゆがんだ口の奥から愛する人の名を繰り返し叫びたかった。



<<  >>