扉を開けるたび素振りをしている姿があり、三蔵の敬語もいよいよいい加減になってきたある日のことである。
髪結いを終えた三蔵を呼び止めて座らせ、改まって何をいうのかと思えば
「鉢が欲しいのです」
「ハチ?」
はどこか決意したような面持ちでうなずいた。
境内の隅に打ち捨てられていた植木鉢の中から、小ぶりのものを拾って渡した。
「この種は黄色い花を咲かせると悟空に教えてもらいました」
特別花に詳しいわけでもなかろうに、あれはそんなことまで教えているのか。
見れば花の図鑑と星の図鑑、動物図鑑が部屋の隅に転がっている。食えるか食えないでしか物事を分類できないと思っていたあの悟空が、まさかひとにまともに物を教える日が来ようとは。
「それが咲くのは夏、この寒さで植えても芽は出ないかと」
これを聞くとたいそう残念がったが、は自ら外に出ることを望んだ。
クヌギの樹のもと、出立式よりはいくぶん軽装で、しかし顔を隠す薄い布を垂らしている女が繊手を土まみれにしている姿を見おろす。いかにも不似合いだが本人は熱心にやっている。
不意にの胸元が視界にはいった。
「…」
そこには確かに白く丸みを帯びた女の線があり、三蔵はしずかに驚いた。下心があって見ていたわけではない。慶雲院に着院した当初、「女ではないか」「不浄だ」と散々文句をいわれて「上も下もない」で事態をおさめた記憶がある。事実の身体がそうといっても疑問を持たれないほど貧相であったからそういったが、ではこの乳房は夢か幻か。悟浄の家でもしっかり肉を食っていたというから体が人に戻り始めて少しは精がついてきただろうか。
の顔が上がって目がかち合う。
下心はなかったがそらした。
「おわりました」
「では中に、…」
気づき、踵を返したの腕をとらえる。
二歩、三歩とうしろによろめいたの背がクヌギの幹にあたってとまる。
三蔵は顔にかかる布をすくいあげてその奥をじっと見た。
やはり
「…消えている」
指でなぞってもそこにはただすべらかでぬくい額があるばかりである。
弱い力で腹を押され、ぼそっと声が聞こえた。
「おぼうさまが」
すぐ近くに、ホウキを持った二人組の若い僧侶の姿があり、こちらに向かって目を拡げて頬を赤くしている。
「……様、額にヘラクレスオオカブトが」
虫をはらう仕草で事なきを得、僧房北端の寝室に戻った。
よくよく見てみれば確かにこれを見つけたばかりの骨と皮だったころよりはましになってきている。しかし、これで人になったのかどうかは見た目ではよくわからない。試しに切ってみるわけにもいかないだろう。
「死なない感覚というのはあるのか」
尋ねるとの視線が宙に行き、うろ、うろ、としてから床に落ち着いた。
「もう、死ぬかと」
「それはどういう」
「血が出ましたので」
「どこか怪我をしたのか」
「いえ…その」
「なんだよ」
「…」
の顔が上がらなくなり三蔵は首をひねる。
「……あ」







必要なものは先日の女医が機転を利かせ持たせていたから問題なかったらしい。きょうの髪結いはよいとまでいわれ、三蔵はなんの悪事を働いたわけでもないのに砂のような飯を食うはめになった。ここに悟空のやかましさが重なるとハリセンが凄まじいうなりをあげるところであったが、めずらしく静かである。というか姿が見えない。
夕餉が終わり、風呂に入ってくるようにいったあと、いつもなら布団に入る時間になっても悟空は戻ってこなかった。
まずは飯のあるところと思って食堂や大庫裏を探したが姿は見えない。すれ違う僧侶に尋ねても知らぬという。
まさかという思いがよぎり、の寝室を薄く音を立てずに開く。
すでに中の明かりが消えているのを確かめ再び音を立てぬよう扉を閉めかけたところで、大きく寝返りを打つ衣擦れの音を聞き、三蔵の手が止まる。
そのとき雲が流れ、花窓から月明りが差しこんだ。
の寝台で毛布をはねのけ、腹を出して眠っている悟空の姿が月にてらしだされた。その横にはもちろんが眠っている。
電光石火の速さで悟空を寝台から引っぺがし、廊下に放り投げて扉を堅く閉めた。
遊んでいるうちに悟空が眠ってしまったのをが許したのだろうが、これの言動がどれだけ幼くてももうそういうことが許される年ではない。
「んあ…」
「こんのっっっバカ猿!!!」
ハリセンが凄まじいうなりを上げた。



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