四日目

簀巻きのままの前に引っ立てられた雀呂は、額を床にこすりつけたまま顔をあげなかった。
「どうか!」
ミュージカルめいた声だけが天井の高い謁見の間に響く。
の周りには三蔵一行と旭影殿の面々、そして紗烙と波珊が顔をそろえている。
「どうかこの俺を我が君の従者に!!」
「はぁあ?」とチンピラが眉を歪めて近寄って来ると、雀呂の前髪を掴んで持ち上げた。
「我が君ってどの君だよ」
「もちろん!そ、そちらにあらせられれれる…」
顔を強制的に持ち上げられて正面の椅子に腰かけるの姿を熱っぽく見つめるかと思いきや、雀呂の視線は泳ぎ泳いで左にそれた。これに悟浄がピンときた。
「さてはテメッ…、使ったろ!」
「つつつつつ使ってなどいない!」
「このヤロ昨日あれほどっ」
「ちょっと悟浄、いったい何の話です?」
「なにってそりゃおまえっ…えっと、」
悟浄は口をぱくぱくさせた末、唇をとがらせ、掴み上げていた雀呂の衿をしぶしぶ手放した。磨き上げられた床に雀呂の顔が激突する。
衝撃で鼻血を出しながらも雀呂はあきらめなかった。尺取虫のように体を曲げて正座へと姿勢をなおし、自分をの護衛にと大げさかつ大仰に頼み続けた。
紗烙がかわいそうな視線を八戒に向ける
「なんなんだこの演劇部は」
「さあ、ちょっといっていることがわからないです。アハハ」
「ヒッ、ヒィ!…いや、きょうの俺様はそのような脅しには屈しないぞっ」
「脅してません。笑っているだけです」
「クッ…こ、こわい」
ぶるぶるとかぶりを振った。
「しかし俺様は決めたのだ!昨日あなた様に助けられたこの命、これよりはこの命果てるまであなた様のために使おうと!」
「果てるまであなた様を使いましたの間違いだろうが」
「う、うるさい!!!俺様は本気だ。その証拠に、フッフッフッ、見よ!!」
雀呂を縛っていたむしろが突然千切れ、解放された雀呂の腕がの前に振り下ろされた。三蔵一行と僧侶らが一斉に武器と印を構えたが間に合わなかった。
「爪を切ってきました!!」
両手をピンと伸ばし、指の先までできれいに切り揃えられた爪をに見せつけた。

「はっか、八戒!落ち着けって!の目の前で殺すなっ!おいったら!ちょっ、ロープロープッ!!」






***






夕暮れになるまで走り、旭影殿の外の岩の上でひとり、暮れていく夕日を眺めた。
昼間の雀呂を悟空も一緒になってぶん殴ったが、本当は自分には殴る権利はない。
暴力的でいやらしい欲が顔を出す度、あの優しい笑顔がほどけて落ちていった表情を何度となく思い出した。
―――俺は昔みたいにあの人のとなりで子供みたいに跳びはねて、無邪気に振る舞わないといけない
そうありたいと願ったそばから、頭の中のが切なげに肩から着物をおろしはじめる。
「やめろよォ…」
抱えた膝に顔をうずめると情けない独り言が漏れた。
この頭の中すべて、負の波動のせいだったらどれだけいいか。
顔をあげると夕日が稜線をにじませて山の向こうに沈んでいく。
「…」
堂々巡りをいくら繰り返しても、しかし、最後にたどり着く答えはいつだってひとつだった。
―――俺は三蔵がうれしいのを壊せない
もとから、どうあがいたって壊せないのかもしれないけれど。
途方に暮れていると、誰かが近づいてくる気配を感じた。
抱えていた膝を放し、なんでもないようにあぐらをかいて胸をそらす。
「おー、こんなとこにいたのかよ。木登りでもしてたか?」
「サルじゃねえよ!なに?」
悟浄の唇の片端が不敵にあがった。
「風呂、覗くぞ」






お風呂覗き隊に加わったのは、悟浄を筆頭に、紗烙をネタに揺すられた波珊と、「ハレンチな!!」と非難しながらもついてきた雀呂の三名である。
悟空はというと、誘った直後に両手持ちの如意棒を容赦なく振り下ろしてきた。
一撃目をなんとか錫杖で受け止めたが、受けた重みと気迫で悟空の本気を感じとり、次に跳びかかられた瞬間、悟浄は一か八かで叫んだ。
の二の腕!」
空中で悟空の動きがピタリと止まり、止まった姿勢のまま石のように地面に落ちた。悟浄は地面から動かない悟空を見おろし、顎をひねって思案してから続ける。
「…の肩甲骨」
「…」
ピクリと動いた大きな耳がみるみるうちに赤くなっていき、ほうほう、なるほど。悟浄は最近の悟空の奇行の理由をすみやかに理解した。ならば、
「やるか?」
「やったらぶっ飛ばす」
悟空は悟浄の前で立ち上がらないままとぽつりいう。
「見たくねえの、あいつのナマ肌」
「…見たくない」
「嘘つけ」
「……見て、え…けど、見るならちゃんと見る」
「ちゃんと見せてもらえる時なんて永遠に来ねえだろうが」
「うっせえ!…もう、あっち行けったら…」
「へいへい」
「やったらマジぶっ飛ばすかんな」
ずっと屈んで顔を伏せたまま声だけで凄む悟空に適当に答えながら、武士の情けとして悟浄は青春ほとばしる悟空を置いてその場を離れてやった。
八戒と三蔵にははなからいうはずがない。

かくして日が暮れるのを待って悟浄と波珊と雀呂の三名は抜き足差し足で湯気のこぼれる窓の下に近づいたのだった。
の部屋には小ぶりの浴室が備え付けられているそうだが、きょうの夕餉の際に悟浄の勧めに紗烙が乗り、タルチェも同意し、今日は女三人で一緒に広めの浴場を使うことになった。このときの悟浄のまったくいやらしさのない、いかにも気のいいあんちゃん風の勧め方といったら、付き合いの長い八戒でさえも奥底の邪心に気がつかなかったほどであった。
(こ、このような非道な真似、貴様それでも三蔵法師の従者か!)
覗き行為を糾弾するわりには、雀呂はウィスパーボイスであるし、どこまでもついてくる。
(うっせえな。いいんだよ。銃に酒に煙草に肉になんでもござれのあの生臭坊主が後生大事に童貞だけ守っとくわけねえんだから、手ぇ出すならヒトのモンになる前のほうがいいに決まってんだろうが)
(な、何ィ!?玄奘三蔵法師が我が君に手を出そうとしているのか!?許せん…!)
(玄奘も今から覗こうとしている奴に許せんと言われてもな)
(だだだ誰が覗くなどといった!お、俺様はただ、その、貴様らの愚行をだな、ちゅういしに)
(あーもー黙っとけ劇団員!バレたらどうすんだ!とロリ婆はともかく、紗烙にバレたら確実にその場で全員殺されるぞ。いっとくけど、マジ勝負になったら俺たぶんケンカで紗烙に勝てねえからな)
(すまん、紗烙…、だが、俺は本当におまえのことを…!)
男たちは姿勢低く壁伝いに進み、不意に先頭の悟浄が手を挙げて隊列をとめた。
手信号で壁側を指さし、ごくりと唾を飲んでおそるおそる壁に耳を押しあてる。

「そう恥ずかしがることはないでしょう。御覧ざれ、こちとらこのとおり肌は傷だらけ」
「お怪我を」
「ちょっと拷問をばたしなみまして。さあ恥ずかしがらず」
「いえ、あの、恥ずかしいわけでは。ただこの寺院の主様と紗烙三蔵様の入浴にご一緒するのは無礼にあたらないかと」
「なにをおおせか。本来であればわしらのほうが遠慮すべきところ。お嬢、さっさと引き込んでしまえ」

三人いる!
ロリには食指の動かない悟浄、波珊、雀呂であったが、一糸纏わぬ女体がこの壁の向こうに三つもあると想像するとわくわくは無限大に膨むというもの。雀呂はすでに鼻血を噴いて(こ、これは昼に床にぶつけたときの鼻血だ)などと地面に言い訳している。
(しかし、悟浄。どう覗くんだ。さすがにあの格子窓から顔を出せば気づかれるぞ)
悟浄は鼻で笑った。
(この俺を誰だと思ってるのよ)
悟浄が再び手で信号を作り、ある一点、いや三点を指さした。
示された場所を見て波珊と雀呂は仰天した。壁にはキリで開けたような小さな穴が穿たれていたのである。
開きっぱなしの下あごをガクガクと震わせて、喉だけがごくりと鳴った。
ぶるぶる震えながらまなじりを裂けんばかりに開き、小さな穴に血走った眼を差し向ける。
(((おお!!)))
中の様子がその眼に映り、声のない歓声が高らかにあがった。
(クソ…湯気でよく…)
悟浄は顔の角度を変えながら見える位置を探したが、なかなかどうして湯船からもうもうと湧き上がる湯気がその向こうの女体を覆い隠している。
(おい悟浄、よく見えないんだが)
たいそうもどかしげに波珊がいう。悟浄は肩をつつく手を払いのけた。
(ちょっと待てって波珊)
つんつん
(あとちょっと…)
つんつん
「るっせえな!邪魔すん…」
腕を払って振り返ると、そこには目隠しをした悟空が如意棒を大地について仁王立ちに立っていた。
両手持ちの如意棒が高々とふりあげられる。
一片の慈悲もなく渾身の力で振り下ろされた如意棒は、見事一瞬にしてお風呂覗き隊の志と肉体を粉々に打ち砕いた。
が同時に、女風呂の壁をも粉々に打ち砕いていた。



かろうじて壁にくっついていたタイルの最後の一枚がいま土に落ちた。
バスタオルを巻いた紗烙がそのタイルをいとも簡単に踏み割り、波珊の前に進み出た。
同じくバスタオルを巻いて、タルチェはあきれはてた顔で、は心配そうに屋根の下から遠巻きにこの様子を見ている。
悟浄と波珊、雀呂のそれぞれの顔はすでにぶどうの粒の集まりのように膨れあがって変色している。さらに悟浄と雀呂に至っては首から下を土にうずめた状態で気を失っていた。悟空はというと、目隠し越しにも一切女湯の方を見ずにすぐにその場から立ち去って、その存在を女たちに知られることはなかった。
唯一まだ土の上にある波珊の身体は荒縄で縛られて正座している。
これを紗烙が冷たく見おろし、
「さて」
といった。
「波珊、言い残すことはあるか」
ぼこぼこの顔の奥で波珊の唇が笑ったように見えた。
「愛してるぜ」
語尾に重なって強烈なかかとがたたき落とされた。
かかと落としの一瞬、動物的に発達した動体視力が「見えた!」と錯覚したからだろうか、垂直に地面に埋まった波珊の顔はどこか幸せそうであったという。



寒風吹きすさぶ満天の星空のもと、砕けた風呂はそのままにあたりから人の気配はなくなり、物言わぬ首が三つ、ぽつねんと土に並んでいる。
そこにひとりの男が通りかかった。男は名を八戒という。
八戒はこの時間までとりこみ忘れていた洗濯物を洗濯カゴいっぱいに抱えていた。
彼は無残にも土に埋まった三人を見つけると「おや」と声をあげて目を丸くした。

「ぼこぼこになって土に埋まるなんて負の波動の影響ですか?こわいなあ」

からからと笑って、立ち去った。



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