「おかあさま」

「ラクス、どうしたのですか」

細くて白い母の手を覚えている。

いつもベッドに横たわって、力ない瞳でわたくしを見ていた。
わたくしが悲しんだ顔をすると、母は悲しそうな顔をした。
けれどわたくしが笑うと、母は安心したように顔を和ませた。

笑いなさい、ラクス



侍女長のアリスさんはハンカチを両手で顔にあてていた。

「らくすはだいじょうぶです、おかあさま」

微笑んでみせると、母は目だけでわずかに笑ってそれから、深く目を閉じた。


わたくしのおぼえている『おかあさま』はそこまでで、あと覚えているのは

アリスさんが大きな声をあげて泣いてしまったこと。
わたくしはその声に少し驚いて振り返った。
おくさま、おくさまといつもの穏やかな声のアリスさんとは別人のような声で繰り返していた。

「お嬢様はまだ4つでいらっしゃるのに」

「だいじょうぶですアリスさん、なかないで」

抱きしめてくれたアリスさんが泣き止むまで、

笑いなさいラクス



それから数日もしないうちに黒い服を着た方々と、黒い服を着たお父様が悲しい顔をしていらした。
だからわたくしは、お父様の服をぎゅっとつかんで

「おとうさま、おけがをしたのですか」

とたんにお父様は涙をこぼされて、わたくしを抱き上げて、少し痛かったけれど
わたくしはおとなしく抱きしめられたままでいた。

「ずっとわからないままでいておくれ」

縋るようなお父様の声を聞きながら、ちょうどよい位置にきた肩に頬をあずけた。
お父様のお顔から悲しみがきえるまで

笑いなさい、ラクス








わたくしはだいじょうぶ

同じ言葉を繰り返しながら、14歳になった。
さびしくないようにとお父様は見晴らしのいい広い庭とロボットを与えてくださった。
庭は広く美しく
どこまでも広く美しく
ティーテーブルに椅子は
ひとつ

「ね、オカピ」

配膳ロボットは小さなモーター音で応えた。

「わたくしにはこの庭とあなたがいますもの、ね」

撫でると、反応して最近調子の悪いロボットはくるりと回って見せた。

「ええ。わたくしは大丈夫です」


「そろそろお客様がいらっしゃる時間ですわ。アリスさんのお手伝いをしてきて、オカピ」

遠ざかるロボットを見つめる。
笑うことができる。
だいじょうぶ







「アスラン・ザラです」

”笑いなさいラクス”

もはやその暗示はいらなかった。
わたくしは笑う術を手に入れていた。
だいじょうぶ、わたくしはだいじょうぶ

婚約者のアスランは緊張しながら、始終笑っている私に戸惑いながらオカピのメンテナンスをしてくださった。
彼はぎこちなくて、わたくしがいくら笑っても懸命に笑い顔をつくろうとしてくださるだけだった。
それは困り顔というのですよ、アスラン。

「これは」
「ハロです」

次の訪問で、彼はわたくしにハロをくださった。ハロは『ラクス』とわたくしの名を呼んで、
あそぼ、と。
おもしろそう たのしそう あそびたい さわりたい これ わたくしが もらえるの?
心の水があふれるように微笑んでしまったのはどれくらいぶりかしら

『ハロ、ラクス、ハロ』

「まあ、どうしましょう・・・!」

うれしくて
うれしくて
感情がゆさぶられて、おもわず涙がでてしまうかと思った。
わたくしは慌ててアスランに背をむけてハロに話しかける。

『ハロ、ハロ』

その間に心臓と感情を落ち着かせ、わたくしは笑いながら振り返る。

「この子が婚約の贈り物ですわね、アスラン」

少し困らせみると見事に困ってしまわれた。
けれどわたくしが笑うとアスランも少し笑ってくださるようになって、その変化は好ましいものだった。



















ユニウス7への核攻撃で小さな農業プラントがたくさんの命を抱えたまま消滅してしまった。
その攻撃で彼のお母様も亡くなられたと知って、次に会ったとき彼は凍りついた表情で軍に入隊することに
なったと話してくださった。

「アスランは軍に入られますの」
「ええ」

おかあさまが亡くなったとき、お父様はひどく悲しいお顔をなさってわたくしを抱きしめて泣かれた。
同じようにしようかとも思った。
わたくしが笑えば彼は笑う?わたくしが痛ましい顔をすれば笑う?
いいえ、きっと彼は絶対に笑わない。
それなのにわたくしは本当にここで笑い続けてよいのかしら。
どうすればいいのかわからなくなってしまった。
ふいに足元がくずれるような、これまでついてきた嘘笑いを暴かれるような焦燥に覆い潰される。


「ラクス?」


アスランが泣きそうな顔でこちらを見てらして、
わたくしは口角をあげた。

これはおそらく、彼を安心させようとかいう傲慢なものではなく、
ほかに術を知らなかったためのわらい顔。
ほかに術を知らない。なにひとつ
微笑むことが誤りであるなら母の死からやり直さないといけない。過去にもどることはできない。
もう引き返すことはできない。



風がごうと背中を殴った。






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