ラクスと廊下で出くわした。
少し戦況について話す。
その間も時折の笑みを忘れない。
彼女が小型端末のモニタに並ぶ数値の羅列を読みながら、次の針路の懸念事項について話している。
おれはラクスが何か声を発しているのを知覚していたけれど、意味など理解することをせずにぼんやり彼女の表情を見ていた。

当てるよ

おれがじっと見ている。

気づいてラクスが顔を上げたら笑うよ。

絶対。


彼女の瞼は疲労でわずかに赤みを帯びているけれど、笑うよ。










ラクスが視線に気づいて顔をあげた。

「どうしましたか。アスラン」

ほら、笑ってしまった。

「ラクスはいつも笑うね」
「・・・アスラン?」

「それはうそ?」

ラクスは微笑った。
どこからも音がしない。
ラクスの声さえない。

「突然どうなさったんです、アスラン」

間をあけて返ってきた、やわらかな言葉には
すでに笑顔にふさわしくない感情がこめられているようだった。
ああそうだ意識すればはっきりとわかる。


「そうやって笑うのは誰への嘘?」

微笑は凍り

ヒビが入り


くずれ





















ラクスは、手のひらで俺の胸を押した。
突き放されたというにはあまりに弱々しい。
軽重力のかかる廊下で、俺はゆっくりと廊下のむかいに背を打った。

押された胸に黒いものが浸透する。

本当が見える。


















「いきなり、嘘とはなんです?」
「俺があなたの家を訪問したときあなたがずっと笑っていたのが嘘だ」
「・・・笑わないほうがよかったと?会った瞬間に怒って追い返したほうがよかったと?」
「怒って追い返したい時があったんですか?」

ラクスは俺の目から横に視線をはずす。

「アスランは質問に応えず質問で返すのですね。それを言うならばあなたもクラインの家に行きたくない時
など山ほどあったはずです」
「シーゲル様と父上に定期的に行くように言われたんです。仕方がなかった」

俺も横に視線をはずす。
途端ラクスの視線は俺に返ってきた。
とてつもない嫌悪を伴って。

「仕方がなかった?」
「そうです」

俺は視線をはずしたままだ。

「仕方がなかったとあなたが言ったように、わたくしだって笑うしかほかになかっただけっ」
「怒ればいいじゃないですか。今みたいに」

「・・・何も知らないくせに、簡単におっしゃらないで!」

はじめてきいた。ラクス・クラインの罵声。

「怒っていたならどうして俺が贈ったハロを大切に持っていたんです」
「捨てては婚約ごっこができませんから」
「どうして会えて嬉しいと会うたびにおっしゃったんです」
「社交辞令ですわ」
「どうしてあの時殺さなかったんです。父の、パトリックの息のかかった人間は、あんなに簡単に殺した」


ラクスは唇を噛んだまま応えず、白い拳を握り締めている。


「では。わたくしも聞きましょう。何のための来訪だったのです」
「父上とシーゲル様が会いに行くようにと」
「何のための花束だったのです」
「本にあったので」
「何のためのくちづけだったのです」
「・・・本に書いてあったんです」
「何のためにあの時殺さなかったのです。クライン派のわたくしに銃を向け、さえぎるものもなかったあの舞台で」


俺は唇を結んだまま応えず、拳を握り締めている。


ラクスはきつく睨みあげる視線だ。
ホワイトシンフォニーでのラクスよりも鋭い色を持っている。
静電気を発するような静かな激昂を見る。
ホワイトシンフォニーではひるんだ俺が、今は彼女を睨み返す。
激昂はこちらも同じ。

自分の拳は震えている。
たぶん、怒りに。

















「あなたは・・・ひどい嘘つきだ」

「あなたはひどい嘘つきです」




















怒りに震えるはずの拳を、熱くてかなわなかった瞼にあてる。
先に自分が泣くなんて、明らかな根負けだ。
彼女の怒り方が少し幼くなったって、それでも俺は勝つことができないらしい。

「どうして先に泣くのですっ」

すみませんと、いつもの癖で謝りそうになった。
けれどしぼられているような痛みの喉で止まった。

喉に膜がはったようになにもしゃべれないんだ
息が、苦しい
目が熱い
すごくかなしい


「・・・っ」


俺はきっとぼろぼろの顔をしている。
いつだって格好つけて振舞えたことなどなかったけれど、鼻水までたれそうな今はこれまでで最悪だ。
にじむ視界で見つけた、かみ締めたられたラクスの唇は痛そうだった。

「噛まないで」

それだけ伝えた。
本当に痛そうだから。
困ったな
どうすればいいのかわかない
どうしよう
ああおれがこうなるからラクスは泣かなかったのかもしれない

ラクスも喉に膜がはったように苦しいのだろうか、
声は返ってこなかった。
苦しいんだろう。
きっと


「どうしてぼくらは泣くんです」

「わかりません」

「ずっとそうしたかったからでしょうか」


ラクスははたと顔をあげて目を見張った。
やがて瞼がぎゅっと細められて
はらはらと涙が落ちていく。
それを見たとき、憤りがたちまちに蒸発する。
肺のあたりがじゅうと音をたてている。

ああどこをどう見てもこの人はおれたちと同い年なのに
なにをどう見間違えて
どう勘違いをして
たった一言でほろほろと崩れるようなこの人の痛々しい笑い顔を
ひとつも気づかないふりをしていれたのだろう



風がごうと吹いた、一瞬表情をなくしたこの人が俺のほうを見るなり微笑ったあの日、
本当のラクス・クラインを一瞬垣間見たのに目をつむり耳をふさぎ
弧をかくナイフの意味を知りながら目をつむり耳をふさぎ、
父上の変化に気づいていながら目をつむり耳をふさぎ














”何も見ていない何も聞こえない何も知らない”
嘘つきと叫ぶ自分を殺しながら、おれは自分に嘘をついた。

”笑いなさい、ラクス”
嘘つきと泣く自分を殺しながら、ラクスは自分に嘘をついた。





自分自身を幾たびも殺しながら、いつか誰かが

おれをあやめる

わたくしのてを

とめてくれるのを想いながら














いやらしさをすべて排除して、ラクス・クラインの手のひらを握りこむ。
小さく震えた手は温い。
向こうから人の話し声が聞こえてきて、ぱっとラクスの手を引いた。






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