真っ昼間の高級ホテルの車寄せに、一台の異様な車が停車した。
船のようでもあり汽車のようでもある、天晴号だ。
通行人たちは一様に口をポカンとあけて、そこからサムライが降りてきたのを見ると、「大陸横断レースで優勝した人だよ」と指さして喜ぶ子供もいれば、あからさまな侮蔑の目を向ける者もいる。
小雨にとってはもう慣れたものだが、ホテルのエントランスで天晴号を待っていた洋装のを見ると、久しぶりにすまない思いがそぞろわいた。その他いろいろの理由から大いに気後れして、小雨の第一声はか細くなった。
「申し訳ありません。お待たせしてしまって…」
は、首を横に振って嬉しそうに笑う。
陽の光の下で見るからだろうか、あるいはいつもとちがう髪形をしているからだろうか、いつにもまして美しい。その胸元では笛の首飾りが誇らしげに陽光を反射していた。
「楽しみで、早く準備をしすぎてしまいました」
「姫、姫様、やはりあのような得体の知れないものに乗るのはおやめなさいませ。万が一なにかあれば上様になんとご報告申し上げればよいか」
「じい。得体が知れないから知りに行くのです。それに、小雨様もおいでなのですよ。心配はないでしょう」
加納じいと家臣団のぎらっとした眼がいっせいに小雨を睨んだ。
背すじを伸ばす。
「え、ぁ、は、はいっ!」
すれ違いざま、が「ふふ」と小さく笑ったのが見えた。
わざと困らせるようないたずらをされたのだと気がついて振り返ったが、それと同時にお通夜みたいだった心がふっとゆるんだのを感じてしまい、百戦してもまったく勝てそうにない。



踏み台を使って乗り込み、大きくふくらんだスカートをなんとかコックピットの中におさめきると、
「狭い」
天晴が端的に文句を言った。
さん、こっちに座る?」
「天晴がもっとそっちに寄ればいけるだろ、ほら天晴」
「無理だ。ハンドルに届かなくなる」
「ごめんなさい」
がスカートのすそをなんとか小さくたたもうとするのを一瞥し、天晴がいう。
「小雨の膝の上に座ればいいだろ」
「ヒエ!?あ、あっぱ、あっぱ、あっぱれ!おまえ何言ってっ」
「うるさい早くしろ」
昨日おそれ多くもこちらから振って破局したばかりだというのに、突如として小雨の胸の高鳴りは最高潮をむかえた。そして
「よし、それじゃ出発するぞ」
無の顔をした小雨の膝の上に無の顔をしたホトトをのせて、天晴号は出発した。






発展著しいニューヨークだが、車でちょっと走って中心地を離れれば、そこにはまだ荒野がひろがっている。今日はこの赤土の大地が走行コースだ。正確な操縦が可能なアルのAL9や、小回りのきくシャーレンの車と違い、天晴号は街中を走る用途には向いていないのである。
「このレバーを八まで引くと、蒸気エンジンに切り替わる。その時に見るのはメーターの六十の目盛りで」
「こちらの表示はなんですか」
「後輪の駆動系の調整に使う。使う時は一度姿勢制御のために目盛りをゼロから三の間に合わせて」
着いてからもう小一時間経っているが、天晴の説明は留まるところを知らず、真面目にこれを聞くは手帳に細かく何かを書きつけている。そのうえ天晴が喜んでしまうような質問をするものだから「そう!そこがポイントだ」と天晴はますます早口になっていった。
こうなると、小雨とホトトはついていけない。
熱の入った天晴が運転席の足元に潜り込んで説明を始めてしばらくすると、体を深く前かがみにしてこれをのぞきこんでいたが一瞬変な息をして胸をおこした。
「姫、どうされましたか」
シートにもたれて深く息を吐きだすとは苦笑する。
「大丈夫です。興奮して、しばらく息をしわすれていたようです」
「息はしろ、死ぬぞ」
「そうします」
「せっかくここまで来たんだ。もう説明はそれくらいでいいんじゃないか天晴。そろそろ走っているところをお見せした方が」
「そうか。わかった。ホトト、戻れ。蒸気バルブ開放。まずはガソリンで行く」
「はい。あ…」
その席にはがいる。
この状況を一瞥し、また天晴がそっけなくいう。
「問題ない。小雨の膝の上があいてる」
今度こそ来た!小雨の胸の高鳴りは状況もわきまえず再び最高潮を迎え、そして
無の顔をした小雨の膝の上に無の顔をした天晴が坐った。
興奮して目を輝かせるは運転席でハンドルに両手をかけている。
「ええええ!?ちょ、天晴、姫様に運転させるのか!?危ないだろう!」
「危ないことはない。ちゃんと教える」
長い間横で天晴の運転を見てきた自分でさえ、いざ運転しようとしたら車体がギッコンバッタン揺れて大変な思いをしたのだ。万が一、揺れで頭でもぶつけたりしたら
「それでは、参ります」
「よし。まずはゆっくりアクセルを」
ベタ踏みした。
残像を残す速さで急発進した天晴号はぐんぐん速度と重力を増していき、小雨の絶叫が響く。
「バカッ、踏みすぎだ。アクセル放せ」
天晴の声は小雨の悲鳴とうなりをあげるエンジン音にかき消され、ホトトは硬直し、
「わあ、はやい」
嬉しそうである。
正面進行方向に巨大な岩が見えてきた。
これはさすがに、ぜったい、死ぬ!
列車と正面切って力比べをしたとき以来の鮮明な死の予感が小雨の全身を震いあがらせた。
岩は迫る。
「いやあああ!!天晴!ブレーキ!ブレーキ!」
「やってる!くそ」
小雨の膝の上にいたことが災いしてブレーキまで足が届かない。
激突する!
「では、そろそろ止めます」
ごく平穏な声とはうらはらにブレーキがベタ踏みされた。
急停止した天晴号は後輪からぐわと空に持ち上がり、前輪だけで垂直に立ち上がったところでぴたりと静止、直後に轟音を響かせて大地に戻った。
はひと仕事おえた顔つきでふうと息を吐く。
「どうだったでしょうか」
振り返った車内では、ホトトがシートの後ろでダンゴムシみたいにうずくまり、天晴はひっくり返ってシートの下に滑り込み、小雨は天晴の足と側面の扉に挟まれ白目を剥いて泡を噴いている。



男三人、逃げるように車の外に転がり出ると、ホトトと天晴は堰を切ったように笑いだした。
「な、なんだ、どうしたんだ二人とも」
温泉でトリスタンに放り投げられて大喜びしていたホトトがこういうスリルを喜ぶのはまあわかるとして、天晴まで天を仰いでゲラゲラ笑っているのはめずらしい。
天晴号が停止したのは本当に大岩すれすれであった。
すれすれどころか、船主部分が削れているのをみるに車体が棹立ちになったときにちょっと岩にかすっていたに違いない。小雨は自分の両腕を抱いて内またになった。
この危険運転をやってのけたお姫様はいまようやく車を降りようと洋服のお尻が出てきたところだ。スカートから垂れた脚が地面をさがしているが届きそうになく、ひとまず小雨が助けに入った。
「ご無礼」と言い置いて、腰を掴んで狭い出入口から体を引っ張り出す。
ちょっとあり得ないような腰の細さに、今度は別の意味でぞくとした。ホトトだってもう少しある。
地面におろすと、はふうと息をはいた。
「ありがとうございます」
「あの、何ともありませんでしたか」
「ええ、大丈夫です。とても楽しかった」
返された微笑は手本のように美しかったが、そのわりにあかるい陽ざしの下で見ると朝に比べてやや顔から血の気が引いているように見えた。無理もない。
「少し木陰で休んでは」
返事を返さないままはニ、三歩あるいた。
その足取りにいやな予感がして腕を伸ばすと、次の瞬間、の全身からふっと力が抜けてうしろむきに小雨の胸に倒れこんだ。



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