空には満月の月がかかる、明るい夜だったはずだ。

がいる場所からは見えなかった。
建物の二階部分にある窓はすべて暗幕で覆われている。広い一階と、むき出しの鉄の骨組、高い天井とそこに巨大な吊り上げ用のフックがあるのを見て、操業を停止して久しい工場だと思われた。
その建屋の奥、壊れて置き去りにされた工業機械のそばには坐っていた。後ろ手に縛られ、背後の鉄柱に結ばれている。
をここまで連れてきた男たちは、カンテラが照らすテーブルに寄り集まり、激しく言い合うようになにごとか相談していた。「TJまでいるなんて聞いていない!」とうわずった声が聞こえた。「馬鹿か、俺たちが奴らとやりあう必要はない。金さえ手に入れば」とも聞こえた。
その者たちとは逆の暗がりから、千鳥足の男が現れのすぐ前に屈みこんだ。
異様に痩せこけて生気がない。張り出した目だけへんに油ぎっている。東海岸で流行っている麻薬の中毒症状だった。
黄濁した眼がぎょろぎょろと動いての身体のあちこちをたしかめている。
ぬうっと腕が伸びた。
身体には触らず、の胸から懐剣を取って、白い鞘をゆっくりと引いた。
あらわれた刀身はわずかな灯りを反射してカッと強くひかった。その光が目にはいり、男は魔物みたいに怯えてぱっと刀を手放す。
柄を握っていた手をさすりさすり、眼をの身体に戻した。
絹で覆われた胸元をながく凝視して、なにを想像したのか、口がだらしなくひらき、犬のように息をして、徐々に顔が近づく。
「さがれ、下郎」
きっ、といわれ、再び男が竦んだ。
竦んだが、目の前の娘の両腕が後ろに縛られて動けないことをゆるゆると思い出すと、猿みたいに嗤いだす。
皺だらけの手がの頬を打った。
すばやく膝に乗りあがり、重なった襟をまとめてひっ掴んで無理矢理に肩から引きずり降ろそうとして重厚な帯の摩擦に阻まれうまくいかない。辛抱できず、布のあいだに手だけ滑り込ませて直接揉みしだき、どうだ、どうだと繰り返して女の顔を見上げた。
双眸が冷然と男を睨んでいた。
一瞬間以上射すくめられたのち、恐怖と怒りで狂ったようになって人間語でない叫び声をあげ、いよいよ力づくで掴みかかると、の上体を覆う着物を後ろへ押し下げた。
「おい、なにやってる」
肌にむしゃぶりつこうとしたところへ怒号が飛んだ。
言い合いをしていた者のなかから二、三人がこちらに近寄る素振りを見せて、一人は本当に近づいてきた。
「てめえ、誰の許可とったんだ。その女はリスク負って俺たちが連れてきたんだ。留守番組のてめえらが最初に手ぇつけられると思ってんならそのおりこうなドタマ吹っ飛ばしてやる」
銃口を横に振ると、組み付いていた男は飛びのいてしりもちをついた。
「す、すまねえ。なんもしちゃいねえよ」
「ならさっさと見張りの持ち場に戻れ」
よたよた逃げだした背中に唾を吐く。
「ったく、クズが。…なんだ、あんたナイフなんか持ってたのか」
転がっていた懐剣を拾いあげ、気に入ったのか自らのベルトに差した。
「間違っても縄を切って逃げようなんて思うなよ。舌を噛み切っても意味はねえ。もらうもんもらったら、どの道あんたには最後には死んでもらうことになってるから早まることはねえだろ」
ゆっくりと近づいてきて、舐めるような視線がむき出しになった腹から頭の先まで這って、後ろに回った。
「バラバラにしてな、連中のとおり道に一つずつ置いてやるんだ。短い余生をせいぜい楽しもうじゃねえか。相手はたっぷりいる」
「油を売ってんじゃねえ、女よりこっちが先だろっ」
カンテラに集まる男たちから焦燥した声が飛び、低く舌打ちする。
の耳のうしろに息がかかった。
「…、それまでちょっとでもおかしな真似をしたら、こうしてやる」
激痛がはしった。



それからは背を丸め、膝に顔をうずめてじっとうずくまった。
上半身はむき出しになったまま、恥を忍び、痛みを殺し、寒さに耐え、泣き声も悲鳴もあげず、ただ息だけを繰り返した。



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