銃を持った十余名の男たちが突然部屋になだれ込んで来て、あっというまにを連れ去ったという。外階段の鍵が壊されていたから、そこから侵入されたのだろう。
脅迫状は机にナイフで縫い留めてあった。人質と身代金の交換はあさって、場所は荒野のど真ん中が指定されていた。

「狙われたな」
ディランの言葉を聞いて、小雨は苦虫をかみつぶした。
沸騰する血がじりじりと音を立てて全身を巡った。怒りと憎しみは攫った者たちと小雨自身へと向けられている。波止場にいたあの二人組の。あるいは、図書館の前でを取り囲んだ ――― 今更気づいて、奥歯をかみしめる。
事情を知らないバッド兄弟だけは、誘拐と聞いて「またかあ!」とあきれた声を上げた。
脅迫状をひょいと取り上げ、
「1000万ドルたあ、天晴たちをひっくり返したってでてこねえ額だ。攫われたお嬢ちゃんがわけありってとこか」
「…さんは天晴たちの国のお姫様なんだ」
「ふうん」
チェイスは含みありげに顎をひねった。
「連中もがんばるじゃねえか」
「何か知っているのか」
小雨がゆすった手をはじき、チェイスはうなだれる侍女のまえに何枚かの紙を並べた。手配書である。
「押し込んできた連中のなかに、こういうのはいたか」
いっている言葉はわからず、しかもこんなに恐ろしい悪人顔にちかぢかと迫られて、常ならばうろたえるところだったが、仕草で瞬時に了解し、お園は目を見開いて手配書の顔をあらためる。
「この男がいた!…こっちも、こいつも」
八人のうち三人を指さした。チェイスはにんまりする。
「どうやらあたりだぜ。やらかしたのはギルの手下の残りカスどもだ。身代金のついでに復讐まで済ませようって腹だろうよ」
ギル・T・シガーと因縁ある者たちが一斉に顔をあげた。
「こりゃあ、金払おうが払うまいがそのおひいさんとやらは生きて帰ってこねえぜ」
忠臣たちが一斉に顔をあげた。
あがった眼という眼に、物凄いほどの憤怒の業火が燃えたぎっている。
狂乱を愛するクレイジー・TJがゆらりと立ち上がった。
「いいねえ、最高の夜になりそうだ」
恍惚の声をもらし、銃身にキスをひとつ落として部屋を出ていった。そのあとに弾をこめつつディランが続く。
「おいおい、四等賞のホテルの用心棒さんはちゃんとホテルでお仕事してろよ。また誘拐犯が来たら次こそがんばろうや。応援してやるから」
「四等賞の馬鹿が。悪党を捕まえたいなら自分で警察に出頭しろ。俺はあの娘に話がある」
よっこらせとチェイスが膝を起こした。
「義理はねえが、小遣い稼ぎにゃちょうどいいめんつだ。俺らものっからしてもらうぜ」
「あい!兄ちゃん!」
「行くぞ。小雨、ホトト」
ぞろぞろと出て行こうとする男たちの背をお園が慌てて引き留めた。
「行くって、どこに行くんです」
「見つける」と天晴が端的に応じた。
「行き先がわかるんですか」
「絶対に見つける。すぐに」
由来不明の自信を持って出ていく男たちに困惑し、お園は助けを求めて振り返ったが、家臣団は、はや羽織を脱ぎ捨て袴の裾をまくり、たすき掛けを済ませていた。加納まで。
いや、加納こそ、唇を真一文字に引き結び、身の内におさまらぬ闘志が陽炎となって身体のまわりで揺れている。
呆気にとられて目をぱちくりしていると、
「お園」
と厳しい声が向けられ、思わず床に指をつかえた。
「そなたは姫様の湯あみの用意とご寝所を整え、心して待て」
「は、はい」
「ものども、来い!」
「応!」と気勢の声を揃えて、どどどと駆け足で出ていった。






満月が照らす荒野を、二台の車と八頭の馬が砂煙をあげてはしっていく。
先頭をいく天晴号からはホトトが体を半ばまで外に出し、地面の轍に目を凝らしている。
追跡は途中まで順調だったが、月に雲がかかって隠れると、速度は急激におちた。
車両前方のライトが照らす限りしか先が見えず、ほとんど歩くような速度になり、やがて止まった。
連なるトラロックと馬たちも止まらざるを得なかった。闇雲に先に行っては自ら轍を消すことになる。
するりと天晴が車から出てきて、車体によじのぼりはじめた。両手にはなにやら機材をかかえている。
「なにをしている!」
その場でじれったく馬の首を巡らせて加納が叫んだ。
「ライトをパワーアップする」
小雨とホトトも車を下り、ホトトは車体をみあげてあっと気が付いた。
「このまえ闇市で買ったやつか」
「そうだ。すぐ取り付ける」
すぐといっても、一分かそこらで設置できるものではないことはホトトにもわかる。天晴自身ももちろんそれはわかっていて、工具を忙しく動かす手に焦りがみえた。
見渡す限り電灯もない。遠くに建物があったってこれでは気づけそうになかった。
「くそう!」
誰かが吐き捨てる。
全員が焦れて落ち着かないなか、小雨だけはやけにしずかに向こうの闇を見据えていた。侍は真っ暗闇の中でもかすかな気配を正確にさぐり、見つけることができるのだろうか。
ホトトは尋ねようとして、できなかった。
みあげた頬は冷たい石でできているように動かず、漆黒に塗り込められた瞳孔はあたりの闇よりも暗い。
怒っている。
その懐からピョコっと飛び出たものがあった。
「キュ」
張りつめた緊張の糸の見えない、プレーリードッグのほうのホトトである。
いまの小雨のそばにいてはいけない。
受け取ろうと近づく。
小雨の懐から顔をだした獣は、闇のなかのただ一点に黒い目を注いでいた。
ひょいと着物の中から抜け出す。
地面に立ち上がってまた同じ方向に鼻先を向けている。
向く先をホトトも追って、静寂のなか、はっとした。
「行け!」
人の言葉を解したわけではあるまいが、途端に自分と同じ名の獣は大地に駆けだした。
「天晴、いますぐホトトを追ってくれっ」
ホトトが吼える
「“狼の声”だ!」






は背を丸め、膝に顔をうずめてじっとうずくまって、ただ息だけを繰り返していた。
首に残された銀の小さな笛にただひたすらに息を送って、その音は大人たちには聞こえない。






おいしい馬草でたんと餌付けられた。
やわらかい手でたんと毛並みを撫でられた。
新しいホトトは短い手足を懸命にかいて赤土の大地を疾走した。
その後ろを、無骨な車両と馬たちが猛然と追いかける。
しばらく行くと、新しいホトトが急に岩影にはいった。
馬で先回りした若侍が見てきて、汗まみれの顔をゆがめていう。
「草を食うています」
「やはりただの畜生かっ」
大きく首をふって加納は嘆きむせぶ。
一刻も無駄にはできないと、天晴は再び車体の外によじ登り、ライトの増設作業を再開した。
その直後、たまらなくなったように、今度は古い方のホトトが天晴号をパッと飛び出して地面に立った。
両耳のうしろに手を椀のようにかぶせ、目をつむる。
誰かが何か言おうとすると、「しっ」と制した。
一番近い小雨が気づいた。
それを見もせずに察して、ホトトは吐き捨てる。

「そうだよ。俺はまだ、近ければ聞こえる。どうせ、こどもだ…っ!」



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