小十郎の背後の障子戸がスイと開いて寝巻き姿の百姫が姿を現した。

はべっていた小十郎は百を正面にするよう素早く座り直して伏礼した。

「やはりそなたでしたか」
「は。ご宸襟を騒がせたてまつり申し訳ございません」
「よい。もう一人はどうしたのです」
「・・・」
「北のかたへ足音が向かったようですが」
「・・・お察しどおり、北に曲者があったと報告が参りました」
「義姉上はご無事ですか」
「は。別の部屋にお移りいただいておりましたのでご無事です」
「そうですか。わたくしのような小娘の進言をよく聞いてくれました、片倉殿」

能面の姫だ。
礼を言うときでも表情が少しも変わらない。
寝巻き姿で色っぽくても顔は同じ。
言うことが済んだらすぐに部屋に戻りそうな素っ気無さであったにも関わらず、百はその場に膝をついた。
小十郎からいやでも顔が見える位置。何を考えているのかちっともわからないのに正面に座られるなんて、やりにくい。小十郎は胸のうちでごちった。
片倉小十郎は見かけどおりモテる男であった。今正面に在るのがちょっと美人なお女中、遊郭のプロ、あるいは夜鷹の女であったら上手くあしらう自信がある。しかして今宵まみえるは主家の姫。滅多な振る舞いはできない。
そもそもここ二日間の間に三度も会っているわけだが気があるから話しかけてきているのか、面倒だが業務連絡を伝えにきているのかさえさっぱり読み取れない。
平伏したまま相手の出方を待つ。

「昼は・・・昼も迷惑をかけました」

「昼」には思い当たるふしがある。
恥らうくらいしてほしい。恥を知れという意味ではなく、怒っているのか本当に申し訳なく思っているのかちっとも表情から読み取れないからだ。優しくしていいのか素っ気無くすべきなのかちっとも、ちっとも。

「お加減はもうよろしいのですか」
「はい、おかげさまで」
「それはようございました。では、お耳もなんともありませぬか」
「みみ」
「昨晩、こうして耳をおおってそれきりぼうっとなさっておいででしたので」

小十郎は両手を両耳にあてるジェスチャアをして見せた。ああ、と百はうなずき長い睫を伏せた。
そうするとよけい亡き小次郎の面影と重なる。政宗が苦手とするのもわかる気がする。

「・・・こうする、癖じゃ」
「さようでございましたか」
「ところで、そなたはなぜここにいるのです。片倉小十郎は常に殿にはべる者であるとお女中衆から聞いています」
「その殿に姫様のおそばについているよう仰せつかっておりますれば」

半分嘘で半分本当だ。
“おまえ、ついとけ”と胸を叩かれたのは確かだ。ものすごく軽くではあるものの、嘘ではない。
百の助言を聞きさっそく小十郎が今宵屋敷の兵を増やしたわけだが、他の兵たちは
「なんで小十郎様までいるんだろう」
と首をかしげたものだ。しかしてそれを問いただす度胸のある者は誰一人いなかった。

「兄上がそうおっしゃったのですか」
「はい」

わずかな驚きの色を見せたあと、思案するようにまた睫を伏せた。
そして今度ははっきりためらっているとわかる仕草で

「・・・のう」

と小十郎を呼び

「兄上はわたくしのことをどのように話すのですか」

とたずねた。

おそれているのか。
政宗も百も互いを恐れている。
間近で能面の奥の奥を見つめるまで気付かなんだ。
瞳が揺れている。
あまり小十郎がじっと見るものだから百はおかしなことをたずねたのだと自省して、すぐに
「すみません。今の言葉はお忘れください」
と唇を噛んだ。

なんだ、そういう顔をできるのか。

足裏がぞわと粟立った気がした。

「姫様は、政宗様のこととなるとずいぶん慎重になられますな」
「そんなことはありません・・・いえ、そなたが言うのですからそうやも知れません。そなたは人を読むのがうまいようだから」
「買いかぶりです。私めには姫のお心も政宗様のお心も察するに余りある、恐れ多いものでございます。こと、ご兄妹の関係に関しては全く。・・・無礼を承知で伺ってもよろしいでしょうか」
「許す。そちには世話になったゆえ」

能面の奥の奥
油の上の細い炎が明るみをつくって、姫君の長い睫が影をおとしている。
寝巻きの内のすべらかなる素肌の
その奥の奥

不思議と喉が渇いた。

「問いはなんぞ」

姫君は小首をかしげる。うなじ、が。

”政宗様を憎んでおいでですか”

問いたかったのはそれだが、上の空でたずねたように思う。

真っ暗い廊下に音はない。
人もない。
炎はか細く、女の肌はぬくいだろう。
首にさわりたい。
キシと廊下を鳴らしたのはもう一人の侍従が戻ってきた音か、小十郎が我知らず身を乗り出した音か。

お方様の様子を見に行っていた侍従は部屋の手前で一旦停止して、退くべきが逡巡した。
“あの小十郎様”が“主家の姫様”と見つめ合っている。
彼は昼、道場に小十郎を呼びにきた姫の姿も見ていて、勘繰りは止まない。
百はやおら立ち上がり「義姉上はご無事ですか」と小十郎のまなざしから逃げるように尋ねた。
なんだその話をしていたのかと無理やり自分を納得させたらしい若い侍従は「へえ、ご無事でございます」とへこへこ礼をした。

百が部屋に引っ込んで中の灯りがきえてから、若い侍従は小十郎ににじり寄って、
「どうかなさったんですか、小十郎様」
と真相を耳打ちで尋ねてみた。
「無駄口を叩くんじゃねえ」
と食らいつく気迫で睨まれ、侍従は一瞬でもとの位置戻った。

部下を睨んでおきながら、昨日の今日乱暴されそうになったお子様をどうこうしようなどと、小十郎は数分前の己に寒気がした。



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