その姉に呼び出されたのは翌日夜遅くのことだった。

小十郎は政宗のためなら鬼とて恐れぬ武士であったが、姉は常に鬼より恐ろしい相手であった。
上の兄弟に会うのを恐れたのは惚れた姫君と同じだった。・・・一緒にしては無礼だろうか。

「姉上、お元気そうでなにより」

喜多は小十郎の姉であり、亡き大殿に『面白い』と見込まれてかつては幼い政宗の乳母を仰せつかっていた。
気立てが良いとか美しいとかではなく、面白さを見込まれた人だ。
政宗が元服した頃からは大殿の正室・義姫、政宗の正室・愛姫のお側仕えを経て、
そうか、そういえば今は

「ええ。我が愚弟も元気だと姫様からたぁんと聞いておりますよ。たぁんと」

のっけから言葉の針が小十郎をかすめた。喜多は不敵に笑っているから余計怖い。
姫が笑ったときは襲いたくなるほど愛らしかったのに、女も色々だ。

「はあ。して本日はどのようなご用ですか」
「わからいでか」
「はて、なんのことやら」
「身重の愛姫様のお世話で少し様を離れた間に、やれ賊に襲われた、やれ男が寄りついた、やれ食事をとらぬと」
「え」

食事をとらぬは初耳である

「お女中衆に聞いてみれば寄り付いた男はおまえと言うではないか。おまえはこの喜多が育てた弟ゆえ我ながらよい男に育て上げたと思うていたのに。若い女中らに人気もあるし、色町ではさもありなんと聞き及んでおりますよ。“泣く子は黙るが女は泣かす小十郎”というあざなまであるというではないの。それはさすがに私の弟と褒めましょう」

「ちょっとお待ちを」

「さても姫様が引き合いにあがったからには私は黙っておりませんよ。姫は多感な年頃に大殿、小次郎様と衝撃的な出来事が立て続けに起こって私たちも細心の注意をはらってお世話申し上げているのです。そこに男のおまえがしゃしゃり出てなんということです。このことを殿はご存知なのでしょうね。殿の知らぬところで妹君に手を出したとあってはこの喜多も心を鬼にしておまえをセメントで固めて海に落とさねばなりませんよ」

「姉上、どうぞ落ち着いてください。血圧があがりまするぞ」
「なんですって!」

ようやく姉の勢いを止めてられ、小十郎は息をついた。

「俺は姫に手を出しておりませんし、おそばに上がったのも姫様の護衛の任のため。家臣としてやましいことなど起ころうはずもございません」
「・・・あら。やっぱり?」

真面目な顔で怒っていた喜多はころっと表情を変えた。笑ったり怒ったり酔っ払ったり、ともかく元気のいい人なのは年をとっても相変わらずだ。小十郎も、政宗でさえもよく怒られたり笑わされたりしたものだ。

「そうだとは思っていたんだけど、一応言ってみたの」
「お人が悪い」

喜多は猫のように目をほそめてころころ笑った。
やや後ろめたいが、まだ何もしていないのは事実だ。

「でもちょっとは好いているのでしょう」

まあ、ちょっとは・・・。とか言うと思っているのか。
咳払いし「それよりも」と切り出す。

「先ほどお食事をとっていないと言っていましたが」

喜多はまた真面目な顔に戻って、今度はいよいよ勢いを失った。

「まったく食べていないというわけではないのだけど、食べても吐いてしまったり、口にものを入れること自体に苦労しているご様子で。ぬるい白湯か水なら飲めるようだけどそれだけでは今に体を壊してしまわれるわ」

小十郎にも大いに思い当たるふしがあった。襲われた翌日、道場から呼び出されて突然具合を悪くした。

「賊におぞましいことをされそうになって以来のことだから、私たちもどうお慰めしてよいものかしらと」
「さような大事になっていたとは存じませんでした」
「そう。けれどおまえが賊どもから姫様をお助けしたというではないの。殿にお仕えする片倉家の誉れですよ。姫のお側仕えとしても改めて礼を言います。よくやってくれました」

いい年をして姉に褒められるというのはなかなか気恥ずかしいものがあった。

「ところでこれからが本題なのだけど」と喜多は姿勢を直した。
前置きが長いというか、おしゃべりというか、小十郎は拍子抜けしつつ顔をあげた。

「明日の殿の鷹狩りがあるでしょう」
「ええ、午後に」
「あれに姫様も行くことになったから、おまえの見込んだ者を近衛としてくれないかと思って」
「鷹狩りに?」

聞けば、の気分転換になればと色々提案してみたところ、茶会、歌会、商人を呼んでの買い物、豪華な食事、そのほか挙げた中で唯一首を縦にふったのが鷹狩りだったという。
鷹狩りが好きなのかと喜多がたずねると「兄上が行くから行きたい」という。
兄上には会いづらいのではなかったのかとも尋ねると「それがよくわからないから行きたい」と言ったそうな。

「しかし姉上。昨日の今日決まったことで政宗様に断りもなく姫様をお連れするなど、賛同いたしかねます」
「殿にはお許しいただいたわよ?」

姉はケロっとした顔で言った。

「なんと」
「ついさっき、かくかくしかじかで姫様をお連れしたいと申し上げたところ、なんだかふてくされたような恥ずかしそうなお顔で“いいんじゃねえか”って。殿はきっと、様に自分は嫌われていると思っておいでなのね」

喜多は言いづらそうな政宗のモノマネ付であっけらかんと小十郎に伝え、小十郎は喜多の機動力に驚嘆せずにはおれなかった。小十郎は政宗にの話題を切り出していいものかついに踏ん切りがつなかったというのに。

そうだ。お側仕えの喜多ならばわかるかもしれない。

「少々話は変わりますが、姫様が手をこうする癖をご存知ですか」

小十郎は両耳に手のひらをあてて見せた。喜多も覚えがあるらしく、口元を袖で隠した。

「おまえ、いつそれを見たのです」

神妙な声で、顔で、責められるように言われて小十郎は心を構え直した。

「先日、姫様をお助けしたときに」
「そう・・・。あれはそうね、私が見たのは」

大殿が亡くなったと報せた時
政宗様が小次郎様を斬ったと報せた時
義姫様が最上に帰られたと知った日の朝

小十郎は身震いした。
返す言葉が見つからずにそのまま黙っていると喜多はことのほか優しく微笑んで続けた。

「私も一緒に行くべきなのだけれど、今は身重のお方様のお世話役になっているからおまえに頼みましたよ」
「そういうことでしたら、しかと承りました」
「あとお弁当はおまえが腕によりをかけて作ること」
「俺がですか?」
「姫に弁当は我が愚弟が作りますと申し上げたら、頬など赤らめて“それは楽しみじゃ”と」

喜多は確信犯だ。
姫のモノマネをして小十郎を見下ろしてにんまり笑う。
小十郎は小十郎で年甲斐もなくこそばゆい感じになって「さようで」などと口ごもっていた。
一方で政宗に妙なことを伝えていないかと心配になる。

「では明日、しっかり勤めなさいね」
「はい。・・・ところで姉上」
「なんです」
「姫様のモノマネをするにはいささか歳に無理がござ」
「誰か、早うセメントを持ってきなさい」



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