王家失墜!!
王女 異教へ密入信か!?



「・・・ここは」
「神社」

夕暮れの神社はなかなか趣きがある。
臨也の腕が戻ってきたことを泣いて喜んだは、いまはおごそかな空気にのまれてすっかり落ち着きを取り戻していた。

空では夕暮れをしらせる音楽が反響しあっている。
さびしい音色が耳に残響する。
人がいないという意味では我々にぴったりの場所だった。
いや、一人だけいる。
社務所のはじっこに窓があり、しわくちゃの神主が座っていた。
賽銭箱の向こうを静かに見つめているはそっとしておいて、絵馬を1枚買った。

「ごしゃくえんです」

歯が抜けてあいまいな発声であった。千円札を差し出すと

「しゅまないねえ。ちゅりがなくてねえ」

ちゅり?
ああ、お釣り。

「・・・じゃあ2枚ください」

にこ、と神主は笑った。商売上手なじいさんだ。
神主はそれで店じまいして、臨也が払った千円を手にしたまま神社を出て行った。今日の夕飯を買いにコンビニにでも行ったのだろう。せちがらい。

「なにを買ったのですか」

神主の背を見送っていたらいつのまにかが横に並んでいた。

「絵馬」
「エマ。むこうにたくさんかかっているのと同じものですか」
「そう」

社務所の横、掲示板のような木の板にたくさんの絵馬がかかっていた。ご丁寧にサインペンまで置いてある。
は絵馬に顔を寄せ、書かれた文字を読んでいる。
『園原さんと付き合えますように』『めざせ係長代理!』『暴力をふるいませんように』『無事赤ちゃんが生まれました。ありがとう』『打倒青学』『首を取り戻せますように』『第一志望合格しました!』

「願い事を書いたり、願い事がかなったお礼を書いたりするんだ。はい、2個とも書いていいよ」

は笑って1つを返した。

「俺は書かないよ。神様って信じてないんだよね。妖精は信じるけど」

鼻で笑ってやった。
それでもは、臨也の手をとって絵馬を握らせた。

「手が戻ったことのお礼を言わなくては」

臨也はへんな顔をした。
調子が狂う。

「・・・あれについてお礼をいうとしたら君にだ」

聞こえたのか聞こえなかったのか。は何も言わずにサインペンで文字を書き始めた。
日が暮れてゆく。
臨也はさきほど返された赤いケータイをポケットから取り出す。たくさんさわれたからもういいのだそうだ。



絵馬に向かうの横顔を撮影した。
はこちらに気づいているようだったが、書くのを続けた。
サインペンを置く。
書き終わったものを覗こうとしたら胸に引き寄せて隠されてしまった。

「なにそれ、やらしいことでも書いたんだ?」
「イザヤさんも書いたら見せます」
「だからカミサマなんてさあ・・・まあ、こだわるトコでもないか」

板に文字を書くだけの“作業”だ。
サインペンを手にとった。
さて、何を書こうか。

はなに系の願い事かいたの。ジャンル」
「お礼です」
「ふつう、ここの神様にお願いしてそれが叶ったらお礼書くシステムなんじゃない?」
「もう書いてしまいました」
「じゃあ仕方ない。俺もお礼にしよう・・・書けた」
「早いです」
「にじゅうウン年間使ってる言語だからね。せーので見せる?」

ははにかんでしり込みした。

「やっぱやらしいことだ」
「違いますっ、でもあの・・・どうか深くは聞かないでください」
「俺のも聞かないと誓うならそうしよう」

協定は結ばれた。

「「せーの」」






























『いっしょうわすれることはありません。ありがとう』

『ワイシャツ』
























***



衝撃!
サンシャイン国際水族館でイカをとろうとした女性溺死!
行方不明の王女か?!




そろそろまずいな。

湘南でハズレをひいた連中が都内に戻ってくる頃合だ。
それだけではない。
朝は間に合わなかったが、夕方のニュースでは映像付きで王女の発病を報道するメディアも出始めるだろう。

今日のうち、王女を最大限に活用できるような火種を作ることはできなかった。
ならば一旦マンションへ引き返して情報を分析しなおすべきだ。
どうやって捜査網を回避しつつで事件を生み出すか。
時間が経てば経つほど慎重な取り扱いが要求されることになる。






サンシャインシティまで戻り、地下駐車場に向かうべきところで、のふらふら癖が再発した。
まるで吸い込まれるように水族館へ無銭侵入しようとした。
黒いケータイで捜査状況を確認していた臨也は、憤りともあきれともとれない表情をつくってブラウスの後ろ襟を引きとめ、

「・・・大人2枚」

吸い込まれるようにチケットを買った。



水族館はほとんど貸し切り状態・・・にした。
数十分程前から、ネットでは羽島幽平がいけぶくろう石像近くで撮影中との情報が飛び交っている。皆こぞって駅前へ向かって行った。
撒き餌を終え、黒いケータイをパチンと閉じる。

館内に残っているのはケータイで情報を得る方法をご存じない老夫婦二組、そして臨也とだけであった。
薄暗いなか、の影はマンボウの水槽の前を歩いている。
少し離れた柱にもたれる臨也の目に、車の窓のふちをとことこ歩いた二本指といまのの姿が重なった。
大きなショーケースをなぞって歩いている。
またひとつ夢が叶ったではないか。
背をはなしての影に並んだ。

「あの子は何を考えているのかしら」
「さあ。俺は人間にしか興味ないから知らないね」

は子供のように、というには少々物憂げにマンボウを見つめていた。
この狭い水槽の中で回遊し、一生を終えるマンボウに自分の姿を重ねているのだろうか。

「イカはいないのかしら・・・」

魚屋行け
イラっときて、マンボウの水槽から動こうとしないの手を引っ張った。

「もう帰るよ。この時間じゃペンギンお散歩ショーもやってないし。一日中歩き回って疲れたでしょ」
「いいえちっとも」
「・・・さようで」
「イカも見つけておりませんし」
「イカはさあ・・・今度また食べに行けばいいじゃん。あと、普通は展望台見たいって言うべきじゃないの?夜なんだし」
「わたくしは高い場所よりも低い場所のほうが好きです」
「人が高い場所好きみたいにいわないでよ」
「下のほうが色々なものが見えますもの。ずっと近くで」

間の抜けたマンボウを見上げる姿が儚くみえるのは、ぼんやりとした青い照明のせいだろう。
そこからはが何を、どれだけ微笑んで言っても空虚な響きを帯びて耳に届いた。

「イザヤさんと会えたのも下のほうですわ」
「・・・そうだね、バス停の椅子は低かった」

引っ張ろうとして握ったままの手を今更意識した。
柔らかくて冷たい手のひらが握り返してきたりするからだ。
臨也もマンボウを見上げる。

「アイスクリーム屋さんと会えたのも」
「うん」
「髪を切ったのも」
「うん」
「イカも」
「うん」
「静雄さんと会えたのも」
「あいつは会わないほうがいい」
「ドタチンさんたちと」
「うん」
「真実の口と」
「あと」
「うん」
「あと」
「わかった。もう帰ろうって言わないから閉館までゆっくり見るといい」

「ありがとう、イザヤさん」
「どういたしまして」
「一日中わたくしにお付き合いしてくださった、なぜ」
「なんとなくだよ」
「こんなに親切な方ははじめて」
「・・・どうかな」
「いつも人のためばかりを考えていらっしゃるのね」
「・・・・・・」

臨也はまなざしに振り向かない。
マンボウを見上げ続けた。

いま、

彼らを後ろから見つめたなら大水槽の前に黒い影は二つ、つながっている。
微笑ましいと老夫婦が笑うような影絵だった。



「・・・・・・イカをさがさなくていいの」

沈黙はようやく破られた。

「そうでした。では次は向こうに」
「ちなみに閉館まであと10分だけど」

え、と目を丸くしたの頭の上でさびしげな音楽が鳴りはじめた。

『本日は、サンシャイン国際水族館にお越しいただき、まことにありがとうございます。当館はまもなく閉館の』

どこもかしこも、おわりを知らせる音楽はさびしげだ。
まったく、出て行けと言われているようでかなしくなるじゃないか、が。

ぬか喜びとかなしみでかあっと顔を赤くしたに、臨也は悪人面でにんまりして見せる。
が怒るのを待ち構えていたのに、タイミング悪く老夫婦が写真を撮って欲しいと頼んできたので、は「よろこんで」と心を切り替えてしまった。
「おかえしにあなたがたも撮りましょうね」という老婦人の申し出に甘え、赤いケータイには臨也、、マンボウのスリーショットがおさめられたのだった。

ついにイカには出会えなかった慰めに、一番最後はおみやげ屋さんに寄った。
サンシャイン国際水族館オリジナルハンドパペット『オウオウアシカ』と最後まで悩んだ結果、おみやげはサンシャイン国際水族館ケータイストラップが選ばれた。
これで王女様御用達だ。
おめでとうサンシャイン国際水族館。






***

外は雨が降り始めていた。
エレベーターでサンシャイン60地下駐車場へ向かいながら、は赤いケータイに結んだストラップを指にひっかけてずっと揺らしている。よほど気に入ったらしい。
一方、臨也は黒いケータイを流れたある情報に手をとめた。



だから早く帰ろうと言ったんだ

、やっぱり車はなしだ」

駐車場は見張られている。

「タクシー、いや、歩きで行こう」

連中、今になって急に動きがはやくなった。
すでに都内の駅とランドマークはほとんどつぶされている。
まさか、日本の警察に救援要請をしたのか。あるいは誰か雇ったか。
だめだ。このケータイだけでは確認が間に合わない。
幸い”折原臨也”のマンションを調べる動きはまだない。
こちらの顔はまだ割れていないということだ。
ならば今すぐホームに戻って状況をうまく転がせばまだ

『圏外』

無慈悲な左上の表示に、キーの上を忙しく動いていた親指が止まる。
エレベーターが止まる。

[B2 地下駐車場]

ドアが開く
赤いケータイの揺れが止まった。






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