朝9時前に運ばれてきて、昼を過ぎ、おやつの時間になっても四木と連絡がとれなかった。
『新羅、テトちゃんがすごく苦しそうなんだ。どうにかできないか』
セルティはノートパソコンから、チャットごしに話しかけた。返事はこなかったが本人が部屋に来た。
セルティは部屋に入ろうとした新羅がなにか言う前に、首の前に一本指をたてて「シッ」の合図をした。
子供は眠っているのだ。
新羅は声を飲んでうなずき、抜き足差し足で布団をはさんでセルティの向かいに座った。
『薬で治せないのか?』
「基本的には自然治癒を待つんだよ。解熱剤を飲ませれば一時的には楽になるけどはしかが治るわけじゃない」
『でもこのままじゃ、何も食べれないし』
「うーん・・・、アレ?そういえばこの子朝ごはんいつ食べたのかな」
『zzz絶対だべてない!1!パジャマ来てる!』
「セルティ落ち着いて」
必ずしもパジャマを着ているから朝ごはんを食べていないことには結びつかない。
食事と着替えの順番なんて家庭によってまちまちだ。
『いや、落ち着いていらない』
「打ち間違えているよ」
『もう15時なのに何も食べてない、水分もきっと足りないっ』
さっき寝たまま泣いて水分出したし!とはセルティは打ち込まなかった。
セルティに押し負けて、新羅はテトに声をかけた。
「テトちゃん、テトちゃん、起きれるかな」
うっすら目がひらいて新羅とセルティを見つけた。
その目は二人の顔からそれて、ほかのものを探すように動いた。
うわごとで呟いた「ママ」を探しているような気がしてセルティの胸を細い針が刺した。新羅はさっぱり気づかず話かけるのを続けた。
「テトちゃん、ご飯たべれる?」
「・・・へいきです」
「どっちの意味だろう。じゃあヨーグルト好き?」
「・・・すき」
『狩ってくる11』
とPDAに打ち込むなり、セルティはライダースーツで飛び出していった。
「やる気に満ち溢れたセルティも魅力的だなあ。ねえ?」
投げかけられ、テトは無表情にこくりとうなずいた。意味はわかっていない。
「だよねえ。それじゃあボクはフルーツ切ってくるから。フルーツヨーグルトにして食べよう」
「うつりますか」
膝をおこしかけた新羅に、かすれた声がそんなことを尋ねてきた。
「大丈夫、ぼくは一度きつーいハシカにかかってるし、セルティにはうつらない。四木さんの年代の人もきっとかからないよ。昔大流行したときがあってね。一度かかっておくとそのあとは抗体ができてかかりにくい体になるんだ。予防接種だけだと案外大人になってから免疫がうすれてかかっちゃったりするんだけどね、大人になってからかかるとかなりつらいんだよ」
あ、ちょっと難しかったね、と苦笑いして新羅は部屋を出て行った。
テトは部屋の中に誰もいなくなってしまったことをもう一度確認して、布団のなかに顔をうずめた。
(夢だった。でも嬉しかった。ママに会えた)
そんなことを考えていたら、はれぼったいまぶたがおちて短い眠りにつつまれた。
「うわ、すごい肌色」
視界が急に明るくなってテトは目を覚ました。
布団をめくった人物を見つけると
「パパ」
「あんなおっさんに見えるなんて心外だな」
折原臨也は大げさに肩をすくめた。
***
一瞬眠りに落ちていた子供にはどれくらい時間がたったのかわからないようだった。
実際には新羅が出て行った直後に俺が布団をひっぺがした。
「よく見てごらんよ。俺のみけんにシワはないし、頬だってこけてない。肌はつやつやだ。ギャグだってあんな白スーツなんて着ないし」
ハハッ、と白スーツの自分を想像して思わず笑う。
「・・・」
「聞こえてる?」
「・・・」
幼児の反応はにぶい。
「もしもーし」
ぺちぺち頬を叩いてみた。
「おお、熱い熱い。火の玉みたい。苦しい?痛い?悪いけど俺そういうのわかんないんだよねえ、ちゃんと予防接種しなきゃだめなのにさ。ひどいパパだねえ?」
返事はない。
しかし目はこちらのほうを見て時折まばたきするから聞こえてはいるのだろう。
「なんで予防接種行かなかったの?知らない?俺は知ってる」
横たわる幼児の耳に唇を寄せてささやいた。
”四木さんは病院が怖いんだよ”
「どうしてかわかる?わからない?俺は知ってる」
にんまり笑って、首を右へかたむけた。
「病院でとーっても悲しいことがあったからさ。おなじ名前の人間がおなじ場所でおなじように・・・」
首をかしげたまま頬の下に重ね合わせた手をおいて「すやすやすや」のポーズを作る。
きれいな色合いの瞳と平行に目があった。
「おなじ名前をつけたのは自分のせいじゃんねえ?」
「・・・」
四木さんの娘らしく、ポーカーフェイスがおじょうずだ。
あるいは言葉を失っているのか。
この子供の母親、すなわち四木さんが利用した末に始末したともっぱら噂の高級娼婦。自宅キッチンで急激な陣痛にみまわれ、倒れた際に頭部を強打したことによる内出血でのちに死亡、ということに仕立て上げられた。
真実?
どうかな、頭部強打が真実だとしても、世の人々は彼のこれまでの経歴と実績から“見事事故に見せかけた!”と舌を巻いているのだ。それが現実というものさ。
と思ったが、これらは口にしなかった。
揺るがすのにふさわしい時までとっておくべきお話だからだ。
「あぁ、こんなにぐったりして可哀想に」
両手で赤い頬をつつみ、眉根を寄せて嘆き悲しんでみる。
「パパには何時くらいに来てもらいたい?調整可能だよ」
だって俺が裏で意図を引いている件で粟楠会は無意味な奔走をしているのだから。
俺ももちろん疑われているが、調べていくうちに粟楠会の下部組織のさらに下部組織の勘違いが原因だとつきとめられる、ように仕組んである。つきとめるまでの時間が長いか短いか、それは情報屋であるこの俺が調整可能なことなのだ。
「俺さあ、最近四木さんの心象がよくないんだよね。信頼が薄れたおかげで仕事の暇ができたから街へ繰り出したらシズちゃんと会っちゃって中怪我させられてこのとおり。大怪我じゃないよ。中くらいだ」
臨也は襟をひろげて肩口の包帯をちらりと見せた。
「ムカつくなあ、ムカつくなあ。シズちゃんはもちろんだけど、四木さんもムカついちゃうなあ・・・」
不服そうに唇を尖らせて、かと思えばパッと顔を明るくしたり冷たく目を細めたり忙しい。今はひらめいた顔をしている。
「そうだ、仕返ししよう」
幼児のわきの下に手を入れて布団の上に座らせた。
されるがままだ。
「君が絶望する情報をおしえてあげる」
***
「そうだ、仕返ししよう」
家の玄関に入った瞬間、そんな物騒なセリフが折原臨也の声で聞こえてくれば、セルティが慌てないはずがない。
「君が絶望する情報をおしえてあげる」
なっ!?なにを言う気だ!
まさかテトの母親が亡くなった時の話をする気じゃっ!
やめろっ
やめろ!
叫ぶ声はセルティにはない。
部屋に駆け込んだ。
「サンタクロースの正体はね・・・」
ヨーグルトの角で臨也をぶん殴った。
***
「っ痛いなあ。なにするのさ」
『おまえが紛らわしいことをするからだ!まったく、病人なんだから寝かせておいてくれ!』
「ハッ、俺だって怪我人だよ?差別だ」
セルティは肩を怒らせながらキッチンへ歩いていってしまった。
「おにいさん」
布団のうえで頭をぐらぐら揺らしている女児が「パパ」の第一声以来はじめてしゃべった。
体を起こしたら少しは頭がはっきりしたのかもしれない。
「おなまえなあに」
「なに?俺のこと気になってきちゃったのかな」
「かっこいいです」
ほうほう。
これはあれか。
小さい子が「あたし大人になったらパパと結婚するー」的な感じで雰囲気が似ている俺を気に入った。
もしくは、女は父親と似た男と結婚する、という俗説。
やばいなー、四木さんに恨まれちゃうなー。
「君は小さいのに見る目があるね。慧眼に免じてタダで教えてあげよう。俺は折原臨也、21歳。新宿で情報屋をやってる」
「だっこしてほしいです」
「おおせのままに」
モテちゃって困るね。
お米だと思えばどうってことない。よっこらせっくす。
「オリハライザヤ」
後ろ襟を掴まれた。
「新宿の情報屋、岸谷先生のお友だち、“シズちゃん”と会うと大怪我させられる。ケガのせいでここが痛い。パパを罠にはめていらないお仕事をさせている。テトが病気なのに仕事へ行ってパパはとっても傷つきました。同じときにテトが病気にかかったのはテトのせいだから今日はこれでゆるしてあげます。ゴホゴホ。でも次はテト、パパのこと守るわ。おにいさん、小さい頃にちゃんとはしかにかからないとコウタイができなくて、大人になってからかかってしまいますよ。ヨボウセッシュだけでは大人になってからメンエキがうすれてしまうの。大人になってからのはしかはとてもつらいのよ。ねえ、おにいさん、ねえ、ゴホゴホゴホゴホゴホゴホ。お大事に」
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