寝たらすっきりした。
なつかしさに浸って傷ついて、同時に癒される。
子供のふて寝のようなものだったが、昼寝もたまには悪くない。

夕食を作るべくダイニングへ行くと、すでに食器がテーブルに並んでいて、は行儀良く椅子に掛けていた。
四木は首をかしげる。
「お腹がすきましたか?すぐに作りますから」
「・・・」

はじっと四木を見つめた。
「どうしました」
同時に寝起きのあくびがふくらんだ。
「ごめんなさい」
「うん?」
「・・・お昼寝、起こして」
が昼寝から起こしたわけではない。たとえ起こしたのだとしても夕食時まで寝ていたのだから起こされて文句は言えない。なにを萎縮する必要があるだろう。

ひらきかけた冷蔵庫を戻し、膝を折っての額を触った。
熱はない。
「どこか具合が悪いんですか」
は首を横に振った。
だがなんとなく心配で目線を合わせるとの目は泳ぎ、「ミカンでいいです」と突拍子のないことを口走った。
「ごはん。ミカンでいいです。パパは疲れています、ので。ミカン好きです」
額にあてていた手での前髪を撫でつける。
「疲れていませんよ」
と言ってみせるとはうなずいたが、四木のために無理やり腑に落とした、という印象をうけた。
ふむ、と四木は短い思案をする。

「では、夜は寿司でも食べに行きますか」
「おすし?」
「ママとも行ったことのあるお店ですよ」
「・・・行きたい」

はにかんで笑ってうなずき、服を着替えに行った。まだどこかぎこちない。
四木はシワのついたシャツを着替える間、ふと(ピアノはもう飽きたのだろうか)と思ったけれど、が小さなカバンに掃除ロボットを詰めていこうとしているのを鏡越しに見たら、忘れてしまった。






***



「ご案内ダヨー、大人ひとりとお姫様おひとぉり!今日はクリスマスイブだからお姫様感謝デイだよー、お姫様おひとりにツキ座布団一枚多く置くヨ。ワタシ坊主めくりで見たヨ。日本の偉いヒト、ちょっと高いところにいるデショウ?ちょっと高いけど寿司の値段ソノママ、とーってもお得ネ」

巨大な客引きの膝上の位置で、は物怖じせず首をかしげる
「パパお得ですか?」
サイモンはしゃがみこみ、大きく頷いてからに耳打ちした。
「四木さんも超お得ヨ、ここだけのオハナシ、ウチおしぼりタダで出るよ。四木さんのお友ダチのお店、たまにおしぼり一個9万円するヨ、でもうちはタ・ダ」

「サイモン」

四木の声にサイモンはニッコリ笑ってホールドアップした。
「9万言い過ぎヨ、8万円ダヨ」
ため息して四木はを中へ促した。は暖簾の下を通る前にサイモンにペコリと頭をさげた。
「四木です。おじゃまします」
「オー、さすが四木さんのお姫様ダヨ、仁義正しい。ワタシサイモン、ヨロシク」



露西亜寿司は内装が無国籍風なら、店員も無国籍風、お客様まで分類しがたい印象である。
家族連れ、カップルが多めなのはイブだから当然だ。一方でグループ客もいればカウンターには一人飲みらしいサラリーマン、金髪のグラマラス美人、バーテンさん、ドレッドヘアの男まで座っている。
四木とはボックス席におさまって、露西亜寿司で最も値の張るセットに舌鼓を打った。は安心のサビ抜きだ。



寿司も半ば過ぎたところで、四木の業務用ケータイが振動した。
表示された名前を見れば、無下に切れない相手である。
通話ボタンを押しながら、には目でここに座っているようにと示した。

「四木さん食い逃げ良くないネー。借金だヨ」
ケータイを耳にあてながら出て行った四木にサイモンは冗談を飛ばす。
店が一番繁盛する時間はサイモンも店内で配膳をしているのである。手には巻物が三つのっており、この三つはそれぞれカウンター席の金髪美人、バーテンさん、ドレッドヘアのものだった。カウンターから出せばいいのにと思いきや、
「オー、ちゃん残ってるヨ。カワイイ娘で借金払おうとするの日本のオトッツァンの良くない癖ダヨ」
サイモンは四木家のボックス席に腰掛けてしまった。
「おーいサイモン。それこっちの注文だべ」
カウンター席から声がかかった。



「サンタ巻きオマチドー」
「サイモン、あの子なんでひとりで座ってんの?」
「シャッキンのカタね」
「疑問を呈します。少女の親族は通話を目的とした離脱状態にあることを視認しました。15分経過です」
「なんも食ってないスね」
「大人しく待ってて偉いじゃねえの。よし、ここはひとつ」



四木を待つの目の前に突然黒い腕がぬうっとやってきた。
直後、コトン、と小さな音を立ててテーブルにプリンが現れる。ビニールに入った小さなスプーンが添えてあった。

「アチラのお客様からデス」

黒い手のひらで示された先、ほろ酔いトムがヒラヒラと笑顔で手を振っていた。
「トムさん今日ちょっと飲みすぎっすよ」と静雄が小声で嗜める。
の瞳はプリンとサイモンとカウンター席を視線で3巡りしたが、結局手はお膝のまま動かない。
「大丈夫、トムさんイイ奴ダヨ。毒も入ってナイね。これ本当はスーパーで3コ100円で売ってるやつダカラ安心だよ。ウチだと1コ120円で値段チガウけど同じモノ、心配ゴムヨー」
「・・・」

はプリンには触らないまま、おもむろに掘りごたつ式の個室から動いた。
靴をちゃんと履くとトムの前に来て、うつくしい色合いの目を大きく開いて見上げた。
「どしたあ?」
、120円持ってないです」
「いーんだよ。おにいサンタからのクリスマスプレゼントだから」
「日本には未知の人物から提供される物品を食用しない決意があると記憶します。少女は決意を実行中です」
「じゃあ自己紹介だ。俺はトムさんタ、こっちは静雄さんタ、そっちはヴァローナさんタ。これで知り合いだな」
「トムさん酔っ払いすぎです。子供首傾げてるじゃないっすか」
「まじでかー。ごめんな」

「・・・プリン、パパに残してもいいですか」

「おー、偉いなあ。いいよいいよ」
と名乗った子供はそれまで固くしていた表情を急にゆるませて、うれしそうに笑った。
「おにいさんありがとう」
「これ持ってきな」
静雄が差し出したのはビニールに入ったままのスプーンだった。
「俺プリン箸で食ったから使わなかったヤツ。二人で半分コして食いな。人のプリンひとりで食うとケンカになるからよ」
小さな手が差し出されたスプーンを受け取った。



「ありがとう」
お礼を言うとはボックス席に戻っていった。
「かっわいーなー。なんか子供ほしくなってきた。静雄産んで。あとビール追加して」
「トムさんもうやめとけって。あと俺妊娠したことないんでできるかわかんねえです」
「アルコール過剰摂取です。現時点での離脱を推奨します」
「うおっし、じゃあ次の店行くかー!」






***



ちょうど三人が出て行ったのと入れ違いで、四木が店に戻ってきた。
「パパ、おかえりなさい。あのね、」
おにいさんとおねえさんがプリンをくれました、と切り出す前に四木が言う。

「帰りますよ」

四木は座敷に上がらず、自分のコート、のカバン、伝票をすばやく手に取った。
仕事が入ったのだとは察した。しかしまだ寿司もプリンも残っている。は四木の席の前に置いていたプリンを慌てて差し出した。
「あの、プリン」
「食べたいなら持って行きなさい。行きますよ」
四木は子供向けの無料サービスかなにかと思い、気にとめなかった。
差し出した腕を折りたたんで、は出口へ向かった四木についていった。
手にはプリンと2つのスプーン。



四木の自宅前にはすでに迎えの車が止まっていた。
が手洗いとうがいを終えた頃には、四木はスーツに着替え終わって玄関を開けていた。
「明日までかかるようなら家政婦さんを呼んでおきますから」
大丈夫ですか、と尋ねられる前に

は大丈夫です」

と答えた。
先に言われた瞬間、四木の逸る空気が一瞬鈍った。

「・・・そうですか?」
はお絵かきをしています」
「寝なさい」
「寝ます」

は笑った。

「・・・行きますね」

「いってらっしゃい」

は笑った。



よどみない娘の返事に所在不明の不安を覚えたが、四木は外から家の鍵を施錠した。
ドアを背に歩き出し、心を切り替えた。
四木の部下が二人、腰を折って頭を下げている。もう一人は車の後部座席のドアを開いた。乗り込みながら尋ねる。
「ほかの幹部と連絡はとれているのか」
「赤林さんがまだ。それ以外は全員召集がかかっています」
「わかった。出せ」











は車の音が遠ざかってもまだ玄関に立っていた。
手には差し出せなかったプリンがある。
玄関は暗かったから仕方ない
そんな高度な自分への慰めができるほど、は大人ではなかった。もやもやした感情を表現する言葉がわからない。
わかるのは、プリンを冷蔵庫にいれなくてはいけないことと眠らなければならないことだった。



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